PickUP

【法政の研究ブランドvol.23】 ―第63次南極地域観測隊越冬隊長が語る― 「地球を見続ける」南極地域観測隊の活動と、氷河地質学の研究が拓く未来とは (社会学部社会政策科学科 澤柿 教伸 教授)

  • 2023年07月28日
PickUP

「法政の研究ブランド」シリーズ

法政大学では、これからの社会・世界のフロントランナーたる、魅力的で刺激的な研究が日々生み出されています。
本シリーズは、そんな法政ブランドの研究ストーリーを、記事や動画でお伝えしていきます。

故郷の雪山を歩いた経験が、大発見につながった

vol.23_sub.jpg

私は、富山県の立山連峰を臨む町の出身です。幼少期から小学校の理科の教員だった父と共に、山菜採りや沢登りに興じることも度々でした。雪山が身近にあった私が、氷の世界と大地との関係を追究する「氷河地質学」を学び、南極研究に従事するようになったのは自然な流れだったのかもしれません。

南極への興味が湧いたのは、高校時代に映画『南極物語』を見たことがきっかけでした。スクリーンに映し出された南極の風景に感動し、「いつか自分も行ってみたい」と思ったものです。そんな私の背中を後押ししたのが、高校の先生の「北海道大学に進学してはどうか」という言葉でした。私の地元には昔から山岳ガイドで有名な一族が住んでいました。南極地域観測隊の隊員を5人も輩出した家系であり、彼らの中には北海道大学へ進み、山岳部で活躍した人もいました。私も後に続けば、南極行きの切符を手に入れることができるだろうか。そう考えて、北海道大学へ進み、大学の山岳部にも所属。部の先輩に「南極に行きたい」ことを話すと、ほどなくして南極地域観測隊の隊員を経験した教授陣や卒業生を何人も紹介していただきました。

大学、大学院では「南極観測に役立つ学びがしたい」と考え、氷河地質学を専攻。当時の日本では、雪氷学と地質学それぞれを専門とする研究者はいても、氷と岩石、両方の性質を持つ氷河地質学の研究者はまれでした。ですが小規模な研究コミュニティだったからこそ、先生方によく面倒を見ていただいたり、南極観測へもご推薦いただけたりしたのでしょう。師事した先生のご推薦で南極地域観測隊へ参加できたのは1992年、博士課程1年のときのことです。1年間休学し、あまり予備知識のない状態で飛び込んだ南極での生活では、並々ならぬ苦労も。それでも、夢にまで見た美しい氷雪の世界で過ごす日々は感動的なものでした。

初めての南極観測でのある日、私は奇妙な地形を発見しました。地表に水が流れたような痕跡があったのです。当時、似たような地形がヨーロッパなどでも発見されていましたが、これを水が流れてできた地形だと考える研究者は少数派で、大多数の研究者は氷が大地を削ってできたものだと捉えていました。極寒の地である南極では、水は凍った状態でしか存在できず、地表を水が流れることなどあり得ないと考えられていたからです。それでも私には「これは間違いなく水が流れてできた地形だ」という確信がありました。幼い頃から山に親しみ、沢登りが趣味だった私が見てきた川の痕跡にそっくりだったからです。「しかし、この水は一体どこからきたのだろう…まさか氷床の底に?」と疑問は深まるばかり。当時は今ほど通信技術が発達していたわけではなく、現地でできることには限界がありました。「早く日本に戻って、この研究分野の最先端の情報に追いついて自分の仮説を検証したい」というもどかしい気持ちで、外界と隔絶された南極での日々を過ごしたことを覚えています。

あれから30年。調査が進み、南極の氷の下には琵琶湖の何倍もの大きさの水たまりがいくつもあり、川のように水が流れていることも分かっています。近年では氷河を掘削し、ビデオカメラで氷の下の水中撮影にも成功。生物が水中を泳いでいる映像に、感動で胸がいっぱいになりました。

当時は支持されなかった私の論文が時を経て評価されたときには、「研究を続けてよかった」という喜びの気持ちを抱くとともに、改めて研究の奥深さ、面白さを実感しました。

観測隊の調査を通じて、地球温暖化をはじめとする問題改善のヒントに

私はこれまでに4回、南極地域観測隊に参加しています。最初に参加した1992~94年の観測隊の活動では「水が流れた形跡」を発見し博士論文を発表。また、南極の海底の地形についても調べました。2~3回目の観測隊参加では、水が氷の下に流れている根拠と、その水がどこから流入しているのかを調査。直近の4回目の2021~23年では、南極大陸の縁に(ひさし)のように張り出した氷である「棚氷」が、海水温の上昇によってどのくらい()けているのかデータを収集するプロジェクトを担当する隊を指揮しました。

現在、地球温暖化で南極の氷が融けたらどうなるかという話が進んでいますが、南極の平均気温は-30度くらいです。予想されているように、温暖化で気温が2~4度上がったところで、南極の氷が融けることはまず考えなくていい。何が心配かというと、氷の底に液体の形で存在している大量の水が突然流れ出すのではないか、あるいは温暖化により水温が上昇した海が南極の氷を融かしているのではないかということです。

