HOSEIブックレビュー

【第5回】社会学部 斎藤友里子 教授

教員の本棚から-人生を豊かにする本との出会い-

HOSEIブックレビュー

1冊の本との出会いが自分と未来を変える。

HOSEIブックレビューでは、本学の先生方より、「自分自身の形成に影響を与えた本」「未来を支える若者に読んで欲しい本」「学術領域関連で読んで欲しい本」をご紹介いただきます。
最後に、先生にとって読書とは?の質問にご回答いただいております。

第5回目は、社会学部の斎藤友里子教授よりご紹介いただきました。

なお、書名のリンクをクリックすると、本学図書館蔵書検索システムの書誌詳細画面に遷移します。

自分自身の形成に影響を与えた本

 私という人間の形成に影響を与えた本は何か(そもそもあるのか、ないのか)というのは非常に難しい問いかけで、図書館から依頼されて悩みました。最も古い「友だちと争った記憶」が幼稚園における本の取り合い(おそらくマージョリィ・ローリングス『子鹿物語』の絵本版)であるくらい、私にとって本は常に身近な存在でした。
 大学で専門書を読み始めるまでは、そのときどきの「お気に入りの作家」を決めて片端から読んでいくということを専らしていたので、果たして何が現在の私自身の形成に大きく影響したのかがわかりません。現在の仕事から逆算して考えると、小学校低学年のとき繰り返し読んだ『ファーブル昆虫記』は、世界を記述することの面白さを教えてくれたのかなと思います(ただし、現在は虫は大の苦手ですが.社会化の影響大)。また、強いて言えば、いっとき凝った安部公房の作品の中でも「友達」(『友達・棒になった男』所収)や「人魚伝」(『無関係な死・時の崖』所収)は、決して「ポジティブ」な形ではありませんが、「他者」や「社会」との関わりへの関心を、潜在的に刺激したのかもしれません。

自身の学術領域関連で読んで欲しい本

 文庫で出版されており,社会学を専攻する人には読んでほしい古典をいくつかあげたいと思います、E. デュルケム『自殺論』(中公文庫)と『社会分業論』(講談社学術文庫・ちくま学芸文庫)、M. ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)。いずれも非常に有名な作品ですが、一応簡単に紹介しておきます。
 デュルケムは、近代という時代の訪れの中で変化するヨーロッパ社会を見つめながら、それまでの伝統的な社会で維持されてきた人と人とのつながりが失われることの意味を考え続けた人です。『自殺論』はコンピューターなどなかった時代にヨーロッパ各国の自殺数を集計して書かれました。有名なのは、好不況と自殺数の関係--欲望のたがが外れる好況時にも人は死を選ぶ--から見出された「アノミー的自殺」の概念です。そこからさらに、ユダヤ教、プロテスタント、カトリックという宗教の違いによる自殺率の違いから、社会集団が提供する道徳的つながりの意味が論じられます。
 『社会分業論』では、人々の間の連帯が、その社会で営まれる生のありかた(具体的には、皆が類似した生業を営む社会と、社会的分業が進み生業の異なる社会)によってどう変質するか、つまり、近代社会で急激に進んだ社会的分業は連帯のあり方をどう変えるのかが、集合的感情・集合意識と関わらせながら論じられます。分業の進展が人格崇拝(「個人」の尊重)をもたらす洞察など、長いのですが示唆に富む著作です。
 なお、デュルケムが『社会分業論』で扱った社会の拡大に興味をもった人は、G.ジンメル『社会的分化論 : 社会学的・心理学的研究』(中公クラシックス)も手にとってみてください。社会に起きた同じ変化が、異なる角度から分析されていて面白いのではないかと思います。
 社会的事実の外在性に注目したデュルケムとは対照的に、ウェーバーは人間の思念と社会との関わりについて考えた人です。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、営利の追求がある種倫理的にめざされる、近代的な資本主義システムがなぜ西ヨーロッパで勃興したかを宗教倫理との関わりから論じた著作です。神への使命として職業に邁進するというプロテスタンティズムの世俗内的禁欲の宗教倫理が、どのようにして「資本主義の精神」という世俗の倫理に転換していくか--プロテスタンティズムはどのような意味で資本主義の揺籃なのかが論じられています。
 

