ゼミ・研究室紹介(2019年度以前)

事物が存する理由を、文化的、環境的、歴史的に解明(文学部地理学科 中俣均教授ゼミ)

  • 2012年11月06日
ゼミ・研究室紹介(2019年度以前)
「博学なのに私たちと同じ目線に立ってくださる」と慕われる中俣教授(前列中央)と、ゼミ生たち

「博学なのに私たちと同じ目線に立ってくださる」と慕われる中俣教授(前列中央)と、ゼミ生たち

所属人数は総勢45人にものぼる中俣ゼミ。大所帯ですが学年別に分かれることなく、2~4年生がともに学んでいます。研究分野は「人文地理」をキーワードに、文化地理学、歴史地理学、社会地理学、都市地理学と広範囲。ゼミ授業では1年を4期に分けて段階的にレベルアップできるようにし、第1期は2、3年生の発表による専門的基礎知識習得のための論文講読、第2期は4年生の卒業論文構想発表、第3期は2、3年生の発表による応用的文献の講読、そして第4期は4年生の卒業論文進捗報告と進めています。

第3期にあたる9月27日(木)は、『景観の創造』(出版:昭和堂)の第2章「里の景観―『裏の景観』からみた遠野」を輪読しました。発表担当者が遠野の里に表れる人々の死生観について書かれた内容の要約説明と疑問提示をすると、ゼミ生は次々に意見を交換し、議論は地質的・歴史的分析から文化的・民族学的分析へ。遠野において石塔が魔除けの役割を果たしていることに関連し、中俣教授が「では(日本各地にある)地蔵菩薩についてはどう考える?」と問いかけると、石毛美穂さん(4年)は「亡くなった人の供養と同時に、出来事を客体化することで皆へ周知する働きをしている」と発言。さらに若林駿さん(4年)が「出来事の原因を霊的な物に求めることで地域に満ちる負の気を静めている」と意見し、工藤悠理さん(2年)は「永遠を象徴するとも言われる石で地蔵を作ることにより亡くなった人を神霊化し、それが民俗信仰として継承されていったのではないか」と論究しました。

9月27日(木)のゼミ風景。「人数が増えたことで今年から席をいくつかの島に分けました。ゼミは毎年、その状況に合わせて進化させています」(ゼミ長 松本さん)

9月27日(木)のゼミ風景。「人数が増えたことで今年から席をいくつかの島に分けました。ゼミは毎年、その状況に合わせて進化させています」(ゼミ長 松本さん)

「『なぜ石塔を置くのか』『なぜ石でなければならないのか』など、さまざまな視点から核心に迫れるのは高学年の方々と席をともにできるからこそ」と中村康平さん(2年)は中俣ゼミの特徴を言い表し、「後輩も優秀で研究熱心な子ばかりなので私たちも刺激をもらっています」と有馬俊幸さん(4年)。児嶋光さん(4年)は「ゼミでは広範囲の地理学を扱い専門外の分野についても聞けるので、共通点や相違点などいつも新しい発見ができます」。また、希望していた旅行会社に就職予定の齋藤柚香さん(4年)は「ゼミで多角的分析の訓練をし、『仕事を通じて人を喜ばせたい。そのツールとしてなぜ旅行なのか』まで掘り下げられたことが内定獲得につながったと感じています」と披露し、狩谷貴大さん(3年)は「ゼミでの研究は自己形成の確立にも役立っています」。ゼミ長の松本瑞樹さん(4年)は最後に、「“多様性”が、中俣ゼミの最大の特徴です」と加えます。

研究対象は空間のすべて

9月に山梨県大泉高原で開催した夏合宿。仲の良い中俣ゼミはこの10月にも、「ちょっと早い卒業旅行として中俣先生と4年生とで金沢に行ってきます」(齋藤さん)

9月に山梨県大泉高原で開催した夏合宿。仲の良い中俣ゼミはこの10月にも、「ちょっと早い卒業旅行として中俣先生と4年生とで金沢に行ってきます」(齋藤さん)

「その看板は何故そこにあるのか」「この道路は何故このような舗装構成がなされているのか」――中俣ゼミに入ってから、普段道を歩いていても「なぜ?」と考えることが癖になったと話すゼミ生たち。それを生かし「今年から夏合宿に自由時間を設けることにしました」という夏合宿幹事の狩谷さん。児嶋さんは「高地ではボールがよく跳ねるとテレビのスポーツ観戦で知ってはいましたが、実際にボールがどのくらい、どのように跳ねるのか、大泉高原でテニスをしてみて初めて知りました」と、レクリエーションの中にも地理学ならではの気づきを得たそうです。

机上の空論で終わらせない研究に邁進するゼミ生たちは、個々の研究にもフィールドワークを導入しています。有馬俊幸さん(4年)は8月に新潟県十日町市でインタビュー調査を慣行。「炎天下の中、暑さでのぼせて鼻血が出ました(笑)」と、研究テーマである「過疎地における公共交通機関の役割」の重要性を身を持って経験しました。「新潟県巻地区の鯛車(※)復活」を考察する相羽洋さん(4年)も、同じく夏休みを使って実地調査。直接住民の方々の声を聞くことで、地域内に今も残る10年以上前の原発建設計画から端を発した地域内の心理的対立という目に見えない課題を浮き彫りにさせ、鯛車の復活プロジェクトがその解決の糸口としてどのように役立っているかを明らかにしようとしています。

「ゼミ生には自由な発想で考えてもらいたいと思っています。それが一番難しいのですが」と中俣教授。一方、中村さんは「自分たちだけで答えを出そうとしても核心へは“かする”程度しかアプローチできません。先生はヒントを示し、難しいことは噛み砕いて説明してくださりつつ、何度も何度も私たちに考えさせて、核心が核心であることを自分たちで気づけるように導いてくださいます」と話します。

※鯛車…木や竹で形どった鯛に車をつけて引き回せる郷土玩具の一つ。