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【ライサポ】ライサポが聞く!図書館インタビュー 第6回 社会学部 鈴木 智道准教授

  • 2022年01月17日
  • 新入生
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「一人になりたいときには図書館へ行くっていう、そういうのはありましたね」
社会学部 准教授 鈴木 智道(すずき ともみち)

 図書館学生ボランティアのライブラリーサポーターが、多摩キャンパスの先生方に本や図書館との関わりについてインタビューするシリーズ企画。今回は社会学部准教授の鈴木智道先生です。鈴木先生の専攻は歴史社会学、教育社会学です。歴史社会学や教育社会学と聞いても、どんなことを研究する学問なのか、すぐにイメージできる人は少ないのではないでしょうか。その辺についてもインタビューの冒頭で説明していただいています。その他、先生の図書館との関わりや図書館への想いについてお話ししていただきました。

総合棟の会議室でお話を伺いました。

1.来歴

——まず始めに、今どのような研究をしているのか、どのような経歴なのかを簡単にお願いします。

鈴木 「専門は何か?」と聞かれたら、ちょっと堅苦しく聞こえると思いますが、とりあえず歴史社会学と答えることにしています。ただ、「それって何?」って言われると、なかなかわかりやすく説明をするのが難しいところで…。
 経歴を踏まえて話すと、実際に僕が社会学をちゃんと勉強してみようかなって思ったのは大学を卒業してからなんですよ。実は、大学の時には教育学の勉強をしていたんですね。高校から大学に上がる時、学校のこととかそういう狭いことではなく、「教育」っていう現象自体に関心があって、それに「学校の先生になろうかな」っていう、そういうこともあったりして教育学を学べる大学に行くことにしたんですよ。だけど、こんなことを言ったら怒られちゃうかもしれないけど、いざ大学で学びはじめたら、率直に言って期待外れだったんですね。僕は一応、高校の時に教育のことが学問になっているということを知ったことをきっかけに、それをちゃんと勉強しようと思って大学に入ったんだけど、受ける授業、受ける授業、ことごとく琴線に触れなかったんですよ(笑)。
 これはいまもどこかで僕の考え方のベースになっているところもあるんだけれど、学問ってあんまり面白くないなあっていうのを20歳前ぐらいに気付いちゃって(笑)。それでこの大学での面白くない勉強をどうやり過ごそうかと考えはじめていた時に、ある出会いがあって、それが大学時代のゼミの先生だったんですね。一応、その人は教育学系の先生ではあったんですが、その先生は、当時流行っていたヨーロッパの社会史の成果を取り入れながら、「歴史」を使ってさまざまな教育現象についていろいろ考えていくということを積極的にやっていた方で、その先生の授業をたまたま取ってみたら「ちょっと面白いかな」と思って。それでその先生のゼミに入って、いろいろ本を紹介してもらったり、手ほどきを受けてみたら、いつの間にかその研究のやり方にはまっちゃったんですよ。そこから「教育」という僕の元々の関心と「歴史」という研究のやり方が結びついて、教育というか、とりわけ家族の教育のあり方について歴史的に研究するっていうところから、僕の研究生活がはじまりました。でも、歴史っていっても、史学科とかで勉強できるような歴史学というのは、僕には教育学と同じく、あんまり面白そうな学問に見えなかったんですね。それで、さらに研究を進めていこうとなったとき、「社会学でも歴史研究をできるよ」というゼミの先生の一言もあって、それじゃあということで、実はあんまり社会学のことをよく理解していないまま、社会学ベースで歴史研究をはじめていくことになりました。以下割愛するけど(笑)、それで、「歴史社会学」というわけです。でも、このポジションは、僕にとってとても居心地がよくって、この歴史+社会学というスタンスから、その後、どんどん関心が広がっていったという感じですかね。
 ともかく「研究テーマは何ですか?」って聞かれると、相手が理解してくれるかどうか別にして、一応、「教育の歴史社会学」っていう言い方をして答えることにしています。

2.学生時代の図書館利用について

——学生時代はどのように図書館を利用していましたか?

