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2020年・2021年入学式 廣瀬克哉総長 式辞

  • 2021年04月05日
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今回の入学式では3部制をとり、第1部・第2部では例年実施している入学式(2021年入学式)に加え、第3部では2020年4月入学者の皆さんをお招きすることとしました。
新型コロナウイルス感染症拡大の影響で昨年の4月は入学式が開催できず、その後も長きにわたりキャンパスに入構できぬまま学生生活を始めざるをえなかった皆さんを、あらためて武道館でお迎えしました。


 

2021年入学式 廣瀬克哉総長 式辞

新入生のみなさん、法政大学へようこそ。本年度から総長に就任しました、廣瀬克哉です。ご入学おめでとうございます。

今年は新型コロナウィルス感染症予防のため、入学式場には新入生だけの入場という形になりますが、多くのご家族のみなさんが、オンライン中継などで新入生を見守ってくださっていると思います。その皆様にも、心よりお祝いを申し上げます。

2021年度は、このようにコロナ禍のなかでの入学となりました。その中の最大多数を占める世代、この春、高等学校を卒業した人は、高校3年生への進級を目の前にしてコロナ禍による一斉休校が始まり、慣れないオンライン授業を経験し、秋から冬にかけても地域によってそれぞれ異なる感染状況下で高校生活を続けてこられたと思います。大学進学の準備をする時期に普通の授業ができないということに焦りを感じる場面もあったことでしょう。入学試験はちゃんと実施されるのだろうか、もしも入試の時期に自分が感染してしまったらどうしよう。そんな数々の不安もあったことと思います。それを何とか乗り越えて、いま法政大学に入学する機会を獲得された皆さんに敬意を表するとともに、心から歓迎したいと思います。

現在の状況下では、感染防止には十分に注意を払いつづける必要があり、いわゆる三密を避けることは必須です。新入生歓迎行事や家族でのお祝いなども、例年であれば盛大に行われる時期ですが、今は会食などの交流を以前のような形で行うことはできません。キャンパスの学生食堂には、アクリル板の仕切が設置され、席は距離をおいて配置され、食べている間はできるだけ話をしないように、と指導されます。友人たちと語り合いながら昼食をとることも、避けて欲しいのです。食べるときには黙って、語り合うときにはマスクをして、という風に皆さんにはお願いします。そのようにみんなが注意を払って過ごすことによってはじめて、キャンパスで感染が広がることを防ぎ、登校して教室で授業を受けたり、課外活動を行ったりする機会を守っていくことが可能になるのです。

そのため、コロナ禍の前までに思い浮かべられていたようなキャンパスライフは、残念ながら、まだ当分の間、実現することができません。全国から集った多くのさまざまな学生が法政大学にはいます。世界の各国から来た留学生や社会人入学の学生など多様な構成になっています。理系の研究室等では、学部生と大学院生がともに学ぶ場があり、社会人向けのコースがある大学院には、社会の第一線で活躍する責任ある立場の人も多数在籍しています。そして、キャンパスにおいては法政大学の一人の学生であるという点で、みんな同じ立場です。学部や学年が違えば、教室で会う機会はあまりないかも知れませんが、図書館で隣の席に座っていたり、課外活動や学内のイベントなどで顔を合わせる機会もあります。このようにして、法政大学という場では、高校時代までには出会ったことがないような人と知り合う機会がきっとあるはずです。

そんな環境の中で、新しい友人ができ、利害関係や生活の必要とは関係なく、自由な立場で、いろいろな交流の機会をもつことができる。それが法政大学の学生生活で得られるとても大切な価値です。勉学や研究によって得られる専門知識ももちろん大切ですが、友人との出会いや交流はそれらと並んで重要なものです。しかし、いまそれが例年のような形ではできません。例年であれば、とくに意識することなくキャンパスで学生生活を送っていれば、「自然に」友人もできたことでしょう。ただ、今の環境のもとでは、「自然に」過ごしているだけではそれができないかも知れません。意識的に制約を乗り越える工夫と行動力が求められているのだと思います。

偶々この時期に大学進学にあたった自分たちの世代だけが、今しかない大学時代なのに、なぜこんな制約を受けなくてはいけないのだろう。そんな感情が、みなさんの心の中のどこかには、きっとあるだろうと思います。選択の余地なく、このような状況を強いられたとき、不満や落胆の気持ちをもつのは自然なことです。その感情を無理に押し殺したり、努力して否定せよ、というのは大変酷な話です。そして、そんなことをしなければならないとは、私は思いません。

ただ、それならば、受け容れて諦めるしかないのでしょうか?

