研究所概要

歴史

研究所概要

法政大学日本統計研究所年表

1941年 大蔵省内に国家資力研究室設立

1943年

日本銀行内に国家資力研究所設立

1946年6月

財団法人 日本統計研究所に改組・設立(所長理事ー大内兵衛)

1953年3月

法政大学構内へ移転

1974年10月

『法政大学日本統計研究所蔵書目録』刊行

1976年3月

『研究所報』創刊

1981年4月

法政大学の付置研究所となる

1985年

多摩キャンパスヘ移転

2006年11月

2006年度の大内賞を受賞する

はじめに

日本統計研究所は1946年に法政大学の外部で創設された。この創設と以後の沽動において、法政大学総長を永く勤めた大内兵衛を中心に法政大学関係者が一貰して大きく関わっていた。研究所は1953年に法政大学富士見校地の53年館(旧大学院棟)に居を移して以降、施設的にも関連を持つようになる。以後、学生運動の影響もあった1960年代後半の停滞時期をはさんで、1970年代以降順次法政大学と活動を拡大し、72年から大学の財政的支援を受けるようになり、さらに81年に法政大学付置研究所となる。85年に経済・社会両学部の移転とともに、多摩キャンパスに移って、研究所のスペースを拡大し、多様な活動を展開してきた。研究所は出発点での問題意識を一面では継承し、他面では時代の変化・要請に対応しながら、活動内容を発展させてきている。以下、その活動を、財団法人としての発足とその後について触れ、付置研究所以降の活動に重きを置いて述べる。

第一章 創設から法政大学との合併まで

1 日本統計研究所の設立と初期の活動 ― 1940年代後半

(1)研究所の設立

第二次世界大戦中の1943年に、日本銀行内に「国家資力研究所」が設立された。ここでは、1941年に大蔵省内に設立された国家資力研究室での研究を受け継ぎ、当初、国家資力、重要経済指標、所得分布、物価等をとりあげようとした。その実際的成果はケインズ理論の紹介・検討などマクロ経済理論に置かれ、研究所の「研究第〇号」および「資料甲〇号」として発行された。 第二次世界大戦での敗戦に際して、日本銀行総裁であった渋沢敬三は、日本の統計が壊滅状態であることから、専門の統計研究機関を設立する必要を覚え、これに賛同する大内兵衛他の参加を得て、国家資研究所を日銀から分離して独立の財団法人「日本統計研究所」に改組した。

日本統計研究所の改組・設立の許可は、1946年6月27日である。その創立総会(同年4月12日)でとりあげられた設立趣意書(日本統計研究所「財団法人日本統計研究所設立ノ趣旨」1946年)は、官民での統計調査の総合的再検討、新たな調査の企画・実施、官民・中央と地方の統計実務者の待遇、統計への知識の改善、国民の統計への関心と知識の増大等の必要をあげた。このために各方面の緊密な協調が必要な中で、我々もまた若干の寄与をしたいと述べている。そして、「研究所は、統計理論及び技術の研究を行い、日本及び各国の統計を比較検討すると共に、我が邦の官庁及び民間の諸機関と連絡しつつ、日本における統計事情の改善発達を促進することを期するものである」という。総会で決定した出発時の役員には、所長理事:大内兵衛、専務理事:高橋正雄、常務理事:大沢三千三、西沢基一、理事:有沢広巳、中山伊知郎、森田優三、近藤康男、監事:美濃部亮吉、脇村義太郎、研究員には吉田義三、副島種典、小林久好、大島清、西田勲、山本正治、岡田実、松川七郎、藤田武夫他の名前がある。

(2)戦後政府統計制度再建過程での貢献

この研究所が第一に着手したテーマは、「日本統計制度をどう再建すべきか」であった。しかし、渋沢敬三が日銀を辞め、日銀からの出資が縮小されたため、事業は、内閣審議室が主催した官民合同の統計研究会である「統計懇談会」(1946年5月下旬より)に、さらに、1946年7月19日の閣議で内閣に設置が決定された「統計制度改善に関する委員会」に継承された。この委員会の答申に基づいて、12月28日に行政委員会である「統計委員会」が設立される。これによって、これ以降の日本政府の統計活動は、この統計委員会を調整機関として、大きく再建の過程を歩むことになる。ここで「統計委員会」の設立までの検討を行った「統計制度改善に関する委員会」は、実質的に、統計研究所の構成員によって担われた。さらに統計委員会の委員の人選や委員会の運営も統計研究所に任せられているとの発言が、統計研究所の議事録に示されている。
*「財団法人日本統計研究所理事会議事録」第19回、1946年11月5日。