鈴木 どこから話せばよいかわからないけど、中学・高校ぐらいの時はけっこう小説を読んでいましたね。これまで僕は、けっこういろいろな人にその都度影響を受けてきたところがあって、中学の時に影響を受けた人のひとりが、国語の先生でした。たぶん今そんな教え方をしたら絶対怒られると思うんだけど、その先生は、授業をやるのを面倒くさがって、授業時間の半分くらいを使ってテープレコーダーでいろいろな小説の朗読を流すんですよ。それも声優さんとか俳優さんが、かなりいい声で小説を朗々と語るんですね。クラスのみんなは寝てましたが、僕はその声にけっこう引き込まれて聞いていて、そこで内容的に面白いって思ったものは、とりあえず図書館で借りて本でも読んでみる、みたいなことをやっていたりしてたんですよね。
 高校の時も図書館にはけっこう行きましたね。僕は地方都市の出身なんだけど、通っていた高校の近くに中央図書館っていう大きい図書館があって、家に帰っても勉強しないじゃないですか。それで、図書館は本を借りる場所というよりも、基本的に勉強する場所として使っていました。友達もけっこう来ていたので、外でワイワイ話ができるし、とくに高2、高3あたりは図書館に入り浸っていましたね。
 大学の時も、大学図書館にはかなり行きました。僕の大学時代と今の環境とで明らかに違うのは、インターネットがないってことですね。大学に行っていたのは1990年代なんですけど、その頃はまだインターネットがなくて、パソコンとかもまだ普及していなかったので、基本的に本を探したりするときは、紙でできた目録を使ってました。その当時、本の目録は短冊状の紙に、著者名とか書名とかの細かい情報が手書きで書かれていたんですよ。そんなものが小さい引き出しにずらーっと並んでいるスペースがかつての図書館にはあって、書名や著者名が「あいうえお」と五十音順に並んでいるので、それをめくって本を探すっていう、そういう世界だったんです。今はもうパソコンに打ち込むだけになりましたので、ずいぶんと図書館の仕事も楽になったのかもしれませんけど。それで本の所蔵を調べたい時には、今では検索システムとかになると思うけど、とりあえず図書館へ行かなければ分からないので、何か分からないことあったらとりあえず図書館に行く。でも、目録をくくりながら、自分の知りたい情報を得られた時のあの快感っていうのは、たぶん今はもうなくなってしまったと思うんですよね。
 あと、一人になりたいときには図書館へ行くっていう、そういうのはありましたね。誰とも会いたくない時に何時間も図書館でボーッと過ごすっていう。そういう環境を得たいときには図書館が一番居心地がよかったっていうのがありました。定位置、絶対そこは俺の席みたいなところがあって、そのひとつが地下書庫にあった一人机でしたね。多摩図書館でいうと、4階が好きなんだけど、知っていますか? あそこは誰もいないし、景色もいいし、何かに集中したかったらとってもいい環境だと思いますよ。

鈴木 図書館は、本を借りる場所というだけでなく、その建物がもつ空間性が大事だというところがあると思いますね。なにか本を借りたかったら、家からもパソコンで検索できて、今後さらに、予約した本を家にまで配送してくれるみたいな話になってしまうと、もう図書館なんて行かなくてもいい場所になっちゃうんじゃないかな。機能としては本を探したり借りる場所というところもあるんだけど、空間として、場所性っていうのかな、図書館っていうのは単に本が所蔵されている場所っていうよりも、何か図書館っていう空間が待っている独特な静けさだったり、ある種の雰囲気っていうか、そういうものをかつては楽しんでいたし、今もその価値は全然失われていないと思うんですよね。学生のみなさんには、そんなところに図書館の価値を見出してもらいたいですね。
 一人になるのはイヤだから、そういう環境を望まないっていう場合もあるかもしれないけど、本当に周りに誰もいない環境で、一人になっていろいろ思索にふけるとか。思索にふけるなんてそんな難しい話ではなかったとしても、いろいろ悩み事を考えるとか、考えたことをメモとして書き留めてみるとか、図書館には、そういう場所としてそこかしこにいい場所があるんじゃないかなって思います。
 大学を卒業してすぐ大学院へ行ったんだけど、一番図書館に行っていたのは大学院時代かなって思いますね。さっきも言ったように僕は歴史研究をやっていたので、基本的に資料は図書館にあるんですよ。それで新刊書を見つけるっていうよりも、むしろ古い資料を探しに行く場所として、図書館っていうのを徹底的に利用しましたね。あの頃は時間があったら図書館の書庫に潜って、古い本を探していました。
 大学院で行っていた大学には、戦前期に建てられた荘厳な建物の図書館があって、そこに入ると身が引き締まるっていうか、やっぱり図書館という空間が醸し出す雰囲気や古い本が放つ独特な匂いが好きでしたね。図書館のもっている価値には、そうした雰囲気や匂いも大事な要素として含まれている気がします。

