4月

◆4月20日(木)

代々木進学ゼミナールの「教育ニュース」の取材を受けた。20年も続いている学長対談のコーナーであるが、保護者のかたもまじえた座談会であった。受験生をかかえた保護者や、予備校の現場の先生方の話はやはりリアルで、受験生の皆さんが感じておられるさまざまな不安がよくわかる。

 

◆4月18日(火)

久々に、新宿花園神社のテント劇場に出かけた。水族館劇場『この世のような夢』を見るためである。水族館劇場は1987年に旗揚げされた劇団で、1989年には法政大学キャンパスで公演している。作品の殆んどは桃山邑の作・演出によるもので、一緒に活動している評論家の伊藤裕作さんは、本学、国際日本学インスティテュート出身。在学中は私より年上の学生だった。この日も、国際日本学インスティテュートを修了した元学生たちと一緒に見た。伊藤さんは生まれ故郷である三重県芸濃町での公演を成功させたが、その時私は三重まで出かけられなかった。水族館劇場が花園神社という、江戸時代からの芸能空間にやってきて、ようやく参加の機会を得たのだ。

水族館劇場は野外劇を基本とする。「水族館」とは、数トンもの水を使った演出があるからで、飛行機(の作り物)を空中に浮かせたり、さまざまなスペクタクルも特徴だ。まさに夢の時空である。これらの演出は江戸時代の歌舞伎そっくり。歌舞伎には花道、まわり舞台、屋台崩れ、せり上がりなどがあり、空間が立体的に演出される。江戸時代では本物の水も使い、客席に橋を渡したり空中演技もあった。劇場だけでなく、両国橋のたもとや浅草寺裏や花園神社などに多くの小芝居があり、大道芸人、旅芸人も動きまわっていた。

1960-70年代には古典芸能の方法によって多くの前衛演劇が出現したのだが、私の師である廣末保はそのただなかに「悪所」という言葉をもって役割を果たしていた。私もその動きの中に生きていた時期がある。法政大学はそのような動きとも無縁ではない。

◆4月17日(月)

日経BPコンサルティングのウェブサイト用のインタビューを受ける。今回も、志願者数が関東でトップとなった理由等々であった。それをめざして大学を運営しているわけではないが、本学の面白さを理解したり、感じたりしている高校生が増えているのであれば嬉しい。それとともに、アクセスしやすい入試システムを日々考えてくれている入学センターにも感謝。

飯田橋の東京大神宮で、55・58年館の建て替えでできる仮称「南棟」の建築安全祈願をおこなった。大成建設をはじめ、施工会社、設計会社の社長さんたちも列席して下さった。感謝。2020年度完成までの安全を、しっかりとお祈りした。私は迷信を受け入れない方だが、心を集中して祈るという行為が、心の底にある本来の願いを引き出す効果があることは知っている。その結果、安全管理へ細心の注意が向くのであれば、できわめて重要な行為であろう。

国際日本学研究所の専任研究員、王敏先生のごはからいで、周恩来元首相の姪子さんである周秉宜さんにおめにかかり、HOSEI ONLINEの座談会として掲載することになった。周秉宜さんは周恩来元総理の弟の3番目の娘さんで、1949年から1968年まで約20年間にわたり、中南海で周恩来元総理と一緒に暮らしていらしたという。総理でありながら、その特権を自分や家族が受け取ることを、細心の注意を払って退けていた様子を、さまざまなエピソードで聞かせてくださった。ONLINEアップをお楽しみに。王敏先生に感謝。

◆4月16日(日)

◆4月16日(日)

山形県東置賜郡川西町で、「吉里吉里忌」が開催され、「井上ひさしと江戸」を講演した。「吉里吉里忌」とは、2010年4月9日に亡くなった井上ひさしさんの命日に近い土日に開催される講演やシンポジウムの会である。吉里吉里は、井上ひさしが書いた、日本から独立する東北の一地域の国の名前である。この小説『吉里吉里人』は、読むべき文学の1冊だろう。国家とは何か、とても具体的に考えることになる。ところで川西町は井上ひさしの生まれ故郷で、寄贈本で構成された「遅筆堂文庫」があり、井上さんは生前からここで「生活者大学校」を運営していた。このときも前日に「生活者大学校」が開催され、原子力を中心とする環境動態学者の小出裕章氏、環境経済学者の宮本憲一氏、そして、生活者大学校の中心になってこられた農民作家の山下惣一氏のディスカッションがあった。

「井上ひさしと江戸」は、私が文庫解説を書いた『戯作者銘々伝』や、学生時代から読んでいた『表裏源内蛙合戦』を取り上げた講演だが、いつか書こうと思っている本のタイトルでもある。

 

◆4月14日(金)

