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Vol.41 法政大学大学史ほか 所蔵資料 入学試験についての記述

2012年03月15日

入学試験についての記述

和仏法律学校九段上校舎(明治23年竣工)

和仏法律学校九段上校舎(明治23年竣工)

法政大学は、1880(明治13)年に東京法学社として創立(後に東京法学校と改称)、日本の法学の先人が情熱を注ぎ、法政大学の歴史を築いてきました。
先人の意志を引き継ぎ、学生たちが今日も伝統を守り続けています。
今年も多くの受験生が法政大学を志願し、入学試験に挑みました。現在当たり前のように実施されているこの入学試験、実は最初から行われていたものではありませんでした。
1882(明治15)年10月当時、入学試験を課してはおらず、150人を定員とし、入学を許可していました(『法政大学八十年史』)。
1884(明治17)年4月には800人を定員とし、小学卒業以上の学力のある者であれば入学を許可すると改定されています。

和仏法律学校の入学試験広告 東京日日新聞(明治22年9月21日)

和仏法律学校の入学試験広告 東京日日新聞(明治22年9月21日)

1885(明治18)年の時点で全学年の人数が350人、その中で8人が卒業を果たしました。卒業者が極めて少ないのは、卒業試験が厳しかったことと、在学中に代言人(現在の弁護士)資格を取得するなどの理由により退学してしまう学生が多かったためと考えられます。
1885(明治18)年には日本水彩画の大家であり、美術雑誌『みづゑ』を刊行した大下藤次郎も東京法学校に在籍していました。
1886(明治19)年12月23日には入学規定が一部改定になり、尋常中学校卒業証書を有する者、もしくは国語・漢文・数学(四則・分数・比例)・地理・歴史の5課目を修める者は入学を許可するという記述が残されています。

下資料の入学試験に関する記述

下右資料の入学試験に関する記述

1888(明治21)年5月20日には、特別認可学校規則が設けられ、年齢満17歳以上にして尋常中学校卒業証書を有する者、もしくは国語・漢文・外国語・地理・歴史・数学の試験を経た者に限り、入学許可が下りるよう改定されました。ここに書かれている特別認可学校とは、法政大学、明治大学、中央大学、早稲田大学、専修大学の5校を指しています。この年より入学試験制度が始まり、私立大学の歴史が大きく変わった年でもあります。
1888(明治21)年10月20日『東京法学校雑誌』には入学試験の案内が掲載されました。そこには受験規定が、また1889(明治22)年4月20日には試験の日程が掲載されています。
東京法学校から和仏法律学校に改称後、東京日日新聞(現在の毎日新聞)には、特別認可入学試験科目が掲載されました。国語、地理、漢文、歴史、仏語(または英語)、数学の6科目が記されています。徐々に現在の入学試験に近い形になっていくのがわかります。

東京法学校入学試験 東京法学校雑誌第10号(明治21年10月20日)

東京法学校入学試験 東京法学校雑誌第10号(明治21年10月20日)