教員紹介(2016年度)

貧困などの社会問題に取り組み、支援活動に従事 現代福祉学部福祉コミュニティ学科 教授 湯浅 誠

  • 2016年05月17日
教員紹介(2016年度)

プロフィール

現代福祉学部福祉コミュニティ学科教授 湯浅 誠

現代福祉学部福祉コミュニティ学科
教授 湯浅 誠(Makoto Yuasa)

1969年東京都生まれ。1995年東京大学法学部卒業。2003年同大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。1995年よりホームレス支援活動に関わり、反貧困ネットワーク事務局長、NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長などを歴任。2008年年越し派遣村村長、2009年内閣府参与(~2012年)などを経て、2014年現代福祉学部教授に就任、現在に至る。『反貧困』(岩波新書)、『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日文庫)他、著作多数。

「マイ社会問題」を通じて学生自身が深く考え答えを出す力を育てたい

教えるのではなく寄り添い導く

就任初年度の2014年夏に開催したゼミ合宿。手探りながら、学生主体で「課題解決を行うリアルなプロジェクト」に取り組んだ

就任初年度の2014年夏に開催したゼミ合宿。手探りながら、学生主体で「課題解決を行うリアルなプロジェクト」に取り組んだ

ボランティアから始まり、NPO法人や政策に関与しながら社会活動家として歩んできました。ただ、最初から社会問題をライフワークにしようと考えていたわけではないんです。貧困に苦しむ人たちに出会い、どうにか解決できないかと模索していたら、新たな問題を抱えている人と出会う。そんなことを繰り返すうちに活動範囲が広がり、今に至ったという感覚です。

2014年から法政の教壇に立たせてもらっていますが、学生には「私は教えない」と宣言しています。社会問題に関しては、答えにたどり着く道筋は幾通りもあり、何を正解とするかの判断も人それぞれ違います。だから、誰かに教えられた一つの答えをただ覚えるのでは意味がない。自分の力で答えを探し、道を作ることが重要です。その力を引き出す手助けをするのが、私の役目だと思っています。答えを探してもがく相手に寄り添い、必要な時には手を貸して、本人の力で歩み出すのをサポートする--。その過程は、今まで従事してきた支援活動にとても近いと感じています。

社会問題の入口は身近なところにあります。誰しも、それぞれ何らかの問題意識を持っているのに、自分の言葉で表現したり、徹底的に話し合うことに慣れていないんですね。

そこで、授業では自分の身近で気になること、大変な思いをしたことを「マイ社会問題」と呼び、テーマに取り上げています。その際、知らない人同士でペアを組んで話すように促したり、わざと失礼な態度で話を聞いてもらったりと、仕掛けも施しています。話しづらいけれど話さなきゃいけないシーンで、どうするか。言葉で説明するより、体感することで気付き、答えを出す力を養ってほしいからです。

私にしても、学生たちは何を感じているのか、どう反応するのか目の当たりにできるのは、とても貴重な機会です。支援活動とは無縁のごく一般的な若者の生の声ですからね。こちらが教えられることの方が多く、発見に満ちていて楽しいです。

自然体で支援活動を続けられる理由

2匹の愛猫。相談者からなりゆきで譲り受けたにーたん(左・取材後病気により永眠)、東日本大震災時に福島の避難所にいたみーちゃん(右)

2匹の愛猫。相談者からなりゆきで譲り受けたにーたん(左・取材後病気により永眠)、東日本大震災時に福島の避難所にいたみーちゃん(右)

ボランティアは「善意の表れ」と見なされているせいか、立派な人間でもない自分が手を出すのは偽善だ、相手に失礼だと遠慮がちになる敷居の高さがあるようです。しかし、私にとっては、ごく当たり前な日常の一部でした。

私の兄には幼いころから障がいがあり、家にはボランティアの方々がいつも出入りしていて、私とも遊んでくれました。家族でも友人でもないけれど、頼りになる心強い存在。それを身近に感じられる環境だったのは、今考えると幸運でした。何の抵抗も感じずに、ホームレスの方に会いに行って、自然と支援活動に携わり、深く考えずに楽しんで続けてこられましたから。

のめり込みすぎて、他に趣味もないんですよ。家にいる二匹の猫と遊ぶことが、唯一の趣味かもしれません。その猫たちも、活動が縁でわが家にやってきたんですけれどね(笑)。

思考に癖がついていないか振り返ってみてほしい

NPOアジア太平洋資料センター(PARC)で5年間続けた「活動家一丁あがり講座」、最後の卒業生たちと

NPOアジア太平洋資料センター(PARC)で5年間続けた「活動家一丁あがり講座」、最後の卒業生たちと

大学には数えるほどしか通いませんでした。もともと「学歴なんて関係ない、大学には行かない」と公言したら、父親から「東大に入学してから言え」と諭され、意地で入学試験を突破しただけなので。授業よりも、児童養護施設の学習ボランティアで知り合った学外の仲間と過ごしてばかりいました。

今は大学も変わって、そんな破天荒な自由は許されなくなっていますよね。出席重視の授業が一日中あって、夜はバイトをこなし、時間に追われる日々を送っている学生は少なくありません。友達との付き合いも空気を読んで、踏み込みすぎないように気を使うなど、洗練されています。でも、すでに社会人のようで、しんどいだろうなと心配になります。

それが当たり前だからと、疑問にすら思わないのは、思考に癖がついている証拠です。まだ社会のあり方を対象化して考えることは難しいと思うけれど、自分の置かれた環境はベストなのか、自問して考える力はぜひ養ってください。精いっぱい応援します。

(初出:広報誌『法政』2015年度3月号)