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Vol.14 北軽井沢「法政大学村」~その2~

2011年07月27日

法政大学ゆかりの地

国道146号線の北軽井沢交差点から「大学村」に向かって東に折れてすぐ、旧道に沿って左折すると、北軽井沢商店街の中心である旧北軽井沢駅前広場に出ます。その一角に、赤茶色の寺院風の屋根が目を引く、旧北軽井沢駅舎が残されています。
北軽井沢駅はもともと、軽井沢~草津間を運行する草軽電気鉄道の地蔵川停留所でしたが、1929(昭和4)年、法政大学村が駅舎を新築して草軽電鉄に寄付し、北軽井沢駅と改称しました。

旧北軽井沢駅舎の正面側。駅舎は日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」(木下恵介監督・1951年)のロケ地になった。

旧北軽井沢駅舎の正面側。駅舎は日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」(木下恵介監督・1951年)のロケ地になった。

駅舎のホーム側。手前の駅表示板と並行して線路があり、赤茶色の柱が見える部分がホーム。屋根のあるホームは当時めずらしかった。

駅舎のホーム側。手前の駅表示板と並行して線路があり、赤茶色の柱が見える部分がホーム。屋根のあるホームは当時めずらしかった。

正面入口の欄間にあしらわれた法政大学のイニシャル「H」。駅前広場には「北軽井沢開発の碑」などが見える。

正面入口の欄間にあしらわれた法政大学のイニシャル「H」。駅前広場には「北軽井沢開発の碑」などが見える。

駅舎は木造トタン葺き、正面玄関は和洋折衷のモダンなつくりで、欄間(らんま)には法政大学のイニシャル「H」がデザインされています。法政大学村の初代村会議長・野上豊一郎教授(後の学長・総長)夫人で作家の野上弥生子氏は、「駅の建物も、はじめの藁小屋とは似もつかぬ当時としては思い切った立派なものを作ったのです。(中略)あの欄間を見て下さい。あの白い格子は、よく見ると法政の頭文字のHを連ねたもので、これも大学村の歴史を証明するものといえましょう」(『大学村五十年誌』所収「草分けの頃・戦中・戦後」より)と記しています。
1962(昭和37)年に草軽電鉄が廃線となってからは、草軽交通の事務所のほか、本学OBが喫茶店に利用していましたが、2005(平成17)年に長野原町が敷地・建物を譲り受け、保存修理を行いました。この建物は草軽電鉄の駅舎で唯一残っているもので、国の登録有形文化財(建造物)に指定された際に、大学村組合より法政大学へ情報提供がありました。
ところで、「大学村」の北側にある照月湖と湖畔のホテルも、「法政大学村」ゆかりの場所です。
北軽井沢駅が完成した年、法政大学村は村民の社交と憩いの場とするため、大学村倶楽部(くらぶ)を建設します。建坪354坪の建物は、法政大学校舎の古材を利用したといわれ、食堂、大浴槽、談話室、娯楽室があり、岩波家寄贈の岩波文庫を並べた書棚もありました。しかし戦後、第三者に譲渡され、観光ホテルとして利用されるようになりました。
翌1930(昭和5)年、村内にそそぐ渓流をせき止めて人造池を作る計画が実施に移されました。翌年完成した約1万坪の「沢池」が、現在の照月湖です。池畔の自然破壊と観光地化を恐れ、小さな池の造成にとどめたところに、法政大学村の理念がうかがわれます。

建築中の北軽井沢駅(「大学村五十年誌」より転載)

建築中の北軽井沢駅(「大学村五十年誌」より転載)