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Vol.63 和仏法律学校校外生の「学生証」と「修業証」

2013年08月22日

裏面に小泉休一郎の名が記された「校外生ノ證(学生証)」。「ほ第四〇八号」は学籍番号だろうか。表面にフランス語で「学生証 和仏法律学校校外生が使用」という意味のことが印刷されている。現在の通信教育部の学生証(右)と比べると、かなり大きな学生証だ(個人蔵)

裏面に小泉休一郎の名が記された「校外生ノ證(学生証)」。「ほ第四〇八号」は学籍番号だろうか。表面にフランス語で「学生証 和仏法律学校校外生が使用」という意味のことが印刷されている。現在の通信教育部の学生証(右)と比べると、かなり大きな学生証だ(個人蔵)

今回紹介するのは、和仏法律学校当時の「校外生ノ証」と「修業証」です。「校外生」とは通信教育によって法律学を学んでいた学生で、通学課程とは別の制度として設けられていました。

学生証にあたる「校外生ノ証」は、花模様の枠囲みにフランス語をあしらった洒落たデザイン。裏面に学生の氏名と思われる「ほ第四〇八号 小泉休一郎」の文字が墨筆されていますが、発行年は不明です。

中西由之助は校外生修業後に正課通学生となり、1902(明治35)年に卒業、同年に弁護士試験に合格し、京都で弁護士を開業、晩年に絲屋(いとや)姓に改姓した。氏が和仏法律学校時代に残した講義の筆記録は、その一部が絲屋家から本学に寄贈され、当時の教育の実態を伝える貴重な資料となっている

中西由之助は校外生修業後に正課通学生となり、1902(明治35)年に卒業、同年に弁護士試験に合格し、京都で弁護士を開業、晩年に絲屋(いとや)姓に改姓した。氏が和仏法律学校時代に残した講義の筆記録は、その一部が絲屋家から本学に寄贈され、当時の教育の実態を伝える貴重な資料となっている

「修業証」は校外生の課程を修了したことを証明する証書で、1900(明治33)年1月に学校長・梅謙次郎の名で発行されたものです。

現在の通信教育部は、1947(昭和22)年に開設された日本で最初の大学通信教育課程として知られますが、戦後の混乱の中、他に先駆けて通信教育部を開設できたのは、東京法学校時代の「中央法学会」と、それに続く和仏法律学校時代の「校外生」制度という通信教育の基礎があったからです。

ボアソナードが教頭を務めた東京法学校の「中央法学会」は、1885(明治18)年に薩埵正邦を会頭に発足した法律の通信教育機関で、1888(明治21)年に第1期卒業生を出しています。しかし、翌1889年に東京法学校が東京仏学校と合併して和仏法律学校となったのに伴い解散、通信教育は和仏法律学校の「校外生」制度へと受け継がれます。

1890(明治23)年1月開設の「校外生」制度は、講義録による法律学通信教育が大きな反響を呼び、第3期生を募集する1893(明治26)年頃には学生数が8000人を超えるほどの盛況ぶりでした。校外生制度はその後も続き、本学には明治から大正期にかけての講義録が残されています。

さて、今回の2つの資料を見比べると、いずれも和仏法律学校の証書ですが、「校外生ノ証」は「特別認可私立和仏法律学校」、「修業証」は「司法省指定文部省認可私立和仏法律学校」と、認可形態が異なっていることがわかります。和仏法律学校が「特別認可」を受けたのが1888(明治21)年9月、「司法省指定文部省認可」が1893(明治26)年12月であることから、「校外生ノ証」はその間に発行されたものと推測され、2つの資料には10年前後の隔たりがあることになります。校外生関係のこうした資料は収集数が少なく貴重なのですが、和仏法律学校の変遷を示す歴史資料としてもまた貴重といえるでしょう。

取材協力:法政大学史センター 江戸惠子、古俣達郎