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【ライサポ】ライサポが聞く!図書館インタビュー 第3回 スポーツ健康学部 山本 浩教授

  • 2021年11月26日
  • 新入生
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「たとえ時間がかかっても、世界の人たちがどう考えてきたかを追いかけてみれば、あとから驚くような答えが出てくるものです。そんなことのできるのが図書館でしょう」
スポーツ健康学部 教授 山本 浩(やまもと ひろし)

 図書館学生ボランティアのライブラリーサポーターが、多摩各学部の先生に本や図書館との関りについてインタビューするシリーズ企画。今回はスポーツ健康学部教授の山本浩先生です。先生の専攻はコミュニケーション論、ジャーナリズム論で、スポーツの構造を主な研究テーマとされています。スポーツ健康学部の教授に就任される以前は、NHKでアナウンサーや解説委員をされていて、現在もNHKをはじめとするマスメディアとの繋がりが深いので、テレビ等でお顔を見かけた方も多いのではないでしょうか。そんな山本先生がどのような学生時代を過ごされ、本や図書館と関りを持たれてきたかをお聞きしました。

総合棟の会議室にて

1.来歴

——最初に、先生の経歴を教えていただけますか。

山本 島根県の出身で1953年4月12日の生まれです。
 父親が転勤族だったため、子供のころから転校、転勤、転居でした。島根県の松江で生まれて、岐阜県の各務原市、福岡県の芦屋町、静岡県の浜松市、千葉県木更津市、更に埼玉県川越市へ。ですから小学校は三つ、中学も高校もそれぞれ二つ変わったんですよ。埼玉県の高校にいるときに父親が転勤になって、やむを得ず一人下宿をすることになりました。それまで電車通学だったのが徒歩10分の距離になって、俄然時間が生まれたからでしょうか、高校の時代は図書館によく通った記憶がありますね。その後、東京外国語大学に行って、卒業後NHKに入りました。NHKには33年間務め、2009年スポーツ健康学部ができる年に法政大学に来て13年目ですから、スポーツ健康学部と同じ歴史を歩んできています。
 NHKでは最初は福島、それから愛媛県松山に赴任しました。その後、東京、福岡を経て再び東京で勤務し、アナウンサーを2002年ぐらいまで都合26年ほど、やがて解説委員という仕事にシフトし、スポーツの仕組みや不祥事の問題を取り上げたり、スポーツ教育の問題を取材したりしました。NHK生活中に全都道府県を訪ね、在職中オリンピックには12回、サッカーW杯には6回現場を踏んでいます。いろいろ体験できましたね。
 学外では、日本陸上競技連盟の指導者養成委員長という役目を引き受けています。さらに日本スポーツ協会で国体の仕事に携わり、日本卓球協会、全日本ボウリング協会、日本スポーツ協会など複数の競技団体にも関わっています。NHK時代には、日本相撲協会の不祥事やJOC(日本オリンピック委員会)の補助金不正問題の調査メンバーにもなりましたから、スポーツのさまざまな面を見せてもらいました。
 スポーツ健康学部では、コミュニケーション論とスポーツメディア論、それからスポーツジャーナリズム特論を研究科で教えています。あとはスポーツ史、それからゼミですね。

