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【総長対談】好きなものを見つけ、狂気を持って入り込み、世界を広げていって欲しい 経済学部経済学科 藤沢 周 教授

  • 2017年05月01日
  • コラム・エッセイ
  • 教員
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カギかっこ付きの文学ではない本物の文学を学んだ

田中 法政大学のご出身ですが、当時の話しをお聞かせください。

藤沢 文学部の日本文学科で学びました。1980年代当時の法政大学には、小田切秀雄、小田実、益田勝実、松田修、立石伯といった、現役で作品を発表している錚々たる先生方がいました。「こんな大学はほかにはない!」と思い、入学を決めました。現在、経済学部で教えていますが、今でも現役で社会に向けて発信されている先生が多い。法政の伝統ですね。

田中 同感です。私は70年の入学ですが、藤沢さんが挙げられた先生がたのほかに、広末保がいて、西郷信綱先生も兼任で来ておられました。高校生の時からすごい先生がいる大学だと感じていました。

藤沢 入学後は、こうした先生方に大いに鍛えられました。松田修先生はきれいな肌の男子学生に向かって「入れ墨をいれてみたらどうかね?」などと授業中に本気で言ったり、授業は横において山登りの話を熱心に続けたり。益田勝実先生は机の上に座って授業をされていた。立石伯先生はいいかげんなリポートには「こんなものはずたずたに引き裂いてやる!」とものすごい剣幕でした。この大学では、「カギかっこ付きの文学ではない本物の文学」が学べると感じました。

田中 入学前から作家をめざしていたんですか。

藤沢 はい。僕は新潟県の海に近い所の出身で、何かあったらとりあえず海に行くという環境で育ちました。友達に悩みを相談する時も、女の子の話をする時も海に行っていましたし、風邪をひいても家族から「海にいって泳げば治る」なんて言われていました。浪人中も毎日のように海に通っていましたが、ある冬の日、「自分はこの雪景色をどうしてきれいと感じるんだろう」とふと思った。でも、どうしてもその美しさを言葉で表せない。言葉と現実と自分が乖離した感じがして気が狂いそうになりました。悩みながら海に通ううち、ものすごい瞬間が訪れた。突然、現実と自分が一体化したんです。海が自分で、自分が海。「主客合一」とでもいうような境地でした。そのとたん、自分の中に言葉が再び戻ってきた。この時の体験があって、自分は作家になろうと決意したんです。

田中 大学時代から小説を書いていたんですか。

藤沢 僕は3年浪人しましたので、その間も小説を読んだり書いたりしていました。大学入学後は、とにかく書きまくりました。ある時、小澤勝美先生に小説を読んでもらったんです。「まだまだ甘い」と原稿を返されましたが、ものすごく丁寧に赤字を入れてくださった。その後、小澤先生に北村透谷を研究しないかと声をかけていただき、『内部生命論』と出会いました。今でも透谷の言葉は僕の中に生きていますし、『内部生命論』は自分のライフワークだと思っています。当時は若さ故の万能感がありましたが、透谷や漱石について教えられ、良い意味で自分を壊された。そのことに感謝しています。

田中 実は、私は入学当初、江戸文学に全く関心がなかったんです。近代文学の小田切秀雄先生のゼミにいて、評論家やジャーナリストといった物書きをめざしていました。ところが昭和文学の石川淳を研究しているうちに、江戸文学と出会ってしまった。そこで、私もある意味自分を壊されたんです。自分が文学ってこういうものと思っていたものとは全く違うところに連れて行かれ、この世界にこういうものがあったのかという出会いをした。

藤沢 大学には、多くの出会いがある。自分の狭い世界が壊され、そして広げてもらえる。学問だけだったら独りでできますが、大学にはそれだけではない面白さがある。先生との出会い、友達との喧嘩。そういう経験が大事なんです。特に法政には、ものすごく頭のいい奴もいれば偶然ひっかかったのもいる。バラエティー豊かなのがいい。

経済学部経済学科 藤沢 周 教授

経済学部経済学科 藤沢 周 教授

やりたいことは手放してはいけない

田中 就職活動はしましたか。

藤沢 作家になるつもりでしたのでしませんでした。賞の選考にはある程度までは残ったりしていたので、「卒業する頃には作家になれるのでは」と思っていましたが、甘かった。いよいよ卒業となった時、新潟の母には「大学院に合格した」と嘘をつき、日雇いの肉体労働をしながらの生活を始めました。ジーンズのポケットには梶井基次郎の文庫本。作家になることを、どうしても手放すことができなかった。細々と書き続けているうちに、書評紙を発行する図書新聞に拾われました。そこで編集者となり、なんとか物書きの世界から離れないでいられた。

田中 そこで、森敦さんとの出会いがあったわけですね。

藤沢 松尾芭蕉についての対談企画に森敦さんと高橋英夫さんに来ていただいたが、理路整然と話される高橋さんに対して森さんは、芭蕉が行ったどこそこのカニはうまいとか、記事にならないことばかりお話になる。原稿をおこす段階で困り果て、森さんから「君に任せる」と言われたことをいいことに、森さんの芭蕉に関する著作を参考に対談にはなかった話をまとめたんです。発行日の翌日、森さんから「藤沢君はいるかね?」と電話があった。声を聞いた瞬間、完全に怒られると思って「すみません!」と言うと、「違うんだよ。今すぐ来なさい」と言われた。ご自宅に伺うと、「君は作家のにおいがする。小説を書きなさい。一日一枚書きなさい」という言葉をいただけました。その時、「やっぱり書こう」と思えた。それで書いたのが、デビュー作です。

