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【総長研究室訪問企画第2弾】生命科学部環境応用化学科 北村研太助教

  • 2024年06月20日
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2024年2月2日に「総長研究室訪問企画」第2弾として、廣瀬総長が生命科学部環境応用化学科 北村研太助教が所属する研究室を訪問しました。
この企画は、総長が研究室を訪問し、教員や学生から研究内容や研究室の運営方法等についてインタビューを行い、それを法政ブランドとして広く発信することを目的としています。

固定観念にとらわれず、「なぜ」から試行錯誤し世の中を良くする

「人の役に立つ研究」と「人に伝える能力」

スラリー中の粒子の分散・凝集状態制御の実験について説明する様子

廣瀬:生命科学部環境応用化学科でスラリー中の粒子の分散・凝集状態制御およびスラリーを利用したモノづくりをご研究されている北村研太先生が所属する研究室をお訪ねしました。現在は助教として研究室の実習・論文指導をされている北村先生ですが、法政大学で修士を終えた後に一度就職され、教務助手として大学研究室に戻り、博士号を取られたとお聞きしております。まずは、大学進学の時に法政大学の生命科学部環境応用化学科、そして現在の専門分野を選ばれた理由をお伺いできますか。

北村:私は父が花火師であり、工場に住み込んで生活をしていたので、幼い頃から火薬が燃える際の炎色反応や、製造時に利用される粉体技術などの化学を身近に感じて育ちました。大学進学を考える頃には、地球温暖化により幼い頃と比べて積雪量が少なくなっていたり、良いリンゴができにくくなっていると農家から聞いたりと、身の回りの自然環境が大きく変わっていることを実感しました。これらのことから、自分にとって身近であった『化学』と『環境問題』を掛け合わせた勉強・研究をするのが面白いのではないかと考えました。この視点で進学先を探したとき、法政大学の生命科学部環境応用化学科が最も自分に合っていると思ったのが本学・学科を選んだ理由です。
専門分野の選択に関わる研究室を選ぶにあたっては、西海英雄先生が温暖化に関わるフロンを安全に処理する研究をされていたこと、そして西海先生のキャラクターが面白かったことから、化学工学の研究室を選びました。西海先生は研究分野に関わらず博識な方で、この時大学の先生は凄いなと感じ、もっと大学での学びを深めたいと考え大学院進学を決めました。しかし西海先生は退職されることが決まっていたので、新たに研究室を選ぶ必要がありました。この時も人として面白そうだという直感を大事にし、着任直後の森隆昌先生の研究室を選び、研究室の立ち上げから携わらせていただきました。この立ち上げの中で、私たち一期生の行動が研究室のカルチャーとなり、それが約30年続いていくので、組織として良くあり続けられる土壌を作りたいと考えました。このため自分のことだけではなく、集団を動かしていくよう試みたことで、主体性が身についたと思っています。
このほか研究活動の中では、非常に多くのことを学びました。森先生は「現場に役立つ基礎研究」を研究方針として掲げており、「課題を解決し、世の中のために研究を行う」というご指導をいただいたことで、「真に人の役に立つことをする」というマインドセットができあがりました。
一方研究活動の中で、能力が伴っていないと自覚することも多々ありました。森先生には学会や展示会、勉強会、企業との共同研究のミーティングなど、自分の考えを発信する機会を与えていただきましたが、人に伝える能力や論理構成、プレゼンテーションや資料作成の技術が足りず、なかなか思うような成果が得られませんでした。この中で、我々の研究を利用してもらうには自身の能力を上げていかなければいけないと思い、イベント事の後には反省や他者からのフィードバックを受けることを大事にしました。これらの結果、学会で賞をいただいたり、企業の方からお話を持っていただいたりと、徐々に見える形での成果につながっていきました。そういった大学院での経験から、「人のためになることをする」という思いと、それに伴ったスキルや実力を身につけ、育てていくことも大切だと学びました。

廣瀬:複数の指導教員から指導を受けたこと、そして研究室の立ち上げに携わるという貴重な経験をされましたが、どのようなプラスの面がありましたか。

北村:組織やその運営に対し、固定概念に縛られることの無い、広い視野を持つことができました。これは西海先生と森先生という二人の先生の下で指導を受けられたおかげであると思います。お二人は指導方針や研究に対する考え方も全く違いましたので、私には「大学の研究室とはこういうもの」という固定観念がありません。そしてお二人の先生と共に過ごす中で、組織はどうあるべきかという常識と、どうありたいかというビジョンのバランスが大事であることを学びました。この経験は、社会においても、当たり前だと思われている環境に疑問を持ち、より良く改善しようと考え、役割の中で自分がどうあるべきかと、どうありたいかを示していく原動力になっていると感じています。