2.学生時代に読んだ本

——高校時代に図書館をよく利用されていたということですが、印象に残った本はありましたか。

山本 高校が男子校だったこともあったせいか、勉学は別にして空いている時間は、スポーツに身を投じるか、芸術・音楽に打ち込むか、自分の趣味の世界に没頭するかでした。二校目の高校が編入生だったことがそうさせたのでしょうが、部活に入るのを躊躇し、籍を文芸部においてのらりくらりとしていました。その分、図書館はそれなりに利用した方ですね。父親の転勤にともなって一人で下宿住まいを余儀なくされたことが関係しています。当時いた下宿屋は、社会人も大学生もいる大部屋的なムードで、部屋にテレビもなく、空いた時間を過ごす場所もありませんでした。図書館はある意味、避難所の一つだったのかも知れません。
 小学校の頃から母親に文学作品を読むよう口酸っぱく言われました。やがて手に取ったのが芥川龍之介『侏儒の言葉』。ませた子どもでしたね。中学時代には芥川龍之介にどっぷり浸かって。そのあと志賀直哉に転じて、それから井伏鱒二にたどり着き、高校の頃から大学にかけては井伏鱒二一辺倒でした。井伏鱒二の作品はおしなべて一つの文が短いのです。文が短い随筆や小説に憧れて親しんだのは、偶然ですがあとから結果的にはプラスになりましたね。私が長い間携わったスポーツ実況の世界は、短文の連発ですからね。高校時代には図書館で作品を模写することもありました。いまじゃ考えられないでしょうけど、マス目のついている原稿用紙を買い込んで、井伏鱒二の小品を図書館で書き写していました。たしか、どこか引き出しの奥の方に眠っているはずで、いま読み返すと恥ずかしいでしょうね。
 インターネットのない時代ですから、テレビなくして情報を得るといったら、図書館の存在が極めて大きかったですね。現代と違って情報があふれてない。図書館に行かないと情報が取れないのです。まだ高校生ですから、社会の人たちと接点を持って新しい事実を知るとか、体験で発見を手にするとかもありませんでした。限られた仕送りでの生活にも縛られて、図書館を通して世界を見ていたというところです。

——なるほど。知識を得る場所として以外では、図書館をどう利用されていましたか。

山本 当時の学校図書室には冷房もなかったように思います。窓を開けた図書室の中ではなんとか扇風機が数台回っているくらいで、昼寝していても汗が出る。でも、雰囲気は静かでしたから、集中できるという点では良い環境でしたね。
 通っていた高校は歴史が古かったので、昔からの本がたくさんありました。ちょうど3年生の時だったと思いますが、古い本を廃棄するというので、もらいに行った記憶があります。夏目漱石の布張りの昭和初期の本だったはずですが、「除籍」ってハンコの朱の色が今でも記憶に鮮明で、背のあたりが破れているものも含め山ほどもらって帰った覚えがあります。図書館そのものの中に財宝がうず高く積まれている印象でした。

——高校時代は知識として本を読まれていたということでしたが、アナウンサー時代はどうでしたか。

山本 アナウンサーになると、活字をじっくり読むよりむしろ人とのやりとりが多くなりました。話を聞きに行くのが仕事の8割を占めるといったらいいでしょうか。アナウンサーという職業はよくしゃべる仕事だと思われるのですが、10の内容を話して伝えるために、90から100ぐらいの素材を取ってくるのがベースになっています。その中から8を選び出して、あとの2は自分の中で醸したものをことばに加えていく。90から100を取り込んでいない人間は放送に耐える10を提供できないのです。たとえばテレビを見ていると、司会役をしているアナウンサーがずいぶんしゃべっているように見えるでしょうが、全体のなかではたぶん5%ぐらいしか発言していないはずです。口にしたその5%が適切なタイミングで無駄なく表現されたときに、流れをうまく走らせることができる。量は少ないのですが、棹を差した瞬間に斬新に方向が変わったり、緩急の変化がついたりしますから印象に深いのです。
 これまで会ってそれなりにじっくり話を聞かせてもらった人間の数で言うと、通常の人の三倍以上に及ぶような気がします。取材の過程で何人もの人に人生訓や勝負勘を語ってもらいました。スポーツの世界でも、著名な監督や脂ののった選手たちからさまざまな経験談を聞いてきましたから、図書館で得られるものとは違った意味での豊富な体験を重ねています。
 スポーツの勝ち負けというのは、競技スポーツに打ち込む当事者にとってはほとんどが真剣勝負です。熱を帯びてくると、想像もしないようなストーリーを語ってくれることがあります。感性を頼りに打って出た大勝負の顛末や、九死に一生を得たどんでん返しの細部が聞ける。活字化するには躊躇するような経験談も、消えてしまう言葉だからこそ口にしたということなのでしょう。書物に書いてあることはそれなりに別人の目を通して精査をしてありますから、余分なことが取り除かれていますが、人の会話では無駄なことばもあちこちにちりばめられています。感情の起伏がもたらすウロコやヒレが付いたままなのです。ホウホウ、なるほどと聞き続けて身の残らないことも少なくありませんが、ポイントを過たずに問いを発すると、埋もれていた事実に突き当たることがあります。書物の場合はどこに著者の伝えたがっている真髄があるのか、読み進めていかないとなかなかわからないことでも、人との会話はやりとりの進め方次第で核心の部分を的確にタイミングよく引き出すことが可能です。声には、言い回しにかかわらず感情がこもることがあって「あ、これは本音だな」というのがすぐに分かったり、意味が分からなければ他のことばで言ってもらったりと、文章から得られるのとは違った状況伝達の仕方があるからです。
 もちろん書物にはかなわないところもあって、残された音源をたどる以外、生きている人で時間の都合の合う人からしか話は聞けません。図書の持つ膨大で時空を超えた情報量は、音声言語とは比較にならない揺るぎない盤石の世界を誇っていますから。人に話を聞いたあと、一度活字に立ちかえって確認したり調べたり、その後また人に会いに行く。これが取材の一つのパターンになることもあります。かつて働いていたNHKの資料室には、書物と首っ引きの職員やスタッフが夜の11時を過ぎても大勢いたのを思い出しますね。