「図書館は空間が大事だというところがあって…」

——ちなみにどのように読んだ資料をまとめていましたか?

鈴木 大学院時代は借りた資料は当然返さないといけないから、基本的に研究室に持って行って、そこでずっとコピーをとっていましたね。僕が借りていた資料は、著作権的に問題のないものばかりだったということもあって、図書館に行って資料を借りてきて、研究室で半日かけてコピーをとって、みたいな生活を続けていました。ちょっと参考までに持ってきたんだけど、コピーした資料はこんな感じで製本してました。

鈴木先生ご自身の手による簡易製本資料。

——この表紙は見つけて、製本されているんですか?

鈴木 これは簡易製本といって、表紙だけ買ってきて、製本機を使って自分で製本できるものなんです。かつてはコピーしたものを、自分で製本するっていうニーズが学生にあったので、大学の生協には厚みとか色とかが違う表紙がいろいろ売られていたんですよね。好きな表紙を買ってきて、で、背表紙の裏側に糊がついていて、そこにコピーの束をはさんで、背表紙の上から機械で熱をあてると紙がくっつくっていう。今でもありますよ。

——大学教員になってからそういう研究の仕方に変化はありましたか?

鈴木 やっぱり皆さんと一緒で、インターネットの普及っていうのは、僕らにとってもすごく恩恵がありましたね。かつては図書館に行かなければ手に入らなかったものも、あるいは海外のものも、今やもう自分のパソコンで様々な情報が簡単に手に入るっていう環境で、その恩恵を全面的に享受してしまっているところもあります。その意味で図書館の価値っていうか、行って何かを捜すっていう面については、僕たちとっても減退しているところはあると思います。実際、僕自身も、最近あまり図書館に行かなくなったなと思いますよ。これはいいことなのか悪いことなのか。
 これはよく言われていることなんだけど、図書館で本を探すとき、目的の本を目指して探しに行くんだけど、書棚にはその横にもまわりにもいっぱい本があるわけじゃない。目指していた本の近くには、だいたいそれと類似した本が並んでいたりもするわけで、そこで知らなかった本を発見したり、むしろそっちのほうが自分の求めていたものだったりといったような、かつての図書館には、そんな偶然の出会いというのがあったと思うんですよね。でも、インターネット検索では、目指している本の横に並んでいる本には出会えない。インターネット検索では、「これもあなたのお好みでは?」といった感じで関連する文献を勝手に紹介してくれたりするけど、そういうのではないと思うんだよね。インターネットはピンポイントでその情報に行き着くことを可能にしたけど、そこには図書館に出向いて書棚の前に立って本を探すというアナログなやり方がもっていた余白部分がないんですよね。
 僕は、その余白部分で多くの本や資料との出会いがありました。書棚の前で「あ、こんな本あったんだ、こんな本もあったんだ」って。それを片っ端から「全部借りる」とか、「全部コピーする」とか。それって最初は、その存在すら知らなかったんだけれど、図書館の書棚の前で偶然発見したものなんだよね。そんなふうに図書館で書棚を眺めながら本を発見するっていうのは、かつては普通に行われていたことだったんじゃないかな。インターネット社会っていうのは、そうしたさまざまな余白や雑音を取り除くことで、快適さの度合いを高めようとしている社会なんだと思います。

3.学生時代に読んだ、印象に残った本

——学生の頃に読んで印象に残った本とかありますか?

