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総長から皆さんへ 第10信(6月8日) 卒業生・渡辺京二さんの著書を読む

  • 2020年06月08日
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人と人は本を通してつながります。日常のその人だけではなく、その人が書く本、読む本によって、深いところでつながることがあります。なぜなら本は、人類共有の財産だからです。江戸時代の私塾は、「会読」という、同じ本を共に読みながらその「読みかた」を交換し議論する方法で思考力を鍛えました。法政大学という広場も共読の場でありたい、と思っています。そこで今回からしばらく、卒業生の著作を、その次に教員たちの著作を、紹介していこうと思います。

「みんなおっとりとして人柄が良い子ばかりでした。自分に適した大学に入って、俺は俺だよ、という感じで大学生活を過ごしていました」と語ったのは、日本近代思想史を研究し、多くの著書がある渡辺京二さんです。肺結核を患ったため、1958年、20代後半になって法政大学社会学部に入学なさいました。本学の社会学部は1952年に設置されました。私立大学が「学部」として社会学部を設置したのは本学が初めてでした。「自分に適した大学」とおっしゃったのは、2018年8月に実施し、10月1日に公開した法政オンラインの対談において、でした。

『北一輝』(朝日新聞出版、ちくま学芸文庫)で毎日出版文化賞受賞、『逝きし世の面影』(葦書房、平凡社)で和辻哲郎文化賞、『黒船前夜』(洋泉社)で大佛次郎賞、『バテレンの世紀』(新潮社)で読売文学賞。多くの賞を受賞なさっています。とりわけ『逝きし世の面影』は、日本が近代を迎えさらに戦後になり、その過程で何を失ってきたのかを明らかにしたのです。私もまた学生たちにその「失ったもの」について考えてほしいと思い、社会学部のゼミでも使いました。『逝きし世の面影』という題名はまさに「逝去=死んでしまった世の中の、記憶のなかの面影、かけら」という意味です。その逝去した日本社会とはどんな社会だったのか、目次を眺めただけでわかります。「陽気な人びと」「簡素とゆたかさ」「親和と礼節」「雑多と充溢」「子どもの楽園」等々。ここに書かれているのは、憶測ではなく証言です。幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人たちの証言を徹底的に集め編集した本なのです。いわば証言集です。その証言から渡辺さんは、独自の価値観と社会構造をもつ「江戸文明」が存在した、という結論を導き出しました。その文明はすでに滅び、私たちが思い出すことができるのは「面影」であり、集めることのできるのは「かけら」だけなのだ、と。

対談で私は、「『逝きし世の面影』『黒船前夜』『バテレンの世紀』の三作で江戸時代を全部お書きになったことは重要な意味を持っています」と語りましたが、それは『バテレンの世紀』が17世紀の日本、『黒船前夜』が18-19世紀の日本、『逝きし世の面影』が19世紀中ごろから後半の日本を書いているからです。『黒船前夜』はアメリカと日本の話ではなく、ロシアと日本の深い関りを書いたものです。江戸時代後半の世界を見ていると、黒船は日本に夜明けをもたらすために来たわけではないことがわかります。当時アメリカは鯨油を必要としていました。太平洋はアメリカの鯨の乱獲場所で、そのための避難港を必要としていました。さらに日本はその鯨油と綿製品のかっこうの市場になる、と狙われたわけです。黒船は市場開放を武力で迫る軍事艦隊でした。ロシアとの関係はもっと長く17世紀から続くもので、軍事力をともなわない関係であり、ロシアには日本語学校までありました。このあたりのことは、私の著書『未来のための江戸学』(小学館)でも書きました。その執筆時はまだ『黒船前夜』は刊行されておらず、私は平川新さんの著書を参照しました。平川さんも開国の経緯をロシアから見ていました。その平川さんが法政大学文学部史学科のご出身で、法政大学から東北大学の大学院に進学したことを知ったのは、そのずっと後、私が総長になってからです。私の総長就任の年と同じ年に、平川さんは宮城学院女子大学の学長となり、そのことで法政のご出身であることが伝わってきたのです(今年の3月にご退任)。平川さんとも、その後対談しました。

渡辺さんは「日本読書新聞」の編集者でした。その後、河合塾の講師、河合文化教育研究所主任研究員、熊本大学大学院社会文化科学研究科客員教授を歴任なさっています。しかし職業編集者でなくなった後も、『苦海浄土』(講談社、藤原書店)を書いた石牟礼道子さんの執筆と刊行を最後まで支えた編集者であり続けました。つまり、古今東西の本を読みながら、ご自身と石牟礼文学を編集しつづけたかたなのです。渡辺さんがいなければ石牟礼文学は存在しませんでした。たとえば、非常にスリリングにリアルに島原・天草一揆を描いた石牟礼道子の『春の城』(藤原書店)の基本資料は、『バテレンの世紀』を書いた渡辺さんが示唆したものだったそうです。私と渡辺さんとの対談は、石牟礼さんが亡くなった半年あとでした。「彼女が亡くなってから、僕は失業したような変な気持ちでいます。喪失感といいますか何と言えばいいのか、とにかく変なのです」「古代の詩人は預言者、つまり言葉を預かる人でもあったことを考えると、彼女は文字通り天の言葉を預かった人だった」―渡辺さんのこの言葉が忘れられません。

最後に、対談で渡辺さんが皆さんへのメッセージとしておっしゃったことをここに紹介します。「今の学生はボランティアに積極的なことには感心します。さらに、本を読めば申し分ないのですけれどね。若い時には何が正義であるかということを含めて、自分の時代を支配している考え方というものを相対化しないといけない」「孤立することを恐れるな、と言いたい」「何より、僕みたいな人間でもちゃんと生きてこれたから大丈夫、と伝えたい」――私はこのなかで、「自分の時代を支配している考え方」という言葉が心に響きました。私たちは時代を支配している考え方によって、支配されています。その支配から抜け出して少しでもひとりの人間として孤立を恐れず、自由な思考をするには、確かに、本を読むことがいちばんの近道なのです。

2020年6月8日
法政大学総長 田中優子