教職課程センターの紹介

センター長メッセージ

教職課程センターの紹介

教師像をリ・デザインする

日本とそれを取り巻く世界の変化は、想定を超えて激しくなっています。子どもや生徒を取り巻く地域や家庭の環境の変化も同様です。しかも変化には光とともに影の部分もあります。今(2017年)まさに、グローバル化や国際化の深まりとともに、偏狭なナショナリズムやポピュリズムの高揚が生じています。異質な他者との共生や社会的包摂も進む一方で、これに逆行する社会的な排除や孤立、人権の剥奪が目立ってきています。

当然のことながら、「社会の鏡」ともいえる子どもや生徒の実像にも、光と影が混在しています。国際交流や留学などで多様な人びとに出会い、一緒に考え、共に生きるセンスを身につけた子どもが増えています。しかし、足下では、生徒のいじめや不登校、引きこもりや学習意欲の喪失なども依然として高止まりの状態です。

教育や学校は、このような社会や子ども・生徒の変化や実態にどのように向き合ったらよいのでしょうか。その向き合い方を示すガイドラインの一つに、学習指導要領があります。いよいよ2020年代初めから新学習指導要領が全面実施されます。また、これに歩調を合わせて、教育職員免許法改正(2016年)に基づく大学の教員養成制度も改訂されることになります。

学習指導要領とは、いわば国家レベルのカリキュラム・デザインです。次期学習指導要領は、知識の習得や理解とともに、それを活用し探究する資質・能力をより一層重視します。そのために、主体的で協働的な学び(アクティブ・ラーニング)も強調されます。「何を教えるか」(教育内容)から、「何ができるようになるか」という資質・能力へと、デザインの考え方の基軸も転換されています。

こうしたいわば上からのカリキュラム・デザインの考え方を無批判に受け入れてよいのでしょうか。逆に、それを否定や批判しながら旧態依然ともいえるカリキュラム・デザインを維持するだけでいいのでしょうか。教師は「ゲートキーパー」であれ、と提唱するアメリカの研究者がいます。教師は、上からの政策に対して「門番」のように振る舞い、子どもや社会の実情やニーズに即し「主体的なカリキュラムと授業の調整役」となるべし、というのです(スティーブン・ソートン『教師のゲートキーピング』)。

こう教師像を再定義(リ・デザイン)すれば、教員養成でも、国家カリキュラムの下請け役ではなく、主体的な調整役としてカリキュラム・デザインできる教師を育成することが求められます。学校の中では、互いに「批判的な友」として協働する教師であることも求められます。そこで、教職課程の授業やエベントでも、学生相互の協調的な学びや協働するワークを質量ともに充実させる必要もあるでしょう。

さらに、子どもや生徒に向かって教えたり伝えたりする役割(ティーチャーやインストラクター)だけでなく、アクティブ・ラーニングなどに相応しいファッシリテーターやコーディネーターといわれる教師のあり方も、学生が模擬授業や教育実習で実演し省察する機会も不可欠です。つまり、具体的な授業や教育指導のデザイナーとしての資質・能力だけでなく、教師像そのものをリ・デザインする面白さと厳しさを会得することが学生に求められます。

大学も当然、その求めに応えうるカリキュラムや授業、学びのコミュニティや空間をデザインする必要があります。学生諸君も巻き込みながら、開放制教員養成を担う教職課程センターとして、遅々とした歩みでしょうが、目的養成大学・学部と一味違った学習環境の(リ)デザインに励みたいと考えています。

教職課程センター長 高野 良一