行政委員会である統計委員会の発足後の政府統計における大きな事業は、統計組織の整備と統計関係法規の制定(1947年3月17日、第92帝国議会で可決、26日公布、5月1日施行)であった。これらの検討においても日本統計研究所が大きく寄与している。統計委員会発足直後の時期を過ぎてから、統計研究所は、主として、経済問題に関する統計的分析ならびに統計制度、統計行政ならびに統計の史的発達に関する研究に重点を置いて作業を続けた。
*日本統計研究所「戦後統計制度再建過程」資料編3冊、記述編1冊。

2 法政大学への移転、研究の発属と停滞、再開から付置研究所へ ― 1950~1980年代前半

法政大学への移転

政府レベルでは・統計委員会は、1947年7月3日を以って廃止され、その機能の一部が行政管理庁統計基準部に委ねられた。その間、統計研究所においては、1949年12月に役員の改選があり、専任研究員制度もできて研究が多様化する。その後、約20年間にわたる期間の研究員には、兵藤次郎、中村隆英、石川邦男、泉俊衛、宮崎三四郎、加藤伸子、森田稔、石垣今朝吉、宮本邦男、相原千草がいる。 1953年3月27日の統計研究所理事会は、「本研究所寄付行為第4条に定むる事業は、これを法政大学のためにも行い将来本研究所を法政大学と密接な関係に置くのを適当とする」とし、「ついては本研究所の研究室を法政大学内に移したく、かつ右決議の実行に遺憾なからしめんがため、理事会に法政大学関係者を更に両一名参加願」うという。研究所と法政大学との間の文書は、所長大内兵衛と、法政大学総長大内兵衛との間で交わされた。これによって研究所の理事に法政大学経済学部長友岡久雄、経済学部教授錦織理一郎が就任し、53年館 (旧大学院棟)に居を移し、4月7日の理事会は、法政大学で行われた。

*「財団法人日本統計研究所理事会議事録」1953年。

研究活動の活発化

この1950年代から1960年代半ばまでの統計研究所は、活発な研究.出版活動を展開した。すなわち、55年5月から57年1月にかけての日本経済分析シリーズ(計画、12冊中7冊刊行―国民所得、国家資金、労働賃金、国民貯蓄の循環、農家経済、独占、人口と雇用-中央経済社)、創立10周年事業のひとつとして大内兵衛監修・相原茂編集代表『日本経済統計集|明治 大正 昭和|』(1958年、日本評論社)、55年からの「わが国統計調査の体系」研究プロジエクトの集大成である『日本統計発達史』(1960年東京大学出版会)、62年3月から64年3月にかけての『日本統計制度再建史―統計委員会史稿―』記述編、資料編3冊、資料編(年表、補遺)の5冊(タイプ刷)、を代表にして多くの分野にわたる小冊子が用意された。

研究の停滞

しかし、60年代後半から70年前後にかけて、補助金の減少、研究員の転出、大学紛争の影響等々で、活動は縮小した。現・旧の統計研究所関係者による相原茂・鮫島龍行編『統計日本経済―経済発展を通してみた日本統計史―』(1971年、筑摩書房)の出版が注目されるが、研究所自体では、法政大学経済学部専任教員、是永純弘、喜多克己の兼任の下に、所蔵資料が管理されているだけの状態にあった。そしてさらに、一部の「自治会学生によってバリケード封鎖された。このため……研究所への出入りは不可能となり資料類も一部は風雨にさらされ散乱するにまかせられるという荒廃状態を呈した」。
*喜多克己「日本統計研究所」「法政大学百年史」1980年、806頁。

