お知らせ

総長から皆さんへ 第7信(5月18日)「全集」について

  • 2020年05月18日
お知らせ

今回のコロナウイルス感染症の影響で、現在はまだいずれも臨時休館中ですが、東京には本学の図書館だけでなく、さまざまな場所に図書館が配置されています。都立中央図書館、都立多摩図書館の二つが都立図書館で、東京都内の市立区立の公立図書館ともなると、数えきれないほどです。

東京都立図書館HP(オンラインで閲覧できるデジタルアーカイブ資料も豊富)

そしてなんといっても、東京には国立国会図書館があります。私は大学で文献が見つからないときは、ふだんならまっすぐ国会図書館に行きます。「困ったときの国会図書館」です。古典を含めほとんどのものがあるのです。挿絵つきの古典籍や戦前のレコードも大量に保存していて、インターネット上でも見られる江戸の本や、聴くことのできる歴史的音源があります。能の謡、義太夫、長唄、常磐津、小唄、民謡、筝曲、各種三味線音楽、そして落語や戦前のクラシック音楽もあります。国会図書館に行けばもっと多くの歴史的音源を聞くことができます。

国立国会図書館HP

そこで、本学の図書館や様々な図書館、古書店などが再開した場合、インターネットでは読めない、まさに「ものとして本」の面白さがどこにあるか、お伝えします。それは「全集」です。

全集には、物理学や植物学や社会科学、歴史、思想体系などさまざまな全集があり、文学では世界文学全集や日本文学全集、個人全集がありますね。私は子供のころ、家にあった「少年少女世界文学全集」も読んでいましたが、アンデルセンの個人全集が好きでした。皆さんはさまざまな人の書いた本を読める全集と、一人の人が書いた個人全集のどちらが好きでしょうか? 優等生の兄は高校生になると、そのころ刊行された中央公論社の「世界の文学」を片端から読んでいました。しかし私は個人全集や、全集とまでいかないまでも、ひとりの人が書いた作品をたくさん読むのが好きでした。小学生のころにエドガー・アラン・ポーの作品をずいぶん読んだ記憶があります。

大学生になってからは、岩波書店の「日本古典文学大系」をすべてそろえるのが夢でした。古本屋で最初に買ったのが『平家物語』上下2冊でした。そこから少しずつ買い集め、ようやく全巻そろったのですが、なんと、まもなく「新日本古典文学大系」が刊行されはじめたのです。こちらはすべて揃うまで買い続けました。このような全集は1冊ずつ読むだけでなく、必要な時にすぐに取り出してその部分を読む、という使い方をします。

ところで個人全集です。私は大学生のころに「石川淳全集」を買って読み、そのことが江戸文学研究につながりました。個人全集の何が良いのか、わかりやすい例をひとつ挙げましょう。

「富士には、月見草がよく似合ふ」という言葉は聞いたことがあるでしょうか。これは太宰治が『富嶽百景』の中で書いた言葉です。井伏鱒二を頼って山梨県の御坂峠に滞在していた太宰は、ある日郵便局に行った帰りにバスに乗っていました。車掌が「富士が見える」と言うと乗客は皆そちらを向きます。しかしひとりだけ、高齢の女性が反対側を見て「おや、月見草」と言う。その指さす方に目を向けるとちらりと、偉大な富士に対峙するように、けなげにすっくと立つ小さな月見草が見えたのです。月見草は富士と並んでいるのではなく、自分の背後に巨大な富士の重さがあって初めて見えてくる、ささやかな存在でした。

「太宰治全集」を読んだとき、このときの作者の気持ちがよく理解できました。個人全集からは子供時代の記憶や境遇、そこから見える世界観など、その個人が目にした多くのシーンと経験を受け取ることができます。そこから感じ取れたのは、太宰治にとって富士とは日本の近代かも知れず、自分が生まれ育った津軽の津島家かも知れず、その背後にある家制度かも知れず、当時の文壇かも知れず、それらすべてかも知れない、ということでした。つまり、拒否することのできない偉大で圧倒的な存在です。それを全集から感じ取ってみると、月見草というささやかではかない存在が作者自身であり、それを「似合う」という言葉で表現したことのなかに、覚悟や痛みや切なさや、自分自身への笑いまでが、見えてくるのです。全集はその人そのものではありませんが、生涯をかけて言葉で書き残そうとしたその人の認識であることは確かです。ちなみに、青空文庫には太宰治の作品が274作品も公開されています。

「青空文庫」(インターネットの電子図書館)

樋口一葉の作品も青空文庫に42作品ありますが、日記とともに読むことで、当時の若い女性たちが置かれた過酷な生活状況と作品との関係が、よりはっきりわかります。以前ここでも紹介した『苦海浄土』の執筆者である石牟礼道子も、全集では精神を病んだ祖母との子供のころの生活が克明に描かれていて、命に向き合う姿勢の根本がよくわかります。私生活に言及しない作家もいます。前述した石川淳や江戸時代の作家たちがそうです。それでも頭の中に展開している世界が、全集ではとても多面的に見えるのです。

全集にはまると、最初は借りていても、買ってそばに置きたくなることがあります。その筆頭が泉鏡花の『鏡花全集』でした。ついおぼれてしまうこの独特な言葉の世界は、青空文庫では208作品(新旧仮名遣いを分けているので重複あり)も読めます。

図書館が再開したら、そういう読書の仕方もあることを、ぜひ思い出してください。

2020年5月18日
法政大学総長 田中優子