田中 お話を聞き、自分のやりたいことを手放さないで、その近くにいることが大事だと改めて思いました。気持ちも安定するし、喜びもある。好きなことに接触していられるのは幸せなことです。
今の学生の就職活動を見てどんな風に感じていらっしゃいますか。

藤沢 今は選択肢がありすぎて、かえって自由が奪われている。これしかないと言われたらどんなに楽かと思っている学生もいるかもしれない。ネット社会の影響もあってか、思考する時間が短い学生が多いのも気になります。思考する体力が落ちていると感じています。
でも、未来の可能性があることはチャンスであることには間違いない。好きなものを積極的に見つけにいって、表面だけではなく、狂気を持って入り込んでいって欲しい。深く入り込むといろいろなものに共通する何かが見えて、突然世界が開ける時がある。そこでしか見られない風景を見てほしい。
 

田中 就職してすぐにやめる若者が非難されることがありますが、私は問題ないと思っています。ずっと同じ場所にいる必要はない。組織に依存しないで組織の中で自分を生かしていくうちに、これだと思えるものが見つかるものです。

藤沢 同感です。仕事を変えても、自分を磨く段階だと思ってがんばってほしいです。

自由に考えて自由に行動することが本物の知性

田中 藤沢さんは作家でもありますし書評家でもあって、関心が広いですね。最近では、AIについて書かれていたことを面白く読みました。私、ビッグデータやハッカーの世界に興味があるんです。自分の能力を駆使して、世界を良くも悪くも変えることができる技術を持つ人は、ハッカーにもなり得るし革命者にもなり得る。危険な存在です。

藤沢 最先端を行きつつ、一番人間性がためされる分野ですよね。実は、僕もハッカーを主人公にした小説を書いたことがあります。

田中 書評は難しいですか。

藤沢 本から自分自身のポテンシャルを発見できる面白さがあります。ただ、言葉を扱う仕事は何事もやはり難しい。

田中 私も江戸時代のことを書いていても、今の言葉で切り取っているから実相とまるで違ってしまうこともある。実像に迫りたいと思っても、言葉にした時点で違う。ギリギリまで本当のことに近づけていこうとする作業をやっていくしかない。借り物の言葉で言ってしまうと、後味が悪いし、納得できないですから。

藤沢 言葉によって表現したと同時に、真実の世界には敗北する。僕もそういう葛藤を抱えながら書いています。言葉が豊かであればあるほど世界のひだを見極められると思うと同時に、知れば知るほど実相から遠ざかっていく。そんな矛盾を抱えている世界ですが、そこで勝負していかないといけない。

田中 『武曲』(むこく)が映画化されますね。

藤沢 作品の良いところを抽出して見事に映像化してくれています。俳優陣の剣さばきも素晴らしく、迫力のある映画に仕上がっています。

田中 ご自身も剣道をやられているそうですね。

藤沢 『武曲』は剣道に出会わなければ書けなかった作品です。46歳の誕生日から始め、今年5段に挑戦です。小学生だった息子を道場に連れて行って僕の方がはまってしまった。試合も出ています。

田中 公開を楽しみにしています。大学としても大いに宣伝したいです。最後に、法政大学の学生へのメッセージをお願いします。

藤沢 法政大学憲章「自由を生き抜く実践知」という言葉、本当にいいなと思います。自分が自由に考えて自由に行動する知性を鍛え上げられる大学だということが表現されている。

田中 法政大学で身につけてほしい知性は、きっちり固まっているものを覚える知性ではない。そういうものはつまらない、自分は自分だと思う学生が法政には多い。あらゆることに関わりながらも自由でいられる。そういう学生がいることも魅力の一つと思っています。

藤沢 「自分は自分でいい」ってとても強いことです。同調圧力に負けない姿勢は、自分の言葉で考えているからこそ出てくるもの。そういうのが本当の知性であり、想像力なんだろうと思います。

田中 世界の流れや国の政策から顔をそむけるわけではなく、巻き込まれるわけでもない。耳を傾け、しかし自分なりの道を行く。憲章でいう「自由」とは個人の自由のことだけではありません。大学が果たすべき自由でもあります。そういう気概を持ち続けたいです。本日は、ありがとうございました。

法政大学経済学部教授・小説家
藤沢 周(ふじさわ しゅう)

1959年新潟県生まれ。1984年法政大学文学部を卒業し、書評紙『図書新聞』編集者などを経て、1993年に『ゾーンを左に曲がれ』(『死亡遊戯』と改題)でデビュー。1998年『ブエノスアイレス午前零時』で第119 回芥川賞受賞。主書に『刺青』『陽炎の。』『幻夢』『心中抄』『焦痕』『第二列の男』ほか多数。鎌倉市在住。2004年より母校・法政大学経済学部の教授に就任し、「文章表現」「日本文化論」などを講じている。各種文学賞の選考委員、講演活動のほかテレビ&ラジオ番組に多数出演中。