今回の調査では、南極氷床の下の水と、その水によって融けかけている氷が今後環境にどのような影響を及ぼすのかについても研究を進めています。地球温暖化そのものを止めることは難しくとも、こうした現象の予測が立てられれば、将来何らかの対策が打てると考えています。

他にも、観測隊では年間を通じてさまざまな調査・研究活動が行われています。オーロラや大気の観測、ペンギンの個体数把握、夏になると現れる湖の底の地質研究など、多種多様でそのどれもが各研究分野に貢献するものです。しかし、いつでも最先端の研究ができるわけではありません。南極の気候条件は特殊なため、日本から持ってきた機器がうまく機能しなかったり、故障してしまったりすることが多々あります。乾燥した土地なので、激しい静電気や雲母と呼ばれる鉱石が風に舞うことでダメージを受ける精密機器も。南極に来て早々にスマートフォンが壊れることも珍しくありません。そうなると、スマートフォンなしで1年間過ごすことになるので、予備が必要です。アプリなどを使って家族とやり取りする必需品ですからね。

  • 氷の厚さや内部構造を解析するためのレーダー探査の様子。昭和基地から約20㎞離れたラングホブデ氷河にて(右奥が澤柿教授)

  • 昭和基地にやってきたコウテイペンギン

昭和基地の第一義は「地球を見続ける」こと

日本が公式に南極観測に参加するようになったのは、1956年からです。太陽や地球の磁気の影響を調べる国際地球観測年という国際協力事業に参加したのが始まりでした。この事業は、戦後の日本が国際社会に復帰する大事なきっかけでもありました。世界の列強が南極観測に乗り出す中、日本が基地建設を許されたのは地図に「Inaccessible」、すなわち「到達できない」と記された土地でした。現在、昭和基地がある場所は実は南極大陸上ではなく、そこから海氷を越えた先にある東オングル島の上です。到底たどりつけまいと他の国々は考えていましたが、当時の日本は予想を裏切って見事島に到達。昭和基地を建設しました。これには、日本の船舶技術が他国より発達していたことが関係しています。また、日本の技術力の高さは、昭和基地に使われたプレハブ工法からもうかがえます。厳しい冷気と風をしのぐ頑丈な工法は、昭和基地建設後に日本国内にあっという間に普及していきました。

日本の強みは技術力だけではありません。南極で行われている調査の数々は、「100年単位で観測を続け、地球全体の気候変動を観察しよう」というもので、継続してデータを収集することが必要です。これは、勤勉な日本人の性質に合っている作業でしょう。こんな例があります。観測項目の中に「オゾンの濃度」という項目があり、観測隊はずっと濃度を測り続けてきたのですが、いくら計測しても値が0だったときがありました。機械の故障を疑ったものの、どうもそうではない。突き詰めていくと、南極上空のオゾン層が薄くなって、穴(オゾンホール)ができていることを発見しました。太陽の光に含まれる有害な紫外線を吸収し、私たち生き物を守ってきたオゾン層が破壊されつつあることが分かったのです。それが1982年のことです。日本人の勤勉さが、環境問題に大きな影響を及ぼす発見に結びつきました。

南極地域観測隊の役割は「常に地球を見続けること」。地道に観測を続けて、変化を見逃さないようにする、いわば予防薬のような存在です。そのため、観測隊において最も重要な目的は、昭和基地の観測機能を止めないことにあります。それは、最先端の研究よりも優先すべき事項として約60年にもわたり続けられ、今日に至ります。

  • 雪融けが進む12月中旬の昭和基地。南極では12月になると気温がおよそ0度まで上がる

  • 第63次南極地域観測隊集合写真

  • 昭和基地上空に見えたオーロラ

  • 昭和基地を離れる南極観測船・砕氷艦「しらせ」を見送る。ここから32人だけの越冬隊の孤立生活が始まる

隊長の務めを果たし、次の観測隊へバトンを渡す

4回目の参加である今回の調査とこれまでの3回の調査の大きな違いは、研究者ではなく越冬隊長として参加した点です。隊長の業務で最も優先すべきは「隊員の安全確保」です。南極では、晴天があっという間にブリザードと呼ばれる猛吹雪に変わることも。一歩間違えば命を失うので、こまめに天候をチェックし、適切なタイミングでスピーディーに「外出禁止」「作業所待機」「単独行動禁止」などの判断をくだしていました。また、隊員の心身のケアにも配慮を欠かしませんでした。

さらに、今回の越冬隊の活動では「ドームふじ観測拠点Ⅱ」と呼ばれる観測拠点を新たに設けました。この拠点には100万年前の氷河があるだろうと予想されており、次の観測隊が掘削してその取得を目指すことになっています。これほどまでに古い時代の氷を掘削した国は未だかつてありません。なお、この拠点をつくるために、調査チームは昭和基地から雪上車で約1,000kmもの距離を移動し、その間は車内で生活を送りました。拠点建設時には仮小屋を建てて滞在。約40日で完成させました。大変な労力でしたが、無事に次の観測隊に引き渡しができて何よりです。今からどんな成果が得られるのか、楽しみで仕方がありません。