HOSEI ONLINEの対談に、ずっとお呼びしたかった経済学部の藤沢周先生に来ていただいた。藤沢先生はNHK「週刊ブックレビュー」の司会を長いあいだつとめられているので、私も何回かそこでご一緒している。そして一年に一回、激論を戦わす機会もある。それは集英社の「開高健ノンフィクション賞」の選考委員会だ。この選考委員会は、意見がまっぷたつに分かれることも珍しくない。藤沢先生と同意見のこともあれば反対意見になることもある。そして集英社出版四賞の授賞式でもご一緒して、夜まで受賞者を囲む。

しかしそのようなときには、ご自身の作品について伺う機会がない。この日、対談の会場に入って開口一番、私は「剣道なさっているんですか?」と質問。『武曲(むこく)』という作品を読んで、「やっていなければ書けない」と感じたからだ。やはりそうだった。私は剣道にあこがれながら、誕生日のプレゼントにいただいた木刀をときどき素振りするだけで終わっている。うらやましい。法政大学日本文学科では、素晴らしい先生方に囲まれて、私とよく似た体験をなさっている。詳細はHOSEI ONLINEを読んでいただきたい。ちなみに『武曲』は映画化され、すでにクランクアップしている。6月初めに公開だ。これも楽しみ。

午後、日刊工業新聞の取材があった。志願者数が関東で一位になってから、「その要因は?」という取材がいくつも来ている。この日も、多様な要因をお話しした。 

◆4月8日(土)

本学を抜いて今年も受験者数全国一位となった近畿大学ではこの日、アカデミックシアターがオープンして、編集工学研究所がプロデュースした全く新しい構成の図書館「ビブリオシアター」が発足。豊富な資金で次々と新規の施設を増やし、6つものキャンパスをもち、医学部も農学部も薬学部も短大も経営する巨大な学校である。うらやましいが、規模も理念も違うようだ。

◆4月6日(木)

付属校3校の入学式に、順番に祝辞にかけつけている。就任から3年で一巡し、最初の法政中学高等学校に戻った。校長先生は新任の岡稔彦先生。待ち時間の間の会話もはずみ、式辞も強く印象に残った。岡先生は法政中高の建っている三鷹市牟礼で生まれ育ったという。中学入学式の式辞では、ご自身の中学校時代の話から始められたので、私も私自身の中学校時代を思い出し、用意した祝辞から脇へそれて、そこから始めた。岡先生の高校入学式の式辞は、「ディズニーと戦争」というテーマで、ミッキーマウスを描いたナチスの飛行機が爆弾を落とすシーンがありありと脳裏に浮かんだ。私はそれを受けて、大学が示した軍事研究への姿勢の話から始めた。飯田校長も素晴らしい方だったが、岡校長とも深い会話ができそうで嬉しい。

◆4月4日(火)

朝から終日、新任教員研修会である。こういうものは私が就任したとき(1980年)はなかった。辞令をお渡しした。私は就任時に辞令をいただいていない。大学の理念について30分ほどお話しした。そういう話を、教員のときに総長から聞いたことがない。増田正人常務理事が「大学教員就業規則」を説明した。これも、私の就任時にはなかった。そして、今年度から教育支援本部統括理事となった廣瀬克哉常務理事の話。廣瀬さんが就任した1987年当時と比較しながらの話で、大学の急激な変化がよくわかる。「高等教育に何ができないか」と「何をすべきでないか」の話が秀逸。「人格的な薫陶」はすべきでない、という助言はそのとおり。教室の疑似カルト化に要注意。もっともだ。教育熱心、教育万能感に警戒せよ。新任教員だけでなく、在任教員全体に聞かせたい。 

その後、新任職員に60分、大学について話をし、さらに、NIKKEI STYLEの取材を受けていた。関東で受験者数がトップになった理由は何か?である。多様な要因があるので、心当たりはすべてお話ししたが、どうまとめてくださるか。

本日の最後は新任教員と役員、学部長たちとの懇親会だ。委員会などの席でもないかぎり、各学部の教員たちとじかに話す機会はあまりないので、可能な限りお話しした。個性的な素敵な教員がたくさんおられる。期待が持てる。

◆4月3日(月)

◆4月3日(月)

2017年度の入学式。晴天に満開の桜の武道館だ。副学長、常務理事たち、学部長たち、新監事たちも舞台に並ぶ。祝辞者のミサコ・ロックスさんは、演台の前に出て舞台を歩きながらの熱のこもったスピーチ。新入生と保護者たちの心をしっかりつかんだ。留学生が増えるに違いない。彼女のファンが、アメリカだけでなく日本にも広がりそうだ。

◆4月1日(土)

いよいよ今日から新しい任期がスタートだ。朝からぎっしり会議や催し物がつまっている。今までさまざまな準備をしてきたが、今日こそ正式に、新常務理事会、新理事会が発足した。新任職員ひとりひとりに辞令をお渡しし、付属校3校の新任教員の代表に辞令をお渡しした。とても寒い日だった。まさに心身ともに引き締まる。