テレビには映らないアナウンサーのお仕事についてもお話ししていただきました

3.学生時代の図書館利用方法

——高校時代とアナウンサー時代のお話を聞かせていただきました。その間の東京外国語大学にいらしたときの話が飛んでしまったので、そこでの図書館との関わりを教えていただけますか。

山本 大学時代はオーケストラに入っていたのですが、アルバイトがない日には夜9時頃まで練習をし、それから飲みに行く。下宿に帰れなくなって午前1時くらいに大学の塀をよじ登って部室に入って寝るみたいな、そんな日を送っていたこともあります。かなり奔放な生活ですよね。高校生以来の下宿暮らしでしたから、暢気なものでした。
 専攻はドイツ語でした。語学の専門家になりたいと思っていたわけではなく、ジャーナリストになりたかったんです。図書館ではドイツ系の政治や経済、社会ものを手にすることが多かったように思います。趣味の音楽に関しては、スコア(総譜)を借りることも良くありました。
 大学3年のとき1974年のことですが、インターンでドイツの新聞社に行きました。一人暮らしをしながら現地の新聞社で、いわば研修生ですね。たしか月に350ドイツマルク(当時4万1000円相当)をもらっていました。当時のドイツの新聞人も僕に部屋を提供してくれたドイツ人一家もテレビに対しては冷淡で、「あんなものに文化はない」と言われたおかげでせっかくのW杯サッカー西ドイツ大会は、ほとんどテレビで見ることができませんでした。逆に言えばレベルの違う、ドイツ人の活字好きを目の当たりにしました。新聞社の資料室というのか、図書室も非常に充実していましたね。

4.図書館という存在について

山本 いたるところで情報が“取れそうな”時代なので、図書館の価値をわからない人も少なくないのではないでしょうか。ややもすると、図書館というのは受動的な機関、つまり、来る人が能動的にならないと上手く使えないという受け止め方をされかねません。博物館や美術館も同じで、来た人が意志と行動をともなわないと、そこにある価値がなかなか世に伝わっていかない。それでもインターネットやスマートフォン万能の時代だからこそ、近年は図書館の在り方も変容を始めていますね。ネットを通じて図書館にアクセスすると出てくる「法政サーチ」などが典型です。つながりのある所へ導いてくれるガイド役を広範囲に演じるツールです。こんなに便利なものがありながら、それでも依然としてなじみのない学生もいます。図書館をうまく利用できる人たちとうまく利用できない人たちの間には、人生を歩んでいったあとにそれなりの差が出てくる可能性が高いのですが、もったいない話です。
 いま私たちは、受け身でいてもそれなりの情報が集まる環境の中にいます。画面の中をおぼつかない羅針盤を頼りに泳ぎ回る人たちに対して、図書館の側も新たな策を考え、知の世界への入口を新たに開けるときかも知れません。せっかくの財産の価値に、気付きにくい時代になっていますからそこをどうするか、社会全体の課題ですよね、きっと。