廣瀬:これからは入学から修士、博士まで一つの研究室の中で成果を挙げていくという選択だけではなく、他大学の大学院への進学や、企業や研究所との連携など、別の環境にチャレンジすることが普通になっていく可能性が高いですよね。その環境の変化をリスクと考えて躊躇するのではなく、成長の機会ととらえることで、それまでの自分になかった何かを得られることもあると思います。

北村:おっしゃられている通りだと思います。その点において学生には外に出ていろいろな人と関わってほしいですし、すごいと思った人には近づいてコネクションを作り、自分の視野を広げ、チャンスをつかんでほしいと思っています。

大学院で得た学びが価値観の違う人々をつないだ

研究室で学生の実験指導をする様子

廣瀬:大学院修士課程を修了されたあとは外資系企業に勤められていますが、その会社を選ばれた理由は何でしたか。

北村:大学院生時代にいろいろな人と関わった結果、自分の課題を見つけ解決し、さらに能力を伸ばしていくことができたという経験から、自分と異なる価値観の人たちと仕事をすることで成長できるのではないかと思いました。その結果、様々な国籍、バックグラウンドをもつ人が多くいる外資系企業を選びました。
入社後私は半導体関係の事業部に配属されました。半導体製造に用いるガスの製造を行う部署で、最初の1年間は製造プロセスの改善や作業の標準化、子会社の管理業務を担当しました。その部署では私のような大学院卒の人もいれば、大卒、高卒、中卒で働き始めた人、海外からの出稼ぎで来ている人など、多様な人が働いていました。そのため、仕事に対する考え方も違い、難しいバランスの中、仕事が進められ、板挟みの状況に陥ることが多々ありました。私はこのような環境下で、はじめのうちは仕事を上手く回すことができず悩んでいました。そんな時、「真に人の役に立つことをする」という、大学院時代に大切にしていた思考と経験を思い出しました。揉めている人たちは何を求めているのか、本当はどうあるべきなのか、私はその中で何をしたいのかを考え、人のあいだに立ってつなぐことを意識し、なおかつ互いの利点を考えて仕事をしていったことで、業務がきちんと回るようになりました。大学院での学びを活かしたことで、「会社の目的とみんなの思いをうまく束ねるよう試行錯誤することが大事だ」ということを1年目にして掴むことができたのです。
このように仕事がうまく回る手ごたえを感じた直後、2年目からストラテジックアカウントマネジメントという、技術営業を行う部署に異動になりました。ここは先程の学歴や国の違いのほか、私たちの会社とお客様、それぞれのサブコントラクターの方々などの所属の違い、そして納期や金銭のやり取り、契約という変数が増え、前の部署よりもさらに絶妙なバランス感覚が求められました。また、一緒に働く方々は各世代のエースと呼ばれるような方々ばかりで、正直なところ自分にはやっていけないと当初思いました。しかし腐っていても何も始まらないと思い、大学院で学んだ「真に人の役に立つことをする」という考えを基盤に仕事をしていきました。その結果、成果が出始めるようになり、お客様から指名をいただくことも増え、売上を伸ばすことができました。

廣瀬:大学院で学ぶことは、研究室全体としてパフォーマンスを上げられるように意識しながら行動し、それによって汎用的な能力が身につき、過去の経験を応用できるようになることでもありますよね。大学院を修了することで、専攻を掘り下げるだけではなく、どこでも通用する能力も上がっていることを社会に広くお伝えしたいです。

北村:会社に入ってからは、大学院とまったく同じというわけではありませんが、似たような境遇も多くありますので、大学院での学びは社会人としての基礎力も養われると感じます。

「なぜ」を考え、活かした社会経験を次世代に伝える

廣瀬:どのような理由で教務助手として大学に戻ることを決められたのでしょうか。

北村:法政大学で教務助手の公募があると知ったときは、会社での仕事も楽しく成果も挙げられていて、上司にもこのまま続ければキャリアパスが開けると言われていたので、応募するつもりはありませんでした。教務助手は研究しながら博士号を取ることができますが、5年しか任期がないことを考えると、とてもチャレンジングで不安定な選択です。大学院生のときも博士課程に興味はありましたが、金銭面への不安から進学は選択しませんでした。しかし、今、再び博士号を取得できるチャンスを「不安定だから」という理由で諦めるのはどうなのかと葛藤しました。結果として私は周囲の反対を押し切って応募をすることになるのですが、決断できた理由は大きく3つあります。1つ目は後悔をしたくなかったからです。よく人生で後悔することとして「失敗を恐れてやりたかったことに挑戦しなかったこと」が挙げられますが、このときの自分はまさにその決断の時で、教務助手を断ったという選択を後々絶対に後悔すると思いました。このため二度と来ないであろうチャンスに挑戦しようと思うことができました。2つ目は当時の会社の社長からかけられた言葉に背中を押されたからです。前職の社長も当時の私くらいの年齢の時に大きな転職をしたことがあり、その結果成功されている方でした。そのような社長から「リスクが高くても機会があったら飛び込んだほうが良い。それでうまくいかなくても、決断して一生懸命したことは必ず次につながる。リスクとれる人になりなさい。」という言葉をいただき、応募への勇気をいただきました。3つ目は博士号の価値を所属していた会社で目の当たりにしていたからです。私の所属していた外資系の会社では、博士号を持っているとキャリアの選択肢が大きく広がり、活躍されている方が多くいました。このため博士号をとることができれば、外資系企業でのキャリアパスには有利に働くと思い、不安定さに対する思いが軽減され、応募に前向きになることができました。これらの理由から教務助手への応募と、博士号へ挑む決心ができました。