どんなに自分が努力をしたとしても、どんなに高いモチベーションをもっていたとしても、今の状況のなかで、行動にかかる制約が消えてなくなるわけではありませんから、その意味では制約を受け容れるより他はありません。そして、諦めることに「慣れて」しまえば、何とかやり過ごすことができるかも知れません。しかし、それでは何かむなしい気分がしてやる気も出てこないし、何とか取り組んでみたことも、制約がなかったときにできたはずのことの、劣化したコピーとしか感じられない。今まさに、自分はそんな気分なんだ、と思った人もいるかも知れません。

ただ、そんな今だからこそ、あらためて思い起こして欲しいのは、制約があるからこそ、それを乗り越えるための工夫や努力に熱くなって、面白く感じられる場合がある、ということです。例えば、サッカーという理不尽なルールのスポーツがあります。ほとんどの人は足よりも手の方を器用に動かすことができ、ボールを操るなら手で扱った方がうまく行くはずです。それなのに、手でボールを触ってはいけないというルールでスポーツになっている。その時、ボールに手を触れられないという理不尽なルールに不満をもちながら、納得できないという気分を引きずったままサッカーをやるのと、普通は手ほど器用ではない足でも、どこまで効果的にボールをコントロールできるかを鍛錬しながら、腕よりももっと力のある脚でボールを蹴るからこそ発揮できる力を生かそうと取り組むのとでは、上達も違うし、何よりもサッカーをする楽しさが違うはずです。

もともと人の生活というものは、つねに何らかの制約の下で、自分にとって幾分かは不本意な条件を強いられたなかで営まれています。多くの制約は、しばしば、自分の力ではどうすることもできないものです。自分どころか、そもそも人類の力ではどうすることもできない、といった制約も珍しくありません。それこそ「受け容れる」他はありません。それに対して、嘆いたりうらんだりすることだけに時間やエネルギーを費やしてしまうことは、決して生産的なことではありません。逆にあっさり諦めて制約に順応しているだけでも、発展性は出てきません。制約条件のなかにあっても、できる限りの工夫を凝らし、制約を乗り越える努力をして、与えられた環境下で最大限可能なことを追求することに、やり甲斐を感じながら取り組めた時にこそ、自分の成長や、取組の成果がえられるものです。制約をただ嘆いたり、やすやすと圧倒されてしまうのではなく、その中でも何とか自分のめざすものを実現しようとする発想を、ぜひ持って欲しいと思います。

このように行動していけるようになるには、まずは、自分の考え方が基本です。しかし、その考え方を現実の成果につなげるためには、さまざまな知恵と工夫がものをいいます。法政大学憲章に掲げられた「自由を生き抜く実践知」とは、まさにそういう知恵のことを意味しています。法政大学の授業や、課外活動には、こんな実践知のヒントが詰まっています。先生方から学べるのは、授業の内容だけではありません。優れたものの伝え方、さまざまな人からの色々な意見の聴き方、なかなか納得してくれない人の説得の仕方なども得ることができるはずです。時として「このようにやったら逆効果なんだ」という学びも含んでのことです。同じことは、教室や課外活動の場で机を並べている友人からも学べます。ただし、それは、そういう関心をもって見ていないと、そのヒントに気づかないという種類のものです。例年に比べて、遥かに制約の多い条件の下に置かれている今のような環境だからこそ、法政大学に属する他の人たちが、どんな風にその制約を乗り越えて、自分のやりたいことを実現しようとしているのかを学びとり、そのような仲間たちと協力し合って、それをさらに先に進めてみてください。そのようにして、自分なりの「自由を生き抜く実践知」を磨き上げるには、厳しい制約がかかっている今こそ、むしろ最適の時期だとも言えるのです。

これまで経験したことのない環境の下に置かれているという点では、学生だけではなく教職員もみな同じです。そして、基本的には社会全体が同じ制約の下にあります。「自由を生き抜く実践知」を磨くことを求められているのは、学生のみなさんだけでなく、教職員も同じなのです。ぜひ、ともに実践知を磨き合う大学生活を一緒に過ごして行きましょう。その成果は、同じ制約下にある社会全体にとっても、必ず意味のあることだと信じます。そのようにして、みなさんと一緒に、社会に対する法政大学の貢献も実現していきたいと思います。