未来を支える若者に読んで欲しい本

 やや硬めですが、個人・集団・社会に関わる読みやすい本を3つあげたいと思います。
 1冊目は、V. E. フランクル『夜と霧』(みすず書房)です。著者はユダヤ人として強制収容所に収容され、奇跡的に生還した精神科医です。この本は、フランクルがその知識に支えられながら自らの収容所体験を記した記録であり、収容所での過酷な体験が、独特の冷静な観察者の目で叙述されています。なお、この原稿を書くために調べて知ったのですが、『夜と霧』には霜山徳爾訳の旧版と、池田香代子訳の新版があります(いずれもみすず書房から刊行中)。旧版にはナチスの非人道的行為に関する詳細な解説と写真・図版があるので、これを避けて体験記だけを読みたいという人には、池田香代子訳をおすすめします。
 2冊目はS. ミルグラム『服従の心理』(河出書房新社・河出文庫)です。この本は、いわゆる「アイヒマン実験」から得られた知見を記述したものです(アイヒマンは強制収容所へのユダヤ人の大量移送を主導したナチスの高官)。ミルグラムは「普通の人」がアイヒマンのように残酷な命令に簡単に従うことはないだろうと考えて実験を計画します。結果は予想を裏切り、そこから極めてコントロバーシャルな一連の実験研究が開始されました。罰が学習効果に与える影響を調べたいと「権威ある研究者」から要請されたとき、人はどこまで過酷な電気ショックを他者に与えるのか(電気ショックはもちろん偽物です)が条件を変えて測定され、それを通じて人間がいかに簡単に服従するか、権威への抵抗を可能にする条件はなにかが探究されます。被験者には精神科医によるフォローアップが行われましたが、研究倫理に関する議論のきっかけとなったという意味でも、心理学研究史上のメルクマールとなった著作です。
 以上2冊は、システムの暴力への同調と、その中で人間が示しうる抵抗に関するものでした。では、私たちがシステム(社会)をどう認識するかは、私たちの生き方にどう影響するのでしょうか。3冊目として、J. マクラウド『ぼくにだってできるさ―アメリカ低収入地区の社会不平等の再生産』(北大路書房)をあげておきます。これは、アメリカの福祉住宅で白人の少年団と黒人の少年団を対象として実施された聴き取り調査の成果をまとめたものです。そこで描かれるのは、「アメリカンドリーム」を信じること(黒人の場合)、それに絶望すること(白人の場合)が、それぞれ少年達に何をもたらすかです。日本でも「親ガチャ」という言葉が流行りました。このことが示すのは、「生まれ落ちた家庭の経済環境により人生は決まる」というイメージの浸透だと思いますが、それが私たち個々人に何をもたらすかを考えるのによいきっかけとなる本だと思います。

私にとって読書とは何か

 上にも書きましたが、私にとって読書は、幼稚園に上がる頃からごく日常的な営みとしてありました。仕事のために専門書を読むことは、読書は読書なのだと思いますが、「私にとっての読書」とは違うように思います。仕事のために本を読むという営みは、常に何らかの目的を伴っている--ウェーバーではないですが、使命としての営みだからでしょう。
 英語にkill timeという表現があります。いわゆる「時間つぶし」のことです。読書は、私にとってはkill time to live a good life --自分自身を日常からリリースする手段であるように思います。「視覚に縛られず自由にイメージし、(意志さえ強く持てば)自由に離脱し、またそこへ戻れる楽しみ」です。そのような楽しみを自家薬籠中のものとしておくと、ネットが使えないときにも重宝しますよ。