鈴木 そういう質問をよく受けるけれど、山ほどあるんだよね(笑)。みなさんも好きな映画何?って聞かれて、なにか1本くらいは用意しているかもしれないけど、それ1本だけじゃないでしょ(笑)。どういう系統の本にしましょうかっていうのがあるんですよね。例えば、20代の頃、安部公房にはまって一通りの小説を読んだり、三島由紀夫とか、系統は全然違うけど大沢在昌とか、その時その時ではまった人がいて、その作家の本ばかり、ある時期に集中して読むということが多かったですね。大学時代には、ルソーの『エミール』っていう岩波文庫で3分冊になっている本をひとりでひたすら読んだことをきっかけに、ルソーにはまっていたこともありました。思い出せないこともあるんだけれど、あの頃はその人にはまっていたなという思い出がけっこうあります。でも、そういうのは、大学生に薦めたい本とは違いますね。

4.学生へのおすすめ本

——なるほど、ちなみに今、大学生に勧めたい本でいうとどのような本になりますか?

鈴木 大学生にすすめたい本を聞かれたら、ここ数年、これというのを決めていて、ミシェル・フーコーっていう哲学者の『監獄の誕生』を挙げることにしています。この本は単に「監獄の誕生の歴史」を扱った本ではないんですね。現代社会(近代社会)のあるひとつの見方を、僕に教えてくれた本です。研究書を読んで、理解が深まったとか、なるほどと思ったというのはありますが、僕にとってこの本は、研究書を読んで心に響く経験をしたはじめてのものでした。今、自分たちはどういう社会に生きているのかっていう謎に対して、それまではモヤモヤした感じでしか答えられなかったことが、この本を読んで霧が晴れたというか、腑に落ちる形での説明を僕に与えてくれたのがこの本だったんですね。そんな本との出会いというのは、その後あまりないんだけどね。僕にとって、研究書を読んで、そんなハッとさせられる経験をしたのは、後にも先にもこの本だけです。
 この本は大学時代にはじめて読んだんですけど、そ時には全然意味が分からなかったんですよね。でも、どこかピンとくるものだけはありました。で、「よく分からない、よく分からない」って考えながら読み進めて、大学生には少し難しい内容だし、長いので読み進めていくのはけっこう気合いもいるし。その後、何度も読み直すなかで、だんだん分かってきたということもあるんだけど、なんか大学時代のそういう経験って今思うとけっこう大事だったんじゃないかなと思います。

——専門書以外でおすすめの本はありますか?

鈴木 さっきも言ったようにそういう質問に答えるの、けっこう難しいんですよね。
 やっぱり大学図書館は小説を読む場所じゃないと思うんですよね。小説や新書だったら、そんなに値段も高くもないので自分で買って家で読めばよいものとして考えてきました。大学図書館というのは、やっぱり古い資料、今となっては購入できないようなものを見に行く場所として僕は位置づけてきたし、今でもその機能は明らかにあると思うんですよね。
 本っていうのは蓄積されていくものですよね。古いからもうその情報には価値がないって切り捨てるのではなく、かつての発想が今でも別の形で役立つとかね、そういう可能性っていうが常にあったりもすると思うんです。図書館は、そんな古い情報の宝庫だったりします。
 そのなかでも、昔から読み継がれてきて、今にも伝わっているような本、いわゆる「古典」と呼ばれるような本は、その時その時でなんらかの価値が発見されてきたからこそ読み継がれてきているんだと思うんですよね。だから、時間的に余裕のある大学時代に、なんでもいいので、そんな「古典」と言われるような本に、じっくりと取り組んでみるとか、そういう時間を持ってみてもいいんじゃないかなって思います。

——なるほど、貴重な意見ありがとうございます。

今回は鈴木先生へのインタビューでした。ありがとうございました。