研究活動の再開と付置研究所への転換

53年館での研究活動が可能になった72年に理事会で次の判断が下された。すなわち、3月9日の理事会において、「1、昭和47年4月1日付をもって当財団の名称を「財団法人法政大学日本統計研究所」と変更する。2、研究所の運営に当たっては、法政大学の教職員及び院生.学生に対し、その所蔵する図書資料等の利用上の便宜を計り、その他大学の教育研究の目的にそうように配慮する。他方、研究所の運営に必要な事務室、書庫等及び資金については、主として法政大学の援助に期待するものとする。3、将来、研究所が解散する場合は、その所蔵する図書資料等の財産は法政大学に寄付するものとする」とされた。財団法人法政大学日本統計研究所」の名称については、認可が降りなかったが、理事には、大内兵衛、有沢広巳、美濃部亮吉、森田優三、錦織理一郎、鮫島龍行、相原茂、大島清の従来役員に加えて、常務理事として法政大学学務理事の増島宏、専務理事に法政大学統計学担当教授として喜多克己が加わった。そして4月から兼任研究員として喜多克己、伊藤陽一、石川淳志がついた。また、職員として小宮栄子、広田真人が勤務した。
*「財団法人日本統計研究所理事会議事録」1971年度第一回理事会、1972年3月9日。

これによって、まず蔵書目録の編集が行われ、1974年10月に『法政大学日本統計研究所蔵書目録(昭和49年3月末現在)』を刊行、次いで、「統計制度をめぐる諸問題」『研究所報』(No.1 1976年5月)と『統計研究参考資料』(No.1 1976年5月)の刊行も開始した(以下『所報』、『参考資料』と略記)。1977年から経済学部の兼任研究員として森博美が加わった。以後、『所報』は、No.2消費者物価指数、No.3統計教育、No.4、5統計環境実態調査、No.6家計調査、No.7産業連関分析、No.8国際セミナー、ハンガリーの経済と社会、をとりあげる。この間・研究所は53年館から第一校舎2階に移動し、3研究室と会議室、第一校舎図書館書架跡に蔵書を移動した。研究所スペースが拡大されるなかで、活動が次第に軌道にのる。

さらに1981年度に、日本統計研究所は、法政大学付置研究所とされ、全学機関として位置づけられ、所員は各学部からの兼任研究員によって構成されることになった。

第二章 法政大学付置研究所として

1.多摩キャンパスヘの移転と活動の定常化 ― 1980年代後半

新たな研究所スペース

経済・社会両学部の多摩移転に際して、1985年に統計研究所も多摩に移転し、図書館・研究棟5階に、大原社会問題研究所、新たに創設された比較経済研究所とともに研究所フロアの一角を占めるに至った。ここには、閲覧コーナーと書架を配置し、臨時職員2名の交替制で1日1名が勤務する事務のコーナーを持ち、市ヶ谷時代に比べると格段の違いをもって環境が整えられた。所員は経済学部を中心に、社会、経営、文学、教養の関係学部からの兼担研究員を以って構成された。市ヶ谷から移動してきた図書は、5階の書架コーナーと図書館・研究棟地下3階の研究所書庫に収納された。

研究所の運営は、年2回の所員会議において、予算、所員構成、活動が審議され、これに基づいて研究活動・事務作業が進められるようになった。

研究活動が軌道に乗る

研究に関しては、統計研究所のこれまでの伝統を受け継ぎ、さらに拡大して、統計制度・行政研究、地域統計研究、社会調査に重きを置くこととし、所員と政府統計関係者および外部の統計関係者の協力を得て、プロジェクトがしばしば組織され、研究会が持たれるようになった。研究活動の成果は、『所報』(原則的に年1回発行)、『参考資料』(年3ないし6回発行)、そしてワーキング・ペーパーなどにまとめられ、統計機関、研究機関、国内大学等機関と、統計家、統計研究者に広く配布されている。

この時期の研究活動としては、まず日本の分野別主要統計の概略と問題点について、関係省庁の統計担当者を迎えてヒアリングと討論が行われ、所報にまとめられた。とりあげられた分野は人口・労働、農業、金融、消費・家計である。『所報』では、また、外国人労働者、統計法規・統計制度がテーマとされ、『参考資料』では、産業連関表、ハンガリー経済、ソ連統計、中国統計、地方統計、アメリカ農業労働と関連統計がとりあげられた。1988年には3ヶ年間のプロジェクト「労働統計―国際比較―研究」が組まれた。ここではワーキング・ペーパーとILO労働統計家会議決議の原文・翻訳の集成、政府関係諸文献での統計表タイトル・リストの集成等の資料が用意された。このプロジェクトの成果は後に、伊藤陽一・杉森滉一他訳『国際労働統計―手引きと最近の傾向』(1990年、梓出版社)、伊藤・岩井浩・福島利夫編著『労働統計の国際比較』(1993年、梓出版社)にまとめられた。