——図書館側がもう少しアプローチをしていくということですか。

山本 変容することですね。図書館側がアプローチをかけるのは最後の最後だと思いますが、少なくとも入口を複数用意して、多面的、多元的な顔を作ることかなと思います。いかに多くの人が魅力に気付いて、そこをめがけてこようとするかですね。
 図書館は、使い方によって自分の人生をすごく大きく動かしてくれることもあれば、ただ単なる巨大なる岩で終わってしまうこともあります。その岩にこれまでなかった穴を空けて、中には何があるかを見せようという行動だけでも価値があるように思います。
 インターネットからはいろいろなものが出てきますが、中にはある種の売名行為があったり、生半可な知識で書かれていたりすることも珍しくありません。その点では、図書館はもっとずっと強い味方です。社会の疑問とか、自分でなんとなく感じた「え、それでいいの」の疑念を手繰っていくと、図書館の中にある種の答えが見つかることがあるのです。答えを探していく途中の自分の思想の変化とか、考え方の曲折もまた財産です。図書館でのものの調べは、インターネットより時間がかかるのですが、「時間がかかること」に価値がありはしないでしょうか。いまはなんでも素早いことに重きが置かれ、遅いというだけで蔑まれてしまいがちです。たとえ時間がかかっても、世界の人たちがどう考えてきたかを追いかけてみれば、あとから驚くような答えが出てくるものです。そんなことのできるのが図書館でしょう。
 放送の世界では、いつも何か新しいものを求められます。我々の社会は多くの分野で、これまでと違うもの、人と違うことを非常に大事にしてきました。そこにエネルギーを割く人もたくさんいます。でも図書館はどちらかというと、じわじわした発見の積み重ねを大事にし、時間をかけて非常に分厚い大きなものをため込んでいます。地下一階の書庫に入ってみるだけでもそのすごさが分かります。とてつもない数の人が費やしてきた知の財産を持っているわけです。それを少し剥がして見せることで、それまでと違った思考回路を提示できないだろうかと思います。図書館の在り方そのものを変えることではありません。そこに登山口を別に作ってみたらどうだろうかということです。

5.学生にお勧めの本

——学生へのおすすめ本、学生に読んでほしい本があれば教えていただきたいです。

山本 だいぶ前の人で、もう亡くなられたのですが、評論家で医師の加藤周一の著作です。加藤周一は、日本に数多生まれた知識人のなかで群を抜いた人のように思います。読んでいくうちに「あっ、いけない。この本を読んでおかなければこの先読み進めないぞ、きっと」というぐらいの牽引力で論理を展開する人です。一冊読むのにあちこち脇道に入りますから、読み終えて理解するまでに相当時間がかかりますが、深い知識や社会のものの見方を教えられますね。東大の医学部を出て、医師の卵としてフランスに留学していたときに、往年の名アナウンサーで欧州に客死する和田信賢の診察をしたこともあったとされています。英語はもちろん、フランス語にも堪能でたぶんギリシャ語やラテン語、それにドイツ語も読んだのでしょう。美術にも文学にも音楽にも造詣が深くて、社会情勢や政治にも並外れた感性を持っている。非常にリベラルな人ですから、時の政権に対しては常に距離を置く。法政のカラーには合っていますけどね(笑)。筆致が非常に鋭いし、物事を汲み取る視野の広さと深さは群を抜いていて、説得力が並外れています。『加藤周一著作集』を全部納得できるように読み込んでいくと、何年もかかるのではないでしょうか。「ああ、世の中にはとてつもない人がいる」とつくづく思いますね。いまでも著作集の第4巻でも開いてみると、大体3~4ページ読んだところで、一回止まらないとダメなんです。「この本探してこなきゃ、この本読んだらその次に行ける」っていう……そういう、大変な人ですね。すごい人はたくさんいますけど、加藤周一を超える人はいまもいないのではないかと思いますね。

——ぜひ読んでみたいです。
 今回は山本浩先生のインタビューでした。ありがとうございました。

多摩図書館所蔵の『加藤周一著作集』