お知らせ

総長から皆さんへ 第17信(9月28日) 元教員・リービ英雄の本を読む

  • 2020年09月28日
お知らせ

リービ英雄。今年、2020年8月に退職するまで、法政大学国際文化学部の教授でした。しかしそれより、「西洋の出身者として初の日本語作家」と紹介される、著名な作家です。なぜ「西洋の出身者として」がつくのかと言えば、韓国朝鮮出身者あるいはその2世3世、中国台湾出身者あるいはその2世3世で、日本語で小説や評論を書いてきたかたは、おられるからです。

皆さんにはリービ英雄の作品をぜひ読んでほしい。なぜなら、どの作品もおそらく、皆さんひとりひとりが、読みながら自分の子供時代を思い出してしまう、あるいは思い出したくなる、あるいは読んだその日の夢に、子供のころに暮らした家が出てくる。そんな気がするからです。実は、幼いころに五感総動員で感じ取っていた場所や人や風景などの記憶は、のちの人生に大きな影響を与えます。記憶は知性によってより広い視野のなかで「理解」や「解釈」をすることができます。そして言語化することによって、豊かな「経験」となり人を育てます。リービ英雄のように、痛みや切なさ、不安や悲しさ、存在のおぼつかなさとともに思い出し、言語化することができれば、それはその人の言葉の養分となり、その人がその時代を生きた刻印を、確実に人の心に残します。重大な体験をしていなくとも、どんな人でも、人の心に自分の存在を届けることができるのです。そのことは、それまで出会う機会がなかった多様な生き方を、心から理解するための「てだて」になります。リービ英雄の小説を読むと、そのことがよくわかります。

多くの文学賞を受賞した作家です。『万葉集』の英訳The Ten Thousand Leaves : A Translation of the Man Yoshi, Japan’s Premier Anthology of Classical Poetry (Princeton Library of Asian Translations)で1982年の全米図書賞、『星条旗の聞こえない部屋』(講談社)で1992年の野間文芸新人賞。『千々にくだけて』(講談社)で2005年の大佛次郎賞。『仮の水』(講談社)で2009年の伊藤整文学賞受賞。そして『模範郷』(集英社)で2017年の読売文学賞を受賞しました。さて、では何から読めばいいでしょうか。私は、最初に『星条旗の聞こえない部屋』を読むことをおすすめします。皆さんと年齢の近いころの作者の体験と、その日々が書かれているからです。その次には『模範郷』でしょう。この2作品を読むだけで、繰り返し、他者の子供のころの夢に入り込んだような、不思議で強烈な感覚に見舞われるでしょう。そのうち、その体験が自分の体験だったような気がしてきます。このような心の「ざわめき」を起こす小説は、めったにありません。

私のざわめきはこんなふうでした。『星条旗の聞こえない部屋』は、1967年の横浜から始まります。主人公は17歳、作者と同じ歳で、作者と同じ経験をしています。つまりリービ英雄の小説は三人称で書かれていても、ほぼ私小説と言っていいでしょう。そして私自身は、そのとき15歳でした。横浜で生まれ育ったものですから、小学生のころから桜木町から港の周辺までを、よく見知っていました。主人公が歩くと、まるで自分が歩いているかのように感じました。まだ横浜には米兵がたくさんいて、港周辺には港湾労働者の家があり、ホームレスもいました。目の前に見えるようでした。ところが、主人公が桜木町から東横線に乗って「しぶや」に行くその過程で、私が主人公に乗り移っていた視点は逆転します。それは、彼が常に日本人に「見られている」からです。私は日本人、彼は異国にいるアメリカ人なのです。そのころ日本にいたアメリカの少年が、どのような思いで日本人のまなざしにさらされていたのか、憧憬ととまどいと好奇と反発と劣等感の入り混じった複雑なまなざしや扱いの中で、いかなる孤独を生きていたのか、リービ英雄の小説では、それを思い知らされます。日本語で書き、見知った土地を歩いていることで、読者は立場や感情を共有しているかのように思い込むのですが、それは錯覚であるという事実に突き当たるのです。

さらに、電車のなかで蘇っていく幼いころの記憶。「アジアにいる金色の髪の子は多勢の人の眼差しの中で育つものだ」と書いているように、主人公は香港、プノンペン、台北、ワシントン、そして日本を幼児のころから外交官の父親の転勤とともに転々としてきたことがわかります。とりわけ主人公は台北の「泥棒よけに色ガラスの破片を上面に突き刺した厚い塀」に囲まれた家に、父と母と障害をもった弟と3人で暮らしていたころのことを繰り返し、この後の作品でも書くことになります。彼は常にそこに引き戻され、そこを探し、そこに近い空間に暮らそうとします。この小説のタイトルに注意してみてください。星条旗の「見えない」部屋ならわかりますが、「聞こえない」部屋なのです。彼が一時滞在した横浜のアメリカ領事館の彼の部屋のすぐ外に星条旗があって、それが風にはためく音、その音が聞こえない部屋を求めていくのです。それは家族がそろって暮らした台北の家だったのです。