教育との関わりでは、統計関係の大学院生が研究所の蔵書を利用し、また研究会に参加するとともに、上記出版物にも翻訳を中心に研究作業が反映されるようになった。また学部生は、統計学授業との関連や、ゼミナールでの学習あるいは卒論作成のため、研究所の資料を利用するようになった。

図書室機能の強化

これとともに、統計研究所の特性を生かした図書室機能の充実に向けて、蔵書の整理・充実がはかられた。第一に、明治・大正・昭和第二次大戦時までの統計学文献の蔵書で独自の役割を担った。これに国家資力研究所と財団法人日本統計研究所時代の諸冊子を合わせ、大原社会問題研究所に移管した旧高野岩三郎の蔵書と、さらに戦後文献の蔵書を加えると、日本の統計学史と統計史に関わる大きなコレクションをなしている。この蔵書は上杉正一郎氏、西平重喜氏からの蔵書寄贈によって一段と強化された。第二に、全学の中では、ソ連・東欧等の計画経済国家の統計と雑誌の蔵書が独自のものであった。多摩キャンパスへの移転とともに、法政大学の図書館は二分され、統計資料に関しては、多摩図書館は国際統計資料、市ヶ谷図書館は国内統計資料に重点がおかれた。そこで、統計研究所は、多摩図書館との分業の形で、第三に、国内統計資料の充実をめざして主要統計を揃えた。第四に、地域統計研究との関連で、東京都及び首都圏を中心とする自治体統計の収集をはかる地域統計センターの機能をめざした。統計関係の国内外のレファレンス資料も用意された。

閲覧に関しては、研究所での閲覧は、統計原本・関係文献を手軽に利用できる。そして多摩図書館4階とあわせれば大半の内外統計書にアクセスできるという他所にみられない統計研究の優位性を持つに至った。

2.研究の拡大 ― 1990年代の活動と今後の課題

多様なテーマへの取り組み

研究所の運営体制はこれまでの体制を継承している。研究活動は、国際的、国内的に政府統計活動の現在と今後に関わる重要問題を中心にテーマとし、より活発・多様になってきている。
とりあげられたテーマは、統計環境、地方統計・民間統計、人口・外国人労働力・労働統計であり、プロジェクトとしてとりあげられたのは、ジェンダー統計、ミクロ統計データ、アジア諸国の統計制度、さらに2000~2001年世界人ロセンサスである。

<統計調査環境実態調査>

統計調査実施にあたっての諸困難を、統計調査員、被調査者に対する実態調査によって確認する狙いをもって、1978年以降、九州大学のグループを中心として行われてきた作業に、日本統計研究所も協力した。1979、80年の『所報』が、これにあてられた後、94年の被調査者調査の結果を95年度の『所報』に、95年の調査員調査の結果を98年度の『所報』にそれぞれ掲載した。

<地方統計・民間統計>

日本の地方統計に関しては、その重要性にもかかわらず、政府統計機関においてもとりあげが不足し、全体としての発行状況、かかえている問題に関して不明な点が多い。統計研究所では、この調査・研究の空白を埋め、地方統計研究への関心が高まるようにテーマとして重視してきた。『所報』No.17でとりあげ、『参考資料』No.30では「地方統計総覧」を編集した。民間機関が独自の調査に基づいて発行する統計も、政府統計の空白を埋めるものとして、あるいはそれ以上に重要性を増してきている。『所報』No.23でとりあげ、さらに『参考資料』No.55に「民間統計ガイド」を用意した。