そんな活動をしていく仲間に、みなさんが加わってくださったことを、歓迎し、お祝いのことばとします。これからともに取り組んでいくさまざまな活動を楽しみにしています。
 

2020年入学式 廣瀬克哉総長 式辞

2020年入学生のみなさん、ようやくこうして対面の場で顔をあわせることがかないました。あらためて、法政大学へようこそ。本年度から総長に就任しました、廣瀬克哉です。1年遅れとなりましたが、あらためてご入学おめでとうございます。

去年の4月に、みなさんをお迎えすべく、入学式の準備を進めていましたが、新型コロナウィルス感染症の影響で中止せざるを得ませんでした。ガイダンスなどもオンラインで配信し、授業も全面的にオンラインで開始することとなりました。みなさんは法政大学に入学してから一度もキャンパスに登校する機会のないままに授業が始まり、秋には半年遅れの新入生歓迎会や市ヶ谷キャンパス、小金井キャンパスでの学園祭は人数を制限しつつも対面で行われましたが、日常的にキャンパスに通学するということがないままに2020年度を終えた人も多かったと思います。

授業における履修と単位取得の状況は、例年の1年生と大きくは変わりませんでしたが、サークルへの参加率など、課外活動については、活動そのものが大きく制限されてしまったこともあり、例年に比べて大幅に参加率が低い状況のまま今日を迎えています。

この1年間の経験で、新型コロナウィルス感染症のリスクが、具体的にどういうところにあって、過度に恐れなくても良いことと、警戒心を忘れずにいなければいけないことのメリハリがある程度見えてきました。そこで今年の入学式は、入場者の人数を絞って、感染予防策をとりながら、武道館で開催することにしました。そして、昨年入学した皆さんを、あらためて法政大学に迎える場として、この場を設けることにしました。すでに1年前からみなさんは法政大学の学生ですが、キャンパスという空間を、自分の学校として受けとめる実感は、まだあまりないのではないかと思います。まずは法政大学に入学したのだ、ということをあらためて体感してもらいたい。そのために、武道館にみんなで集うことは重要だと考えました。そして、大規模な授業や対話が多い授業などはオンラインを併用しながら、対面を基本として授業を行っていきます。

ただし、現在の状況下では、感染防止には十分に注意を払いつづける必要があり、いわゆる三密を避けることは必須です。新入生歓迎行事などが、例年であれば盛大に行われる時期ですが、今は会食などの交流を以前のような形で行うことはできません。キャンパスの学生食堂には、アクリル板の仕切が設置され、席は距離をおいて配置され、食べている間はできるだけ話をしないように、と指導されます。食べるときには黙って、語り合うときにはマスクをして、という風に皆さんにはお願いします。そのようにみんなが注意を払って過ごすことによってはじめて、キャンパスで感染が広がることを防ぎ、登校して教室で授業を受けたり、課外活動を行ったりする機会を守っていくことが可能になるのです。

そのため、コロナ禍の前までに思い浮かべられていたようなキャンパスライフは、残念ながら、まだ当分の間、実現することができません。全国から集った多くのさまざまな学生が法政大学にはいます。世界の各国から来た留学生や社会人入学の学生など多様な構成になっています。理系の研究室等では、学部生と大学院生がともに学ぶ場があり、社会人向けのコースがある大学院には、社会の第一線で活躍する責任ある立場の人も多数在籍しています。そして、キャンパスにおいては法政大学の一人の学生であるという点で、みんな同じ立場です。学部や学年が違えば、教室で会う機会はあまりないかも知れませんが、図書館で隣の席に座っていたり、課外活動や学内のイベントなどで顔を合わせる機会もあります。これまでオンライン画面の、名前の文字や、音声や動画を目にすることしかなかった人と、あらためて実際に顔を合わせる機会も得られることと思います。

そんな環境の中で、新しい友人ができ、利害関係や生活の必要とは関係なく、自由な立場で、いろいろな交流の機会をもつことができる。それが法政大学の学生生活で得られるとても大切な価値です。勉学や研究によって得られる専門知識ももちろん大切ですが、友人との出会いや交流はそれらと並んで重要なものです。しかし、この1年の間、それがほとんどできなかった、というのが実情でした。

偶々この時期に大学進学にあたった自分たちの世代だけが、今しかない大学時代なのに、なぜこんな制約を受けなくてはいけないのだろう。そんな感情が、みなさんの心の中のどこかには、きっとあるだろうと思います。選択の余地なく、このような状況を強いられたとき、不満や落胆の気持ちをもつのは自然なことです。その感情を無理に押し殺したり、努力して否定せよ、というのは大変酷な話です。そして、そんなことをしなければならないとは、私は思いません。

ただ、それならば、受け容れて諦めるしかないのでしょうか?

