物質資料をもとにして人々のあゆみを明らかにするのが考古学である。旧石器時代から古墳時代までを主に扱うが、そこには日本列島を舞台に生きたさまざまな人々の営みが存在している。もの言わぬ資料をいかに語らせ、そこからどのような姿を描けるだろうか。考古学の方法を用いることによって、自然の中で暮らし、やがて農耕文化を形成し、新たな社会へと進んでいった人々の足跡をたどっていく。
古代は残存史料が少ないので、その解明は難しく(だからこそロマンあふれる時代でもあるが)、さまざまな手法を用いて研究を進める必要がある。古代史を通観する視点からの理論的な復原や、逆に可視資料による考古学の成果の援用も必要である。しかも残されている確かな史料すら、中央政府によるものなのでどこまで実態なのか厳しい史料吟味が求められる。これらを踏まえて古代社会の成立から中世社会の成立までを考える。
中世とは、鎌倉幕府や室町幕府が存在した時代である。平安時代までは、天皇と貴族の組織である朝廷によって政治が行われていた。それに対し、幕府は武士の組織であり、中世になるとこの幕府が生まれ、成長し、次第に政治の主導権を握るようになった。しかし、一方では朝廷もまた健在であり、幕府には興亡があっても、朝廷は滅びることなく続いた。なぜこのような推移をたどったのか、それは中世史の根本問題である。
豊臣政権から江戸時代末期までを対象とする。豊臣秀吉の惣無事政策は、江戸時代の社会に平和と安定をもたらした。しかし、人々の人権は身分制度によって阻害され、必ずしも平等な権利が保障されていたわけではない。このような中で人々は生き抜くため、町や村という共同体を通して、自由な取引や権利の平等化のための弛まぬ闘いを繰り返した。われわれの祖先である江戸時代の人々は、どんな姿勢で政治や経済と向き合い、どんな常識をもって自分達の社会と文化を切り開いてきたのか。これらを古文書などによって探求しようとする学問が日本近世史である。
黒船来航以来、日本は封建制の国家から中央集権制の国民国家へと変貌を遂げた。その背景には、封建国家の遺産や民族性、当時の国際環境があった。20世紀初頭に先進諸国の一つになると、日本は周辺諸国への影響力行使や欧米先進諸国への対抗心を高めることとなった。敗戦は、改めて国際社会の一員としての日本という認識を国民の心に刻み込み、さらに非政治的あるいは非営利的な人間同士の交流を大切にする認識を普及させつつある。こうした過程を史料に基づいて解明してみよう。
中国各地の新たな発掘によって中国古代史像の多様性が判明しつつあるが、殷周に代表される黄河中流域の文明が中国的文明の主要な源流の一つであることは確実である。甲骨文や青銅器の金文からどのような世界を読みとれるのか。人々はいかなる自然的環境のもとにどのような集団の中で生きていたのか。遊牧騎馬民族がもたらしたとされる鉄器はどのような社会的変化を引き起こしたのか。秦漢帝国はどのような時代の帰結であり、どのような時代の出発点となったのだろうか。
李白・杜甫に代表される唐代の文芸は人間の精神活動の一頂点をなしているが、当時の一般庶民はまだ制約の多い社会に暮らしていたようだ。節度使・藩鎮は古い世界を破壊したが、新しい世界をうち立てるには至らなかった。その間に実力を蓄えた者たちが宋王朝を支え新しい時代を開いた。彼らは士大夫と称し、物質的にも精神的にも社会の指導者となった。彼らの下でどのような開発がなされたのだろうか。豊かになった中国との通商を求めて集まった人々はどこから来たのだろうか。
宋代に始まる社会は支配王朝の交代を伴いながらも一つの「完成」に向かった。高度に集約された農業・手工業に支えられ、見かけ上は整った官僚体制と軍隊を伴う帝国の形成である。しかし、人々は「豊かさ」を享受できたのだろうか。西欧の衝撃は印度、東南アジアからやや遅れ、ついに中国に及んだ。古くからの文明と物質的な豊かさを誇る国ほど、衝撃への対応が遅れたのではないか。アヘンの害は文明の発祥から今日にまで及んでいるにもかかわらず、なぜ19世紀前半にあれほど問題になったのだろうか。
アジア諸地域の民族・国家にとって「近代」は社会の発展の結果として生み出されたものとしてではなく、外からの衝撃・圧迫が強調されてきた。しかし、近代の形成は、各民族が培った文化を土台として、かつ内在的な変革の過程で、植民地的支配や不平等な社会的制約からの脱却と独立への努力を通して生み出されてきた。それぞれの多様な歩みがどのようなものなのか、「現代」はいかなる時代か、今日なお抱えている問題とは何か、歴史を見る眼が問われている。
「民主主義」の起源は紀元前6世紀末のアテネにまで遡る。当時の人々がこの人類史上初の政治体制を実現させるまでに重ねた試行錯誤は、今の「民主主義」に何を語りかけているのだろうか。「パクス・アメリカーナ」という表現の元型である「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」と呼ばれた時代は、本当に平和と繁栄と幸福の時代だったのだろうか。聖書という史料からどんな世界が見えてくるだろうか。ローマは本当に没落したのだろうか。古代オリエントからローマ帝国の解体に至るまでの歴史・社会・文化の中に、私たちの今を考える手がかりを探してみよう。
ビザンツ帝国(古代ローマ帝国東部の中世的形態)との対抗関係のなかで、どのようにヨーロッパ世界が形成されてきたのか。そのヨーロッパの景観を変えた中世農業革命。各地に姿を現した中世都市。農民や都市住民はどのような環境や人間関係の中で生きていたのだろう。西洋中世と言えばキリスト教の世界。ロマネスク建築の最盛期になぜゴシック建築が生まれたのだろう。教会、種々の修道会、そして民衆宗教運動の関わりは? 尽きせぬ「?」と多彩な魅力に満ちた西洋中世の世界を探訪しよう。
一般にルネサンスが西洋近代の始まりとされるが、一つの現象で時代を画することは難しい。中世と近代に限らず、時代の移行期には連続と断絶、伝統と革新の相剋がつねに問題になる。ルネサンスや絶対主義についても、この問題をめぐる論争が続いている。しかし、ヨーロッパでは15世紀末から18世紀末にかけて、大航海時代、宗教改革、資本主義の発達といった諸現象が続き、「近代」のおもな要素がこの時期に形成された。大航海はまた、世界史の一体化の始まりでもある。この種々の変化と、それらの変化に抗する動きが錯綜する世界の中に、私たちの「今」のルーツを探してみよう。
フランス革命では「自由、平等、博愛」という要求が掲げられた。しかし、その後20世紀のソ連社会主義の時代を経ても、これらの課題は解決されていない。今の世界には種々の問題があふれ、紛争が生じている。これから生きる諸君は否応なくこうした問題にぶつからざるをえない。現代社会、世界、そしてその抱える問題を時間軸から考えようというのが近・現代史である。社会が様々な要素から成り立っているので、政治学、法学、経済学、社会学、国際関係論といった隣接学問分野からも学びつつ、今の課題を意識しながら、問題の起こりを解明していく。21世紀を生きる諸君にとって、これは人生のパスポートである。
(提出された卒業論文題目の一部です。)