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一般財団法人全日本野球協会 会長、日本野球協議会侍ジャパン強化本部 本部長、アジア野球連盟 副会長 山中 正竹さん

  • 2020年10月27日
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プロフィール

山中 正竹(Yamanaka Masatake)さん

1947年大分県生まれ。1970年に経済学部経済学科を卒業後、住友金属工業(現日本製鉄)に入社。社会人野球の選手、監督を経て、1988年ソウル五輪で野球日本代表コーチ、1992年バルセロナ五輪で野球日本代表監督を務める。1994 ~2002年度、本学の野球部監督、工学部教授。2003 ~ 2010年、株式会社横浜ベイスターズ専務取締役。2010 ~ 2014年度、本学特任教授。2016年、野球殿堂特別表彰。

野球は人生を豊かにする最高級な遊び それを次世代に伝えるのが私の使命

東京六大学野球で、投手として、今後も破られないといわれる48勝の記録を残し、卒業後も選手、監督として国内外の大会で数々の優勝やメダルを手にした山中正竹さん。野球からは多くのことを学べる、それを次の世代に伝えていくには、まず指導者側の変化が必要だと言います。

スポーツマンシップの徹底で持続可能な野球文化を普及

日本の「精神野球」で育った私にとって、40歳前後で初めて世界のプレーや練習に触れたときは、まさに「目からうろこが落ちる」思いでした。そこから私の野球人生の第2ステージが始まり、日本野球の国際化に努めてきました。

現在、会長を務めている全日本野球協会は、国内のアマチュア野球を代表する団体で、オリンピックや国際大会の日本代表「侍ジャパン」(プロを含むトップ、社会人、大学、女子など全カテゴリー)の窓口となっています。また、少子化やスポーツの選択肢の多様化を背景にした「野球離れ」に歯止めを掛けるため、「持続可能な野球文化」の普及にも取り組んでいます。

本来スポーツとは、ルールを守って正々堂々と戦うことを通じて、相手を尊重する心やマナーを学び、向上心や人間力を高めていくもの。授業や訓練としてではなく、自主的に参加する「遊び」だからこそ、真剣になれるし、得るものも多いのです。

ところが、野球界には戦前からの勝利至上主義や上意下達の風潮が残っています。そこで、まずは指導者にスポーツマンシップを正しく理解してもらい、未来を担う子どもたちに野球の面白さを伝えていくことが大事だと考えています。同時に、頂点にいる「野球人」には、野球の価値や魅力を自分自身の言葉で発信してほしいです。

1992年バルセロナ五輪で銅メダルを獲得し、選手に胴上げされる山中さん

1992年バルセロナ五輪で銅メダルを獲得し、選手に胴上げされる山中さん

大学野球の記録や実績は今も自分の誇り

子どもの頃は、野球といえば東京六大学という時代で、「一度でいいから神宮球場で投げてみたい」という思いで法政大学に入りました。

48勝の記録(現在も歴代最多)とともに私の誇りとなっているのが、1年の秋から4年秋の引退まで、各カード初戦の登板を継続できたことです。こうした数字や実績は、卒業後に自分の励みとなり、指導者や日本代表監督に就くチャンスに結び付くなど、私の人生に大いに役立っています。

また、授業後にクラスメートの下宿先でたわいもない話に興じたり、試験の情報交換をしたりと、野球部員の中では一番キャンパスライフを楽しんだと思います。

数年プレーした後は企業の戦力になろうと考えて、住友金属に就職しましが、2年目に大学時代の松永怜一監督がチームの監督となったこともあり、結局30歳まで野球を続けました。その後4年間仕事をして、社会の仕組みが一通り飲み込めた頃に、「野球部の監督か、サウジアラビアのパイプ工場の管理者か」という選択を迫られまして。それ以来、日本代表、大学、プロを渡り歩き、野球界では異色の経歴の持ち主となりました。

大学時代の山中さん。六大学野球で選手時代に3回、監督時代に7回優勝を経験

大学時代の山中さん。六大学野球で選手時代に3回、監督時代に7回優勝を経験

リーダーに必要なのは自らを高めていく姿勢

野球の指導者を経験して、スポーツとは何かに加えて、リーダーシップについても考えるようになりました。

サッカーの元フランス代表監督ロジェ・ルメール氏が「学びをやめたときは、教えることをやめなければならない」と言ったように、指導者は絶えず勉強を続けていかなければなりません。「付いてこい」と引っ張るのではなく、自分を高める努力をしている姿を見せていれば、選手の方が何かを感じ、付いてくる。そういうチームには、間違いなく信頼感が生まれます。

大学生には考える力が十分にあり、もはや「これをしなさい」と指示を出す、大きな声で返事をするという段階ではありません。監督の役目は、選手に問われたら答えられるよう準備し、選手が迷っているときにヒントを与えることです。ですから、私は「教え子」という言葉を使いません。むしろ、私が学生から教えてもらったことの方が多いくらいですから。

スポーツが与えてくれる際限のない学び

常日頃「野球は考えるスポーツ」と言っていますが、これは大学時代に学んだことです。今のような高度なデータ分析がない時代で、松永監督から「練習に出なくていいから、次のカードで対戦する早稲田の試合を見てきなさい」と言われ、ネット裏で各選手の攻略法を研究しました。

思いどおりの球を投げるにはコントロールの正確性が必要、それにはどういうフォームで投げるか、どうやって体をつくっていくかと、一つ解決すれば次の課題が浮かび上がる。こうして際限なく学びを与えてくれるのが野球の魅力であり、これを次の世代に伝えるのが私の使命だと考えています。

2000年以降、法政も含めて「スポーツ」を冠した学部や学科が増え、国もスポーツの市場規模を2025年までに15兆円に拡大するという目標を掲げるなど、スポーツの多様な価値が広く認められるようになりました。

大学でスポーツに打ち込んだ学生、スポーツを学んだ学生には、プレーヤー以外にもマネジメント、ジャーナリスト、トレーナー、用具メーカーなど多様な選択肢があります。ぜひスポーツから多くのことを学び、それを卒業後の人生に生かしてください。

 

(初出:広報誌『法政』2020年8・9月号)