9月

◆9月6日(金)

学外企業の会議に出席した。

◆9月5日(木)

◆9月5日(木)

放送大学の事務局長が来室。10月1日からの新しい年度の放送大学理事および評議員の就任依頼であった。
三菱商事の藤田様が来室。『三菱みらい育成財団』の評議員就任依頼であった。

ブランディング推進チームの会議に出席した。推進チームの職員たちも新しい世代に入れ替わっている。そこで、本学の今までのブランディング・プロセスについてお話しした。これについてはすでに日本経済新聞朝刊(2019/7/1付)に書いている。社会学部の先生方、外部の企業のかた、総長室長をはじめとする教職員の方々の力で、ブランディングをおこなっている。そのプロセスも、大事な記録として残しておきたい。

◆9月4日(水)

常務理事会およびミーティングを開催した。

◆9月3日(火)

◆9月3日(火)

東京新聞の新社長・菅沼堅吾氏が来室。就任のご挨拶だ。東京新聞とは縁が深く、かつて連載をしていた。長らく購読者でもある。また、本学の沖縄文化研究所と共催でシンポジウムを開催し、そのときに故・翁長雄志沖縄県知事が本学で講演をなさったことも思い出深い。今回は新年に10回の連載を依頼された。どうやらご挨拶だけではなかったようだ。

先日亡くなった、鬼塚豊吉元総長代行お別れの会を、市ケ谷キャンパスのスカイホールで開催した。鬼塚豊吉元総長代行は経営学部教授で、1990年から1998年までの9年間、理事として法政大学を支え、総長代理および総長代行を務めてくださった。1980年代の法政大学は、多摩移転、川崎校地の売却、組織改組の動きなど大きな出来事が続いた。
1988年、阿利莫二総長の体制が発足し、法政大学理事会は大学組織の改善にも着手した。当時の鬼塚豊吉理事は、阿利莫二総長の任期の最後にその総長代理として、またその後、総長代行として、阿利莫二総長に代わって法政大学全体の指揮をとられた。たいへんな重責を果たされたのだ。現在の法政大学は、ひとりひとりの総長、理事がそれぞれの時代の責任を担って支えてきたのである。その思いを、次の時代に丁寧に受け渡さねばならない。歴代のゼミ生が集まる会を長く開催していたとかで、多くのゼミ卒業生が集まって下さった。奥様もご親族とともにいらして下さった。薬剤師をしていらしたかたで、東大薬学部時代に鬼塚先生と知り合ったとか。

◆9月2日(月)

◆9月2日(月)

今年も総長杯ゴルフ大会がおこなわれ、優勝者にトロフィーをお渡しした。酷暑の日だったが、無事に終わって何より。

◆9月1日(日)

8月は総長日誌をお休みした。9月から再開である。8月は例年、会議は少なくなるものの、理事や学部長も含め、各地の後援会に出かける。私は学外の講演やテレビ出演のほか、毎日少しでも執筆していないと間に合わないほど、原稿が混んでいた。まだ終わらないものもありながら、9月になってしまった。

8月にひとつ、卒業生の国際文学賞最終選考の知らせが届いた。1967年に母校経済学部経済学科を卒業し、現在カナダ在住の山岸邦夫さんが、第二次世界大戦中のカナダの日系人強制収容をテーマにした小説『The Return of a Shadow』を上梓なさった。この小説が、英国に本部を置く由緒ある国際文学賞、Rubery Book Awardの最終選考8作品の一つに残った、という知らせが飛び込んできたのである。惜しくも受賞は逃したが、何千という作品の中から選ばれたという。

山岸さんは在トロント日本国総領事館で調査の仕事に従事したのち、米国ニューヨークのウオール街で投資銀行業務に携わり、退職してカナダで執筆活動をなさっている。

総長になってから、海外で活躍する私よりも年長の卒業生や、海外でも仕事の展開をしている卒業生によくおめにかかる。法政大学卒業生の国際的な活躍は、決して新しい傾向ではない。世界中に働く機会が広がっていることを、ぜひ今の在学生にも知ってほしい。