<人ロ統計・労働力統計・労働統計>

人口、労働統計に関しては、『所報』No.10でとりあげたが、厚生省人口動態統計に関する研究が『参考資料』No.53、No.59、No.64で、外国人労働者に関する実態調査の成果が『所報』No.20で、また労働統計に関して、翻訳『労働時間-短縮の可能性を評価する―』(1996年、梓出版社)が出版され、また特に、合衆国労働統計局の国際労働統計比較表が、『参考資料』No.52、No.62でとりあげられた。

<ジェンダー統計>

ジェンダー統計とは、1975年の第1回国連世界女性会議を大きな契機として男女平等・共同参画をめざす国際的な運動のなかで、統計生産と分析をこれにそうものにしようとする理論であり、運動である。研究所は、92年から93年にかけて「女性と男性の統計」プロジエクトを組み、日本で最初のジェンダー統計に関する本格的研究書『女性と統計―ジェンダー統計序説―』(1994年、梓出版社)にまとめた。さらに前後してジェンダー国際動向の主要な文献を日本に紹介する『参考資料』No.34、39、42、45、49、51を発行し、さらにILO文献の『コンパラブル・ワースとジェンダー差別―国際的視角から―』(1995年、産業統計研究社)、ならびにスウェーデン統計局『女性と男性の統計論 ―変革の道具としてのジェンダー統計―(1998年、梓出版社)を翻訳・出版した。これに併行して、国連の担当機関インストローの雑誌と文献、そしてジェンダー統計書の収集につとめており、ジェンダー統計関連文献のコレクションもユニークである。

<ミクロ統計データ>

1996年度から1998年度まで、研究所は文部省科学研究重点領域研究「ミクロ統計データ」に人的・物的に協力し、その成果の一部を研究所の出版物とした。ミクロ統計データとは、統計調査の際に回収した個票から個人.個体を識別できる項目名称、住所等)を除去するなどの秘匿性保護措置をほどこした匿名個票データ・セットであるこのデータを利用することによって、集計化して公表される通常の統計表によるよりも、遥かにきめ細かで客観的分析が出来る。国際的には活用されてきているが、日本の政府統計においては、未だその活用のための制度が整えられていない。研究所では、このプロジェクトに関わる『参考資料』を発行し、さらに、成果を『所報』No.25にまとめて出版した。これは、ミクロ統計データの社会制度的側面について、欧米の経験をも調査.報告した包括的報告書になっている。関連する調査・資料等が、資料No.1~No.7、また、ASA(アメリカ統計学会)の部会要項や合衆国センサス局会議のプロシーディングなど国際的主要関連雑誌等目次一覧の集成としてBNo.1~No.4も用意された。統計研究所は、イギリスで人ロセンサス・ミクロデータの提供機関になっているマンチェスター大学CCSR(Centre for Census and Survey Research)とは、一定の連携関係にある。

<アジア諸国の統計制度>

アジアの統計についての関心は、日本とアジアが社会的・経済的に様々な点で深い関わりがあるために、潜在的には大きなものがあり・その際、各国統計制度・政策の研究は欠かせない。研究所は、1995年度から、アジア各国の統計状況について情報が集中し包括的に検討しているエスキャップ統計委員会に注目し、その会期ごとの日本からの参加報告と原本の集成、アジア各国統計制度・政策に関して、日本でこれまで発表された論文記事についての集成を作成してきた。これら文献集成は、今後の検討のための前提・基礎作業になるものである。この作業は今後も継続される。関連して中国統計制度についても中国からの寄稿を仰ぎ『参考資料』No.41で特集した。その他『参考資料』では、合衆国労働統計局資料、産業連関表、合衆国センサス局SIPP調査票、統計の品質、フィンランドのレジスターベースの統計生産、等がとりあげられた。

<2000~2001年世界人ロセンサス国際ワークショップ>

1999年10月31日に、研究所主催の初めての国際会議として「2000~2001年世界人口センサス国際ワークショップ」が多摩キャンパス百周年記念館で開かれた。この会議には、合衆国センサス局からE・C・ホイ、R・P・シン、ドイツ連邦統計庁からD・ビーラウ、イギリス・マンチェスター大学CCSRからA・デールの各氏を招き、日本から濱砂敬郎(九州大学)、石田晃(敬愛大学)、森博美(法政大学)を論者にたてて行われた。ITの活用が進むなかで、一方には詳細データの要求、他方には費用・人員・回答者負担の削減、プライバシー保護の要求がある。こうした環境下で主要先進国のセンサス実施の現状と問題点、解決策等について国際討議を行い、国際的に貢献する狙いであった。外国からのゲストは人ロセンサスについての責任者・エキスパートであり、また主要な会場参加者を交えて、会議は活発な討議をもって成功裏に終った。多摩学務部からの協力も大きかった。会議で発表された論文は、『所報』No.26にまとめられ、内外に広く配布された。