廣瀬:博士を持っていることが労働市場であまり価値を持たないのは日本企業だけですよね。外資系の世界を見てこられたからこそ、博士を持っていることでチャンスが広がるというプラス要素も考え、教務助手になる選択をされたのではないかと思います。

北村:間違いないです。今では本当にいい選択だったと思っています。

廣瀬:大学院生として所属していた研究室に今度は教員として戻ってこられましたが、大きく違うところはありましたか。

北村:大きなギャップは感じていません。これは、研究室の一期生としてカルチャーを作り、手本にならなければいけなかったという私のバックグラウンドゆえかもしれません。責任が伴うという点でも、一度会社勤めを挟んだせいか、責任があることは当たり前だと感じています。
教務助手として前より意識するようになったことは、分かりやすい成果を出すということです。何もやっていない人から指導をうけても、指導内容の説得力が無いと思うので、大事にしています。また、法政大学出身者がきちんと成果を残すことで、在学生たちの見本になれるのではないかとも思っています。

廣瀬:教員として学生の指導方針や気を付けていることはありますか。 

北村:講義では、会社に勤めた経験を活かして、今学んでいることが社会とつながっているということを伝えるようにしています。座学で学ぶだけでは、なぜそれを学ぶのかがわからないことがあります。そのため、私が説明するときには、社会で使われている具体的な例を挙げて結びつきを伝えるようにしています。また、実験実習の前に必ず行う安全教育は年に1回しか行われませんが、すべての技術者の素養として大事だから行うという目的を伝えることは大事にしています。
研究活動においては、「現場に役立つ」「なぜするのか」ということが自分にとっても社会で非常に役立ったので伝えるようにしています。
別の観点としてもう一つ大事にしていることは、「学生だから」という扱いをしないことです。学生である前に大人であり、教員と学生である前に、人対人のコミュニケーションなので、学生だからとなおざりにせず、だからといって学生だからと甘く許すこともしないように心がけています。

世の中のために試行錯誤し、自分よりも優秀な人を世界へ広げたい

廣瀬:まもなく教務助手の5年が終わりますが、今後の展望を教えてください。

北村:2024年4月より本学の助教に就任する予定です。次の5年間でもしっかり研究し、学生を指導していくことはもちろんですが、もっと長い展望としては、何かを発展させる上で人や世の中のためになることを考え、試行錯誤していくことが重要だと感じているので、大事にしていきたいです。
もう一つ、キャリアを重ねていくにつれて、人を育てるという立場も強くなってくると思いますが、指導者自身が常に一番前に出て、「自分が、自分が」と尖っているのは駄目だと考えています。一人でできることは限られていますので、自分よりも優れた人を輩出し、その人たちが横に広がるように増えていけば、日本、ひいては世界がより良くなると考えています。

廣瀬:教授はオーガナイザーであり、研究資源を確保してくる活動も重要になるので、自分自身で実験をしたり論文を書いたりするエフォートの比重は減っていきます。次世代が活躍するために研究室として成果を挙げていくためのコーディネーター、マネージャーになっていくという役割の変化があります。先生は新しい研究室のスタートアップから携わられてきた経験もあり、そういうところに目を向けられているのではないかと感じました。
研究室は何十年間という歴史を重ね、人を育て、いつかは閉じますが、そこから巣立っていった人たちが広がり、成果として積みあがっていきます。北村先生のもとでも優秀な人々が広がっていくことが楽しみです。本日はありがとうございました。

 

法政大学生命科学部助教 北村 研太(きたむら けんた)

1990年長野県生まれ。2013年法政大学生命科学部卒業、2016年同大学理工学研究科修士課程修了後、日本エア・リキード株式会社(現:日本エア・リキード合同会社)に入社、エレクトロニクス事業本部にて製造技術エンジニア、ストラテジックアカウントマネジメントに従事、2019年より法政大学生命科学部教務助手に着任。2023年法政大学理工学研究科より博士(理工学)の学位を授与。2024年より法政大学生命科学部助教。研究は液中粒子の分散・凝集制御と評価およびスラリーを利用したものづくりを対象とし、2022年 第11回新化学技術研究奨励賞受賞、2021年日本粉体工業技術協会奨励賞受賞、他関連分野で4件の受賞。専門は化学工学、粉体工学。

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