横浜の領事館にいるのは、父と中国人の継母と、その二人のあいだに生まれた腹違いの弟です。両親が台北で離婚し、実母が一人で自分と弟を連れてアメリカに帰ったという事情がわかってきます。さらに、彼がいま横浜にいるのは家庭裁判所で決められた面接権に沿ったものだということも、父親が中国学者で、息子が熱心に学んでいるのが「日本語」であることを快く思っていないことも、わかってきます。そういう環境のなかで主人公はついに家出をし、アルバイトをみつけ、日本人の友人の家で暮らすようになります。その友人の木造アパートの一室を、彼は、本の中に書かれている「JAPAN」とはあまりにも違う、と感じたからです。知らなかった日本が、そこにはありました。彼の目に見えるもの、耳に聞こえるもの、わかる日本語、わからない日本語、人のまなざし、態度などが、リービ英雄の小説では詳細に書かれます。それだけ強く意識を向けながら生きていたということでしょう。異人であるとはそういうことなのだと、私たちに言っているかのようです。

2017年9月の学位授与式で私は、本学国際文化学部出身で、『真ん中の子どもたち』(集英社)という本でその年の芥川賞候補になった台湾生まれの小説家、温又柔(ウェン・ユージュー)さんのことを取り上げました。直前に、本学ホームページ「HOSEI ONLINE」で対談をしたのです。温又柔さんはリービ英雄の学生でした。『真ん中の子どもたち』は、台湾、日本、中国の複数の親や先祖をもった若者たち、まさに、様々な民族の「真ん中」で生きている人々が、言葉をめぐってそれぞれのアイデンティティに悩みながら生きて行く小説です。「真ん中」という位置が、子供のころから日本で育った日本人には理解が難しいのですが、日本語を手段としながらも、彼ら自身の言葉で彼らの感じ方、見え方を書いてくれることで、そういう位置があることに、気づくことができます。

学位授与式では、温又柔と対談しながらハンガリー人のアゴタ・クリストフという作家を思い出したことも話しました。アゴタ・クリストフはハンガリー動乱のときにスイスに脱出してスイスの工場で働きながらフランス語を学び、フランス語で作家活動をした人です。クリストフは、母語ではないフランス語をめぐって常に「自分は何者か」と問い続けました。私がそのような真ん中の人々に関心をもったのは、私の大学院の弟子のひとりに、英語と日本語のバイリンガルで、日本国籍とアメリカ国籍をもっていて、しかし自分はオキナワンであると考えている学生がいたからです。オキナワンとは、戦前に沖縄からハワイに移住した人々のことです。沖縄が日本の中で差別されているように、オキナワンはハワイで日本人に差別されながら、独自の産業と文化を持ち続けて今に至ります。彼女はオキナワンの研究で博士号をとり、今は大学教師になっています。

リービ英雄に戻りましょう。温又柔がリービ英雄に付き添って台湾に行き、その過程がドキュメンタリー映画になり、本にもなりました。それが『模範郷』です。模範郷とは、台湾を占領していた日本人が作った日本家屋です。リービ英雄はその日本家屋で両親と弟と暮らし、自分の部屋は畳の部屋でした。後年、彼はそれに似た空間を求めて中国奥地に入り、日本ではもはや残り少ない古い木造アパートを探してはそこに暮らしました。彼の作品にはその台北の模範郷での暮らしが何度も見る夢のように、繰り返し出てくるのです。私はそのたびに心がざわめくのですが、それは私自身が横浜の下町の長屋での暮らしを、同じように繰り返し思い出すからです。記憶が混ざり合っていくような気がしてくるのです。なぜ思い出すのか。リービ英雄と同じなのかどうかはわかりませんが、繰り返し思い出す理由は私の場合、その空間とともに何か大事なものを失ったからです。そのことは私が江戸文学を専門にするようになったことと、つながっているのではないかと、時々思います。

ところでリービ英雄は、日本や日本人に全く係累のいない両親のもとに生まれました。にもかかわらず「HIDEO」という名は本名です。父上がつけたそうです。中国学者として日本を一段低く見ていた父上がなぜ日本人の名前を息子につけたのか、それはわかりません。そして、ここまで読んできておわかりだと思いますが、リービ英雄が日本文学を学び、翻訳者となり、日本語で小説を書く作家になった根本には、明らかに模範郷の日本家屋での幸福な暮らしがありました。幼な心はその人にどういう人生を開いていくのか、実に不思議な気がします。
 

2020年9月28日
法政大学総長 田中優子