総長メッセージ

2016年度学位授与式 告辞

2017年03月24日

総長メッセージ

皆様、卒業おめでとうございます。保護者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。

卒業にあたって、皆さんにひとつの言葉を贈りたいと思います。それは「自由を生き抜く」という言葉です。

約1年前、2016年度初頭に、法政大学は大学憲章を発表しました。その憲章に、「自由を生き抜く実践知」という言葉を冠しました。1年前ということは、皆さんが在学中のほとんどあいだ大学憲章はなかったわけですが、2年間をかけ、法政大学は社会に対する「約束」を明確にしようと、教職員が協力し合って「ブランディング」という作業を積み重ねていました。

「ブランド」という言葉を知っていると思います。これは単に知名度を表す言葉ではなく、社会への約束を意味するのです。つまり社会からの長い間の信頼がなければブランドは確立されません。法政大学は135年の歴史をもち、すでに社会から信頼されている大学です。それを基盤に特徴を言葉にし、さらに信頼される大学になろうと、憲章を制定したわけです。信頼される大学であり続けることは、卒業した皆さんへの社会からの信用につながります。皆さんは生涯、法政大学の卒業生であることを担って、社会で働きます。法政大学が高く評価されれば皆さんの役に立ち、また、皆さんが社会で良いお仕事をされれば、大学の信頼度はさらに上がるのです。法政大学はそのためにも、大学憲章を背景に、確固たるブランドであり続けます。皆さんもどうぞ、ご自身のために、「法政大学の卒業生は素敵だ」と思われるような生き方をして下さい。

さて、皆さんがほとんど接する機会がなかったこの憲章の言葉の中で、卒業後にも大事にして欲しいのが、「自由を生き抜く」という姿勢です。「自由」は法政大学に建学以来受け継がれてきた精神です。法政大学は、法学によって近代市民社会の基礎を作った大学のひとつです。戦後は空襲で校舎の大半を失いましたが、学徒出陣や勤労動員から戻った学生たちによって自主的に再開されました。そしてそこに、戦後民主主義を推進する、自由を大切にする学者たちが集まってきました。私は1970年代に法政大学の学生でしたが、私の世代は、そのような先生方に教えを受けたのです。自由の気風はひとつには学生の自主性を生み出し、もうひとつには教授陣の生き方と研究に反映しています。

高度経済成長期には、「自由」という言葉は自主独立の意味より、消費における自由奔放を意味するようになりました。しかしこれからの世界で、自由は再び重要な意味を帯びるようになります。国家主義と力の覇権が個人を脅かす時代になるかも知れません。日本のグローバリゼーションはさらに進みます。グローバリゼーションは、一方では多様性を認める社会に向かいますが、もう一方では画一化をもたらし、格差社会の一要因となっています。この矛盾のなかで自由を生き抜くには、個人が互いに多様性を認め合いながら、国家主義と覇権争いの犠牲になることなく、個人のつながりとしてのグローバリゼーションに向かっていく必要があります。

グローバル化だけでなく、人の流動化、人工知能の出現、少子高齢化、地域の問題、大きな負債、世界の不安定、日本はそれらを抱えて世界のなかで生きていくことになります。変化が好きな方々には、新しい仕事が次々と出現し、多様な国の人たちとつきあう、たいへん面白い社会です。一方、安定という意味では今までのようにはいかなくなります。今後も大きく変化していく世界と日本において必要な能力や知性とは、この変化に対応できる知性です。

しかし単に臨機応変ということではなく、自分とは異なる環境や境遇のなかで生きてきた人への想像力をもちつつ、社会と環境にとって最適な判断ができる知性が必要なのです。そして、その判断が個々の価値観に根ざしていることです。「自由を生き抜く」とは、その個々の価値観を大切にすることです。変化する世界で自由を生き抜くために、迷いの中で自ら学び、他の意見に耳を傾けて絶えず知識を更新し、考え続けて下さい。

自由を生き抜く能力を身につけるために、現実に根ざした「実践知」というものが必要になります。「実践知」はギリシャ哲学で「フロネーシス」と言い、「深い思慮」を意味します。現実社会に根を張り、たとえ不都合な現実であってもそれに直面しながら、それぞれの立場で、理想に向かって課題を解決していく知恵であり知性です。私たちはしばしば、現実に押しつぶされそうになります。しかし自由を生き抜くとは、現実を無視して空想の世界に遊ぶことではありません。現実に妥協して自分の本心を封じ込めることでもありません。現実を観察し、よく知り、理解し、他者の自由を尊重しながら、まっすぐ前を向いて、自分の生き方で生きていくことです。

そのような能動的な生き方をするにはどうしたらいいのでしょう?アメリカの臨床心理学者ガイ・ウィンチという人の講演を、インターネット上で聞いたことがあるのですが、たいへん興味深い事例を話していました。

ウィンチさんは、ある保育所を訪ねたそうです。3人の子供が同じ道具で遊んでいました。それは箱の形をしていて、赤いボタンをスライドすると子犬のおもちゃが飛び出す仕組みでしたが、この子供たちはその方法を知りません。
ある女の子が、紫のボタンを引いたり押したりしていました。何も起こりません。後ずさりして箱を見ながら、下唇をふるわせました。
彼女の隣にいた男の子は、この様子を見て、自分の箱に触りもせずに泣き出しました。
しかしもうひとりの別の女の子は、思いつく限りのさまざまな操作をやり尽くして、とうとう赤いボタンをスライドし、子犬が飛び出しました。彼女は大喜びでした。

この話が印象に残ったのは、大学でも同じような光景を見てきたからです。設定されている目標に向き合ったとき、ちょっとやってみただけで「できない」とあきらめてしまう学生、やってみる前から「難しそうだ、面倒だ」と目をそむけてしまう学生、そして方法がわからなくても、さまざま試みて自ら方法を発見する学生です。

ウィンチさんはこれを、3人の能力の違いとは考えませんでした。みな、赤いボタンの操作を発見する能力はあったのですが、できなかった唯一の理由は、彼らの心が「できない」と信じこんだことだ、と結論しています。これを「無力感」と言い、自尊心の低さだと言っています。多くの研究から、自尊心が低いほどストレスや不安に弱く、失敗による傷も深くなり回復に時間がかかることがわかっているそうです。そして、身体の健康と同時に心の健康に気を配り、ネガティブな思考におそわれた時は、ほんの数分でも他のことに気持ちを集中してそらす、という応急処置をすすめています。それは現実を認めないという意味ではありません。現実を感情的にとらえるのではなく知性で理解する次元に置き直し、自尊心の問題も含め、自らの環境や社会の課題としてよく考える、ということなのです。社会と自分の関係を考える、その過程に「自由」があります。

いわゆるブラック企業だけでなく、大企業のなかでも心の健康を保てないことがあることを、長時間労働による自殺の事件で私たちは知っています。自分の心身の健康を保ちながら能力を発揮し、自由を生き抜くためには、上司や組織に従うだけでなく、自らの働き方を自ら編み出し主張することも重要なのです。「自由を生き抜く」という言葉を、どうか覚えておいてください。

ところで、皆さんは今日卒業していきますが、校友会の一員として、これから卒業生のネットワークを大いに活用することができます。校友の絆を使って未来を開いていって下さい。皆さんがその絆を断ち切らなければ、校友会も大学も、皆さんを応援することができます。

今日はお別れの日ではありません。旅立ちの日です。これからも法政大学のコミュニティの一員として、一緒に、この変化の激しい厳しい社会を、希望をもって乗り越えていきましょう。

あらためて、卒業、おめでとうございました。


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