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【総長対談】田中優子総長×京都大学山極壽一総長

  • 2019年12月02日
  • コラム・エッセイ
  • 教員
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キャンパスの窓から見える世界に向かってワイルドに行こう!

“出会い”と“対話”を通して成長できる大学へ

「大学はジャングルだ」

田中 京都大学総長になられて5年になりました。どんな方針で大学運営をされていますか。

山極 僕の場合は当初、総長になりたいとは思っていませんでしたが、教職員全員による予備選挙で上位10名に選出され、本選挙に出ることになったんです。その時に「京都大学に望むこと」を発表することになり、「学生中心の大学にする」「総長をリコールできる制度を創る」と書いたのが大学運営を意識した最初でした。
その後、総長に就任してからは、「WINDOW」構想というものを打ち出しました。かつて大学は聖域で日常世界と区別する境界として「門」が使われていました。しかし、そうした考えが反作用となってしまった面もある。だから、門ではなく「窓」にしよう、と。社会や世界に通じた窓を教職員と学生が一緒に開け、そこから飛び立つ学生の背中を押すことを大学共通の目標として提案しました。WINDOWのアルファベットごとに標語を書きましたが、最初のWは「Wild and Wise」「野生的で賢い学生を育成する」としました。ゴリラの研究で、フィールドワークを行って鍛えられた私の思いをWildという言葉に込めさせてもらいました。京都大学は昔から「対話を根幹とした自由の学風」と言われていますが、自由の前に対話がある。学生にはキャンパスの外に積極的に出て行って、いろいろな人たちとの対話やフィールドワークを通して自分の発信力や自分がどのように見られているかを認識しながら新しい考えを紡いでいってほしいと思っています。

田中 それまでフィールドワークの機会は少なかったのですか。

山極 壽一さん

山極 壽一さん

山極 あったことはあったのですが、ある調査の「京大生は独創力があって面白いけれども、コミュニケーション能力と交渉力が低い」という結果が気になったんです。学生達に聞いてみると「コミュニケーション能力は大学の中で鍛えるものではない」という声があがりました。

田中 むしろ外でこそ鍛えられるのですね。

山極 そう。だからもっと外へ出てほしい。僕は学生運動世代だったので授業がない時は飲み屋が学びの場でした。そこでいろいろな職業の人と話したことがバイタリティーとなった。

田中 「大学はジャングルだ」ともおっしゃっています。迷ったら大変ということでしょうか。面白いです。

山極 実際、僕はジャングルで何度か迷って生死の境をさまよったこともあります。ジャングルにはガイド役が必要です。ゴリラのいる世界では月も星の光も届かない、手の先も見えない真っ暗闇がありますが、現地の人のアドバイスに従って裸足で歩いてみたところ、獣が歩いた跡を感じることができて無事にテントまで帰れた経験があります。ガイドは虫でも鳥でもゴリラでもいい。導いてもらった上で、全身の五感を研ぎすますと多様な生き物がそこで共存していることがわかってくる。それが重要なんです。
ジャングルにも大学にも、お互い何者かわからないくらいの多様性に満ちた存在が共存している不思議さがある。新しい種が常に生み出されるし、外の世界とも頻繁に出入りする循環がある。そして、そこを知るためにはガイドが必要です。大学には一生そこで学んでも全てはわからないくらいの厚みと広がりがありますが、それを可能にするのは知識や技術の蓄積です。これは政治がいくら変わっても倒れるものではない。だからこそ大学は社会に新しいことを発信できるんです。

生きるための直観力を鍛えよう

田中 私は大学を広場に見立てて『自由という広場』という本を出しました。多様な人が出入りする大学で異質な人と出会ってきた私自身の経験から広場というイメージが出てきましたが、ジャングルの方が多様性がありますね。

山極 広場はまさに出会いの場。素敵な表現です。広場があって、出会いがあって対話があって、そして選択があり創造がある。僕がジャングルと言ったのは、サバンナは見通しがいいけれど相手との間に距離がある。ジャングルでは距離がなくていろいろなものが隠されているので、突然何かに出会うことがある。その瞬間、対処しなければならない。その時に一番必要なものは直観力です。対話には直観の面白さがあります。読書をしても書き手にもの申すことはできないけれど、対話では言える。相手の表情や声の調子を瞬間的に判断しながら次に自分の言うことを考える。相手によって自分が変わることもある。それは楽しい作業なんです。哲学者の鷲田清一さんは「関西はダイアローグ、関東はディベート」とおっしゃっていましたが、勝負の要素があるディベートも面白いけれど、提案と修正を交互に繰り返しながら最後はお互いが全然違う意見になることもあるダイアローグも非常に生産的だというのが関西的な考えです。僕は東京生まれですが、大学からは関西文化圏に身を置いてきたので実感としてわかります。