どんなに自分が努力をしたとしても、どんなに高いモチベーションをもっていたとしても、今の状況のなかで、行動にかかる制約が消えてなくなるわけではありませんから、その意味では制約を受け容れるより他はありません。そして、諦めることに「慣れて」しまえば、何とかやり過ごすことができるかも知れません。しかし、それでは何かむなしい気分がしてやる気も出てこないし、取り組んでみたことも、制約がなかったときにできたはずのことの、劣化したコピーとしか感じられない。今まさに、自分はそんな気分なんだ、と思った人もいるかも知れません。

ただ、そんな今だからこそ、あらためて思い起こして欲しいのは、制約があるからこそ、それを乗り越えるための工夫や努力に熱くなって、面白く感じられる場合がある、ということです。昨年行ったオンライン学生座談会では、一人の1年生が、こんなことを発言しています。「カードゲームにたとえるとすると、配られたカードを見てゲームを放棄してしまう人っているじゃないですか。でも私は配られたカードでできるところまで勝負しようと考えるタイプ。いまさらコロナの感染拡大が起きなかった世界にはどう頑張っても戻れないのですから、それならばコロナがある世界をより良くしていくほうが絶対にいいと思います。」座談会に参加をしていた上級生たちも、この発言には感銘を受けていたと聞いています。現在も、大学のホームページに掲載されていますので、ぜひ読んでみてください。

もともと人の生活というものは、つねに何らかの制約の下で、自分にとって幾分かは不本意な条件を強いられたなかで営まれています。多くの制約は、しばしば、自分の力ではどうすることもできないものです。自分どころか、そもそも人類の力ではどうすることもできない、といった制約も珍しくありません。それこそ「受け容れる」他はありません。それに対して、嘆いたりうらんだりすることだけに時間やエネルギーを費やしてしまうことは、決して生産的なことではありません。逆にあっさり諦めて制約に順応しているだけでも、発展性は出てきません。制約条件のなかにあっても、できる限りの工夫を凝らし、制約を乗り越える努力をして、与えられた環境下で最大限可能なことを追求することに、やり甲斐を感じながら取り組めた時にこそ、自分の成長や、取組の成果がえられるものです。制約をただ嘆いたり、やすやすと圧倒されてしまうのではなく、その中でも何とか自分のめざすものを実現しようとする発想を、ぜひ持って欲しいと思います。

このように行動していけるようになるには、まずは、自分の考え方が基本です。しかし、その考え方を現実の成果につなげるためには、さまざまな知恵と工夫がものをいいます。法政大学憲章に掲げられた「自由を生き抜く実践知」とは、まさにそういう知恵のことを意味しています。法政大学の授業や、課外活動には、こんな実践知のヒントが詰まっています。先生方から学べるのは、授業の内容だけではありません。優れたものの伝え方、さまざまな人からの色々な意見の聴き方、なかなか納得してくれない人の説得の仕方なども得ることができるはずです。時として「このようにやったら逆効果なんだ」という学びも含んでのことです。同じことは、教室や課外活動の場で机を並べている友人からも学べます。ただし、それは、そういう関心をもって見ていないと、そのヒントに気づかないという種類のものです。例年に比べて、遥かに制約の多い条件の下に置かれている今のような環境だからこそ、法政大学に属する他の人たちが、どんな風にその制約を乗り越えて、自分のやりたいことを実現しようとしているのかを学びとり、そのような仲間たちと協力し合って、それをさらに先に進めてみてください。そのようにして、自分なりの「自由を生き抜く実践知」を磨き上げるには、厳しい制約がかかっている今こそ、むしろ最適の時期だとも言えるのです。

これまで経験したことのない環境の下に置かれているという点では、学生だけではなく教職員もみな同じです。そして、基本的には社会全体が同じ制約の下にあります。「自由を生き抜く実践知」を磨くことを求められているのは、学生のみなさんだけでなく、教職員も同じなのです。ぜひ、ともに実践知を磨き合う大学生活を一緒に過ごして行きましょう。その成果は、同じ制約下にある社会全体にとっても、必ず意味のあることだと信じます。そのようにして、みなさんと一緒に、社会に対する法政大学の貢献も実現していきたいと思います。

そんな活動をしていく仲間に、みなさんが加わってくださったことを、あらためて歓迎し、お祝いのことばとします。これからともに取り組んでいく、さまざまな活動を楽しみにしています。