教員紹介(2016年度)

すばる望遠鏡の観測装置開発など、数々の功績を残す 理工学部創生科学科 教授 岡村 定矩

  • 2016年06月09日
教員紹介(2016年度)

プロフィール

小金井キャンパス西館屋上に設置された天文台にて撮影

小金井キャンパス西館屋上に設置された天文台にて撮影

理工学部創生科学科
教授 岡村 定矩(Sadanori Okamura)

1948年山口県生まれ。1970年東京大学理学部天文学科卒業。1976年同大学院理学系研究科博士課程天文学専攻を単位取得退学。理学博士。1978年東京大学東京天文台木曽観測所助手。1986年同助教授、1991年同理学部天文学科教授に着任。2003年理学系研究科長・理学部長、2006年理事・副学長を経て、2012年東京大学を定年退職後、法政大学理工学部創生科学科の教授に着任。現在に至る。国立天文台ハワイ観測所にある大型光学赤外線望遠鏡、通称すばる望遠鏡の観測装置開発にあたった中核メンバー。東京大学名誉教授。

天文学を通じて理系ジェネラリストの育成にまい進したい

フレッシュな環境のもと教育に注力する日々

1学年6人しかおらず、東大最小の学科と言われた東大理学部天文学科の同期生たちと

1学年6人しかおらず、東大最小の学科と言われた東大理学部天文学科の同期生たちと

天文学に興味を持ったのは、高校の図書館で偶然見つけた『天体写真集―200吋で見る星の世界』(誠文堂新光社)に載っていた、「馬頭星雲」の天文写真に魅せられたことがきっかけです。それは、山口県西端にある生家近くでいつも見ていた響灘の夕景と重なり、「宇宙には、こんなきれいなところがあるんだ」と感動したのです。

天文学には多くの領域がありますが、私が専攻したのは「銀河天文学と観測的宇宙論」。宇宙の中に1000億以上あると言われている「銀河」を望遠鏡などで観測し、宇宙の起源や進化を追究する学問です。東京大学に籍を置きながら40年以上研究を続けていました。

理工学部に創生科学科を新設するに当たって、専任教員のお話をいただき、法政大学の教壇に立つようになったのが2012年。創生科学科ができて2年目の年からです。東大にいた時代は研究一筋の日々でしたが、法政では新設して間もない学科のフレッシュな環境を生かし、新たなスタートを切った気持ちで「教育」に力を注いでいます。学生がこの学科で何を学べるのか、どんな成果が出せるのか。この数年間は、それを分かりやすい形に残せるように尽力してきました。

その一例が、昨年3月に小金井キャンパスの西館屋上に設置したミニ天文台です。実習や研究に役立てることはもちろん、天体観望会などを通じて、学外の多くの人にも天文学を身近に感じてもらえたらうれしいですね。

さらに、創生科学科の専任教員全員に声をかけて執筆を依頼し、『理系ジェネラリストへの手引き』(日本評論社)を出版しました。理系の学生のみならず、社会に出てからも通用するスキルやリテラシーを集約したハンドブックです。ジェネラリストは、本来は理系も文系も区別なく、スペシャリストの対義語として「広範囲にわたる知識を持ち、対応できる人」を意味する言葉です。しかし、日本では文系の仕事と見なされやすいので、あえて「理系」を打ち出しました。一人でも多くの理系ジェネラリストが誕生してくれることを願っています。

最高の偶然が重なった幸せな研究生活

(左)1999年当時のすばる望遠鏡の全景(右)2001年3月の本観測初日。円筒形のドーム脇にある観測室内部にて、Suprime-Cam開発チームの仲間たちと

(左)1999年当時のすばる望遠鏡の全景(右)2001年3月の本観測初日。円筒形のドーム脇にある観測室内部にて、Suprime-Cam開発チームの仲間たちと

東大で天文学の研究に没頭した40年を振り返ると、驚くほどの幸運に恵まれていたと思います。

私が専攻した観測的宇宙論は、高性能な望遠鏡がなかった日本では学問的にあまり人気がありませんでした。ところが1970年代の終わり、私が博士号を取得したころから望遠鏡の開発が飛躍的に進歩し、より遠く、より古い銀河を見つけられるようになったのです。そして、激動の40年と呼ぶべき技術革新の勢いの中で、すばる望遠鏡(国立天文台ハワイ観測所の大型光学赤外線望遠鏡)の建設へと道がつながりました。研究の集大成として、満月ほどの広い天域を一度に撮影できる広視野カメラ「Suprime-Cam」の開発を主導し、世界トップレベルの望遠鏡の誕生に貢献できた。とても幸せな研究生活でした。

おかげで、趣味はまったくないんです。研究だけで十分刺激的でしたので、気分転換にもなっていました。妻からは「あなたは仕事をしてるか、お酒を飲んでいるか、寝てるかのどれかね」と呆れられていました(笑)。

周りを気にするよりも自分を主役にする行動を

アフガニスタンの首都カブールにて。 仲間たちと放浪の旅に出ていたころの一枚。旅行中の資金や移動手段となった自動車は、人脈を駆使して企業から借り受けたのだとか

アフガニスタンの首都カブールにて。 仲間たちと放浪の旅に出ていたころの一枚。旅行中の資金や移動手段となった自動車は、人脈を駆使して企業から借り受けたのだとか

思い返せば、学生時代も印象深い激動の日々でした。お金のない苦学生だったので、学業以外は「東大ふすまクラブ」という、ふすま張りすなわちアルバイトをするサークルに所属して、活動に精を出していました。

そして卒業を控えて目の当たりにしたのが「東大安田講堂事件」。すんなりと大学院に進学することに疑問を感じ、悩んだ末に1年留年して、仲間と4人でヨーロッパとアジアを巡りながら自動車で放浪する旅も経験しました。いろいろなことを思い悩み、体験を糧にした時間だったと思います。

私たちの時代とは違うのでしょうが、今の大学生は、人懐っこさのある一方で、エネルギーを内に秘めてしまっている気がします。自ら考えるより、スマートフォンを眺めて、流れてくる情報を受け取るばかりの受け身の行動が多く、少し歯がゆさを感じます。

法大の学生に限らないので、社会的な風潮なのでしょうか。人からどう思われるかを気にしていると萎縮した行動しかとれなくなります。それよりも、自分は何をやりたいのかを優先して考えてみてほしいですね。

(初出:広報誌『法政』2016年度4月号)