図書の充実とサービス体制

先にも触れた研究所独自の蔵書の充実にその後も努める一方で、ジェンダー統計、ミクロ統計データ関連文献等が新たなコレクションになった。また、特に学生の統計学習のために、統計学テキスト、白書類、さらに、少子・高齢化、福祉・介護、環境関係の一般文献・統計資料の強化・充実がはかられつつある。またアメリヵ統計学会、BLS(労働統計局)、イギリス統計ニュースなど外国統計関係雑誌の購入を拡大している。こうした蔵書の活用ならびに図書サービスの強化のため、データベース化の作業を継続している。大学院生の利用は恒常的であり、学部学生も、特に経済学部の統計学授業に統計研究所の見学.利用がおりこまれていることもあって、研究所を利用するようになった。統計活動・統計研究に関して、国際機関・外国、特にアジア諸国と日本との、また国内では政府と民間との、架け橋となるべく、国民的視野と国際的視野に立ったさらなる先見的取り組みをめざす必要がある。また、統計に関わる国際的・国内的情報を教職員や地域住民へ提供し、教育活動にいっそう寄与することが求められる。ここでは、図書館および他の研究機関との分業.連携で、統計に関する所蔵図書の充実を含む図書室的サービスの強化が必要である。さらに、国内外への研究成果の発信、情報提供・交換、そして地域・学内へのサービス提供にあたっての、情報技術の活用 ―ホームページの強化、研究成果、教育用の各種データベースの構築・管理など―がとりわけ重要である。
最後に、付置研究所になって以降のスタッフを挙げておく。所長は、喜多克己、鴨沢巌、伊藤陽一、豊田敬、森博美、所員は、喜多克己、伊藤陽一、森博美、山本健児、宮脇典彦、小林一郎、宮崎憲治(経済学部)、林直嗣、豊田敬、佐藤博樹、鈴木武(経営学部)、山口不二雄、鴨沢巌、笹川孝一(文学部)、盛田常夫、高橋絋二、石川淳志、山田一成(社会学部)、西川大二郎(第一教養部)、職員は、小宮栄子、広田真人、清水晴子、木谷修子、佐藤いつ子、渡辺和子の諸氏が勤めてきている。
【以上は1999年までを記述した『法政大学戦後50年』からの転載】

第三章 2000年~2010年の活動

2000年~2010年の統計研究所の活動は以下のとおりである。

統計研究所は、この間、国際的視角からみて現代の日本の政府統計を中心とする統計界にとって重要な問題に国際交流、研究会、科学研究費プロジェクト等を通じてとりくんでいる。
第一に、国際統計界が21世紀にかけて重視した「人権・開発と統計」、国連を中心として21世紀初頭の人類的課題として掲げたミレニアム開発目標(MDGs:Millennium Development Goals)の統計的側面に関してそれぞれ、主要論文の翻訳とこれらへの案内・論評を『研究所報』のNo.27(2001年)とNo.30(2003年)でとりあげた。いずれも1990年代の国連世界会議での論議を受け継いで、諸課題を深め、集大成した世界的テーマへの統計研究からの検討や貢献に関わる問題であり、国際的・国内的に最重要でありつづけるものである。

第二に、主要先進国の統計活動・研究において20世紀末から追求されており、日本において立ち遅れが見られる重要テーマ、すなわち、(1)人口センサスの革新-その中でのレジスター方式の採用-の問題-【『研究所報』No.26(2000年),No.33(2005年), No.36(2007年)、『統計研究参考資料』No.63(2000年),No.81(2003年),No.86(2004年)】、(2)ミクロ統計データの問題【『研究所報』No.26(2000年),No.32(2004年),No.33(2005年), No.34(2005年)、『統計研究参考資料』No.83(2003年)】、(3)「統計の品質」問題【『統計研究参考資料』No.79(2002年), No.89(2005年), No.93(2006年), No.97(2007年)、『研究所報』No.37(2007年)】、について国際的ワークショップを交えて引き続き検討している。