田中 対話は目的や課題解決のためにしているわけではないということですね。

山極 そう、雑談に近いですよね。馬鹿なことをいろいろ言っているうちに「面白いやん、やってみようか」という発想とエネルギーが創られる。

田中 教育の現場に対話の面白さがなかなか入ってこないのは残念なことです。打ち負かされるし、主張しなくてはいけないというイメージで、学生にとってはストレスと緊張を感じるものになっているように感じます。学生が対話を面白いと思える何かを提供しなくてはなりませんね。山極総長ご自身は、学生時代にどんな学びを経験されましたか。

山極 学生時代は今西錦司先生や伊谷純一郎先生から「文献は読まなくてもいいから、お前が体験したことを語れ」「頭で考えるな、身体で考えろ」というようなことを言われました。サルを研究する際は、サルのやる通りに動いてみる。自然というものはこれほど心地良いものかと感じることが大事なんです。

田中 観察するんじゃなくて、サルになる。身体と五感で理解するわけですね。

山極 サルに成り代わって生活記録を書くよう言われました。サルと行動を共にしながら仲間や自然がどう映るのか感じろということです。長野の地獄谷温泉でニホンザルの研究を始めた時は、一緒に生活しながら100頭ぐらいの名前をすべて覚えました。最初は同じ顔に見えたサルが2週間目から夢に出てくる。それと同時にそれぞれのサルの顔が識別できるようになったんです。

田中 類で見るのではなく、個で見ると関係も変わってくるんですよね。パーソナリティが見えてくる。

山極 外国人研究者は番号を付けて観察していましたが、それでは類で見るという意識から抜けきれない。日本人研究者は個体識別を行い、各個体を識別し名前を付けることで違うアプローチの方法を取りました。サルにも「社会」が認められると最初に発表したのは日本の霊長類学者なのです。

田中 人と動物のあいだの距離が近いのだと思います。あまり人間と区別しない。その後、ゴリラのフィールドワークでアフリカに行かれました。

山極 僕らのフィールドワークは「捨て子制度」と言われていますが、先輩が学生を現地に置き去りにする。1年間、言葉もわからない現地の冠婚葬祭などを体験しながら異文化を知り、友だちを作ってなんとかやるしかない。僕がザイール共和国にいた時も必死でいろいろな人を籠絡(ろうらく)して調査許可を取りました。最初は大変でしたが、その後はすべて顔パスとなりました。形式上、多くの書類手続が必要なのですが、裏の人間関係があればなんとかなった。食事をして酒を飲んで語り合い、人として信用してもらう。それが交渉術です。書類だけではどうにもならない。

田中 ゴリラと付き合うには、人とも付き合わなければならないわけですね。それが生命線になる。

山極 調査のためには現地の人に信頼される必要がある。ところが特定の人と近くなり過ぎても他の人と付き合えなくなったり、思わぬ敵ができたりする。そこが非常に難しい。適度な距離を保ちつつも相手の心に入り込まなければ、知りたいことや新しいことを知ることはできません。そしてさらには自分のために命をかけてくれる友人関係を築かなければならない。アフリカでは恨まれると毒を盛られたりして死に直結することもありますから。

言葉が内面化されて深く知ることができる

田中 そうした人間関係の創造は研究者として重要なだけではなく、人間として生きていく上でも大切なことですよね。でも、今の学生にはなかなか難しいのはどうしてなのでしょうか。

山極 文化や倫理は頭ではなく身体で覚えるものですが、その機会が失われているのでしょう。かつての日本人は、例えば「あんなことをしでかして馬鹿な奴だ」とか「こんなことをしたから褒められた」とか、そういった噂話を身を震わせながら見聞きして育ってきました。その経験が自分を律する道徳となり、成長の過程で危険に遭遇した時に機能する直観力にもつながっていったわけです。今は情報だけはあっても身体とつながっていない。

田中 インターネットによって生身の人間としての生活時間が減った可能性はあります。大学としてはどのように働きかけていくべきでしょうか。

山極 外国人研究者や留学生との対話の機会を創ることが重要です。

田中 対話は、多様性社会でもっとも大切なものですね。日本は今や、言葉なしでわかってもらえる社会ではない。法政大学もダイバーシティ宣言をおこないました。大学にはグローバル化が要請されていますが、グローバル化はダイバーシティと一体化しておこなわねばならない、と私は思っています。山極先生は多民族的な多様性が大切とおっしゃっています。

山極 英語一辺倒の語学教育はナンセンスです。僕なんかスワヒリ語の方が日本語より上手ですし、ゴリラ語も話します(笑)
学生にも、自分がつきあいたいと思う人や文化と向き合いながら言語を学ぶよう指導しています。それが異国と日本の文化を比較しながら新しいことを創り出す原動力となるからです。特にアジアなどは、隣り合う国々なのに第三国の英語で話すのは悲劇ではないでしょうか。情報交換だけなら自動翻訳機などのツールがありますが、言葉をしゃべりながら文化が内面化されて初めて理解が深まることが多い。