次回は、氷の下に自動で潜り込んで海の水質調査をする水中ロボットを取り入れようという動きもあります。今回、試作品を動かしましたが、日本と南極では環境条件がかなり違うため、機械の不調や困難が続きました。今回の不具合を見直し改良することで、次にバトンをつなげていきたいと思います。

また、「南極基地クリーンアップ作戦」と題して、これまで基地周辺に残されてきたさまざまな機械・設備を回収して日本に持ち帰る計画も進行中です。より環境に配慮した観測活動を行うことが、新たな目標として設定されるようになりました。

  • ブリザードの中をロープを頼りに移動する様子

  • 第63次南極地域観測隊にちなんで2022年6月3日に開催された記念パーティーでの集合写真。サプライズで隊員たちから澤柿隊長へ記念品が贈られた

  • 昭和基地のグリーンルームで水耕栽培している葉もの野菜

  • 年末に昭和基地で開催された餅つき大会の様子

教育・研究・南極地域観測隊の3つの活動を通じ、次代の担い手を育成

今後の展望としては、次の3つを考えています。

まず、社会学部の教員として、今後もゼミ生向けにさまざまな経験を持つ人々からリアルな体験談を聞ける場を用意すること。私のゼミは「探検と冒険のゼミ」と題し、学生の視野を広げることを目的として、「地平線会議」と呼ばれるネットワークが主催するイベントに参加しています。他国から亡命してきた人、北極へ行った人など、普段の生活では滅多に出会わない人々と接する機会から、多くの学びを得ることを期待しています。実際に、地平線会議のゲストの勧めで北極圏へ旅立った学生も。学生には「探検や冒険」を夢や憧れのままで終わらせるのではなく、現実世界の出来事として捉え、さまざまなチャレンジを重ねてほしいと考えています。

次に、喫緊の課題である後継者問題に取り組んでいきます。今後も何らかの形で観測隊には関わっていくと思いますが、年齢的に現地へ行くのは厳しくなると感じています。そこで、研究界隈全体で有能な若手の育成に力を入れているところです。もちろん、氷河地質学の研究者に限らず、どの職種においても有能な後継者の存在は頼もしいものです。南極へ行くには高い専門性を持つか、他の研究者から託された研究をきちんと実践できるなどの力が必要です。観測隊は少数精鋭のため、互いに協力しなければ業務が回らないことも。研究者が発電機の修理をしたり、週末は調理スタッフを休ませるためにみんなで料理したりと、互いに助け合う姿勢も問われます。長期にわたり閉ざされた世界で過ごすので、うまく気分転換して自分自身のメンタルをコントロールすることも必要です。求められるものは多いですが、それでも南極の雄大な自然や、少人数だからこそ育まれる絆の深さに触れられるのは、南極観測の醍醐味であると思います。ぜひ、多くの方に観測隊への参加を目指していただきたいです。

最後に、南極地域観測隊のアウトリーチ(広報)活動を通じ、多くの人に環境問題への関心を持っていただきたい。私たちは現在、一つのティッピングポイント(転換点)にあるといわれています。地球温暖化は確実に進んでいますが、その進行をどれだけ抑えられるかで描く未来が変わるはず。それは、私たち一人ひとりの行動にかかっています。例えば、観測隊が小中学生向けに実施している「南極教室」では、昭和基地と隊員の母校である小中学校をオンライン会議ツールでつなぎ、南極での活動を説明したり、子どもたちの質問に答えたりしていますが、時に地球温暖化についての鋭い質問を受けることも。彼らには、観測隊の活動を遠い国で起こっている出来事として捉えるのでなく、自分たちの日常や、現在学んでいることとも密接に結びついていることを知ってほしい。そして、具体的なアクションにつなげてもらえるとなお嬉しいですね。

  • ゼミ夏合宿での集合写真(北海道昭和新山ジオパークにて)

  • 昭和基地から中継して実施する南極教室

※南極写真:国立極地研究所提供

関連リンク

広報誌「HOSEI」2023年8・9月号では、澤柿教授の南極での活動や研究内容を分かりやすく紹介しています。「南極での生活エピソード」や「南極の思い出アイテム」の写真なども掲載していますので、本記事と併せてご覧ください。

社会学部社会政策科学科 澤柿 教伸 教授

北海道大学理学部地質学鉱物学科卒業、北海道大学大学院環境科学研究科修了。博士(環境科学)。専門は氷河地質学、自然地理学など。北海道大学を経て2015年より法政大学、社会学部准教授を経て2022年より現職。国立極地研究所客員教授も務める。1992年から2023年までの間に4度にわたる南極地域観測隊への参加を経験し、私立大学教員初の越冬隊長も務めた。著書に『なぞの宝庫・南極大陸 100万年前の地球を読む』(共著・技術評論社)、『フィールドに入る(FENICS100万人のフィールドワーカーシリーズ)』(編集/分担執筆・古今書院)、『自然地理学 事典』(分担執筆・朝倉書店)など。2014年日本雪氷学会論文賞、2017年北海道地理学会論文賞受賞、2023年南極観測事業功労者表彰。