第三に、2001年に日中経済統計学国際会議を、多摩キャンパスの100周年記念館で主催し、中国統計研究と日中統計家・研究者の交流の重要な機会とした【『研究所報』No.28(2002年)に特集】。中国統計研究、韓国統計研究、あるいは日中韓国の統計比較は、引き続き重視されている【『統計研究参考資料』No.77(2002年), No.85(2004年), No.90(2005年), No.94(2006年), No.96(2007年)】。

第四に、1990年以降の男女共同参画に関わる統計(ジェンダー統計)の研究が、研究所を拠点とする科学研究費のプロジェクト(2001-2002年度)を交えて継続されている。【『ジェンダー統計研究の新展開と関連データベースの構築-平成13-14年度科学研究補助金研究結果報告書』『統計研究参考資料』No.71(2001),No.75(2001年)、No.87(2004年)】。このプロジェクトのメンバー、あるいはメンバーの多くが、内閣府男女共同参画会議専門調査会での「共同参画のための情報」に関する会議と報告書作成、独立行政法人国立女性教育会館の『男女共同参画統計データブック 2003』『同上 2006』の出版や、同会館の「『家族と女性』統計データベース改善案」などで貢献した。2005-6年度には、(i)自治体ジェンダー統計と(ii)ESCAP地域のジェンダー統計研究,および(iii)日本からの・国際発信をテーマとした科学研究補助金プロジェクトを経験し、【『ジェンダー統計研究の一層の展開-地方自治体へ、アジア・世界へ-』(平成17-18年度科学研究費補助金研究成果報告書、2007年3月】、研究を広げている。
なお、2007年4月には、中国の第1回全国性別統計研修会(国務院・国家統計局、全国婦女連研究所共催・UNFPA支援) に所員他が講師等で参加した。『男女共同参画統計データブック 2006』の中国語訳が2007年8月に出版されたが、これを支援した。

『研究所報』No.35(2007年)が、所報としてはじめて、「ジェンダー(男女共同参画)統計」を特集した。その他、ジェンダー予算【『統計研究参考資料』No.92(2006年)】、無償労働に関する世帯生産勘定もとりあげた【『統計研究参考資料』No.91(2005年)、No.98(2008年)】。

第五に,景気関連統計の解説と検討のシリーズが継続している【『統計研究参考資料』No.70,No.73,No.74,No.76(2001年),No.82,No.84(2003年), No.88(2005年)】。

第六に,その他として統計調査等の報告者負担問題【『統計研究参考資料』No.68(2000年)、インド統計制度研究(『統計研究参考資料』No.80(2003年),職安訪問者調査による失業統計-国際比較【『研究所報』No.29(2002年)】、同じく失業者調査【『統計研究参考資料』No.78(2002年)】、政府統計体系論―日米,英国―【『統計研究参考資料』No.65,No.66(2000年)】、ロシアのシャドウエコノミー【『統計研究参考資料』No.72(2001年)】、韓国「統計法」改正(【『統計研究参考資料』No.95(2007年) 】、など多様なテーマへの取り組みがあった。

2006年11月には、第57回全国統計大会において、統計界の最高の栄誉とされる「大内賞」(本学元総長であり、日本の統計の再建に貢献した大内兵衛博士の功績を記念し1953年に設けられた賞)を受賞した。
大内賞の受賞を記念して、2007年3月17日(土)、ボアソナード・タワー26階A会議室で、シンポジウム「統計における官学連携」を開催した。 シンポジウムでは、森博美所長の挨拶に引き続き、東京大学名誉教授で元統計審議会会長の中村隆英氏による『大内先生と日本の統計』、 長年にわたり所長を務めた伊藤陽一所員による『統計品質論から見た日本統計』の基調講演が行なわれた。 その後、竹内啓東京大学名誉教授(前統計審議会長)、松田芳郎青森公立大学教授(前統計審議会委員)、菊地進(立教大学教授)などをパネリストとして、「統計における官学連携」をテーマにパネルディスカッションが行われた。

(2020年10月更新)