田中 江戸時代、日本は中国文化圏に属していましたが、中国を中心とするグローバル化のなかで、逆に日本語への関心が深まり日本語研究が始まりました。『古事記』が注目され、国学が生まれ、擬古文と言われる平安時代の文章でものを書く人も出てきた。ところが今は日本語への関心が失われていることが気になります。

山極 日本語で表現されてきた自然も失われてしまい、子ども達がひらがなに埋め込まれた情緒を理解できなくなっています。風景は言葉によっても創られているので今後が心配です。

田中 私たちは近代に入って多くの感覚を失ってきました。和歌の歌枕や色や音や連想方法も伝承され、俳諧などに受け継がれましたが、それらも失われつつあります。先祖が着ていた着物の端切れを縫い合わせて次の世代に引き継ぐ伝統をもつところがあるのですが、着物そのものがなくなってきています。一枚一枚の布が動植物の生命から生まれ、使った人の魂がこもっていると考えられてきたのですが、その感覚も消えています。また、江戸時代では絵を描く人、歌を詠む人、文章を書く人など複数の人間が一人の人間の中にいる、と実感され、その人ごとに異なる名前をつけて、複数のネットワークを形成していました。そうした個人のなかの才能の多様性や、存在の多様性への認識も失われています。

山極 その感覚は素晴らしい。それを現代に作り直したらいいと思います。例えば、僕はアフリカと屋久島と京都という三つの故郷を持っています。それぞれの土地で僕は違う自分を演じていますが、自分の中では共存している。

田中 自分自身のなかの豊かさですよね。江戸時代はLGBTも通常のこととされていました。男であること、女であることも演じ分けられるし共存できる。

山極 人格の使い分けができなくなったのは社会からのプレッシャーも大きい。それなら敢えて居場所を変えてみたらいいと思います。かつては単線型の人生でしたが、今の時代2つの場所を行き来しながら複線型の人生を生きることも可能です。

田中 単線型にこだわるのは競争に勝ちたい発想があるからかもしれません。

山極 日本では多才な人はなかなか評価されないですよね。実は僕はゴリラよりも長くニホンザルを研究しているのですが、いつもゴリラの研究者として評価される。日本社会では何かに執着してやり遂げている人が持ち上げられるし、その人のアイデンティティーを皆で作りたがるから、自分で自分を決められない。だからこそ、環境を変える必要があるんです。違う場所で違う人間とつきあわないと違う自分を発見できない。

田中 他の人の多様性を認めるのはもちろん、自分の中にも多様性を持つ。それを大学で推奨したいです。

山極 京都大学では海外体験支援制度を行っています。全て自分で手配や交渉を行う条件で海外体験を企画してもらい、毎年上限30万円の資金を30人にサポートしています。勉強でなくても企画が面白かったらいいので、毎年150人もの応募があります。体当たりで交渉するのも、挫折するのもすべてが貴重な経験です。皆、人が変わったように一皮も二皮も向けてたくましくなって帰ってきます。

田中 まさに大学生しかできない経験ですね。法政大学の卒業生を見ていても本当に生き生き働いている人は、学生時代にいろいろな経験をしている人が多い。今のお話で留学にもいろいろな形があると気づきました。たいへん楽しい対談でした。本日はありがとうございました。

京都大学総長 山極 壽一(やまぎわ じゅいち)

1952年東京都生まれ。1975年京都大学理学部卒業。1980年同大学院理学研究科博士後期課程単位取得後退学。理学博士。ルワンダ・カリソケ研究センター客員研究員、日本モンキーセンターリサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科助教授を経て、2002 年に同研究科教授に。2014年10月から京都大学第26代総長に就任。環境省中央環境審議会委員、日本学術会議会員、河合隼雄学芸賞選考委員などを務める。主な研究分野は人類学、霊長類学。ゴリラ研究の第一人者。著書に『ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」』(毎日新聞出版)、『「サル化」する人間社会』(集英社インターナショナル)、『家族進化論』(東京大学出版会)、『京大式おもろい勉強法』(朝日新書)、『暴力はどこからきたか』(NHKブックス)等がある。

法政大学総長 田中 優子(たなか ゆうこ)

1952年神奈川県生まれ。1974年法政大学文学部卒業。同大大学院人文科学研究科修士課程修了後、同大大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。2014年4月より法政大学総長に就任。専攻は江戸時代の文学・生活文化、アジア比較文化。行政改革審議会委員、国土交通省審議会委員、文部科学省学術審議会委員を歴任。日本私立大学連盟常務理事、大学基準協会理事、サントリー芸術財団理事など、学外活動も多く、TV・ラジオなどの出演も多数。