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【総長対談】我々が沖縄から問われているのは、この国のデモクラシーである 法学部政治学科 明田川 融 教授

  • 2019年11月01日
  • コラム・エッセイ
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法政で学んでいなければ他分野の研究者になっていた

田中 本日は『日米地位協定—その歴史と現在(いま)』(みすず書房)で第36回政治研究櫻田會奨励賞を受賞されました本学法学部教授の明田川融さんにおこしいただきました。まず、こちらの賞についてご紹介いただけますか。

明田川 櫻田會は、1934(昭和9)年、当時の2大政党の1つだった立憲民政党が政策立案機能強化のため前年に設立した政務調査館を管理・運営する目的でつくった歴史ある団体です。現在は在京の有力私立大学の政治学研究者に研究助成と表彰事業を行っており、これまで法政大学の研究者はのべ17人が受賞しています。

田中 政治学に特化した賞は珍しいですね。

明田川 私の知る限りでは唯一です。政治学を研究している者にとっては大変ありがたい賞です。

田中 私もご著書を読ませていただきました。明田川さんは以前から日米地位協定を研究テーマにされたのでしょうか。

明田川 いま振り返ると、法政大学で学んだことがこの研究につながったと言えます。学部の頃に松下圭一先生のゼミで市民の抵抗権に関する知見に触れたことが、のちに基地反対運動を人権、生活、生命、安全が侵害されていることに対する人々の抵抗の行動ととらえる見方に発展したと考えています。
修士課程では、日本の占領史研究の草分けの一人である袖井林二郎先生にご指導いただき、1951年に締結されたいわゆる旧安保条約の成立過程を研究しました。

明田川 融さん

明田川 融さん

田中 日米安保条約の研究から入られたのですね。

明田川 そうです。日米安保条約と日米地位協定の前身にあたる日米行政協定は交渉過程では元々は1つのものだったのですが、再軍備を示唆する条項は明るみにしたくないなど、日本側の様々な事情によって分けることになり、大綱的なものが日米安保条約、詳細かつ具体的なものが行政協定となりました。博士論文では後者を扱い、『日米行政協定の政治史—日米地位協定研究序説—』を上梓しました。たいてい「序説」と銘打った本は本説が出ないというジンクスがあるのですが、私の場合はそのジンクスを破ることができました。

田中 それは素晴らしい。ところで日米地位協定というと、沖縄の大きな課題でもあります。法政大学には沖縄文化研究所があります。私も明田川先生も兼担所員です。

明田川 飯田泰三先生が沖縄文化研究所に誘ってくださいました。こうした学問の伝統がある法政で学ぶことがなければ、いまの私は他分野の研究者になっていた可能性があると思っています。

田中 法政大学には今後も沖縄を研究する学者が現れ続けなくてはいけないと思っています。

明田川 広く日本の研究界を考えても、法政の沖縄文化研究所はこれからも発展していかなくてはいけない。私も力を尽くしていきたいです。

日米地位協定は植民地的なやり方の延長線上にある

田中 明田川さんの一貫した関心の核心は日米関係なのでしょうか、それとも沖縄なのでしょうか。

明田川 それを分けられるかどうかということがあります。基地は本土にも沖縄にもありますが、アメリカ側からすると相互に連関している。20年間研究してようやく重要だと気づいたことは、アメリカ側の意思決定に日本の世論は小さからぬ影響力を持っているということです。例えば1950年代半ば、ビキニ環礁での水爆実験に起因する核実験反対運動が起こり、日本国内で3000万人もの署名が集まりました。当時は本土にも多くの米軍が配備されており、アメリカ政府は「これで当面本土には核兵器や軍隊を置けなくなった」という判断を下す。そうするとどうなるかというと、「日本の潜在主権は認めているものの、実際は米国の占領下にある沖縄になら核も軍隊も置ける」という発想になる。当時反対運動を行っていた人達にアメリカ政府内の議論や意思決定を知るすべもありませんが、歴史をひも解いてそれが明らかになった今、今後の日米地位協定や基地問題を考える際には沖縄の置かれた立場を考えていく必要がある。こうしたことは戦後の政治史研究には欠落していたという気がします。

田中 私の専門である江戸時代では、沖縄は琉球国という別の国でした。その別の国が「琉球処分」で日本になったことを学生に説明する際に「日韓併合のように植民地化した」と言っていますが、そういう説明でいいのでしょうか。

明田川 実は、今おっしゃったような問題は歴史学の現場でも提案されています。「琉球処分」のとらえ方が変わってきたと同時に「琉球処分」という名称を「琉球併合」あるいは「琉球国併合」に変えるべきだという声が上がっており、日本の最初の植民地化の動きであったという研究も出ています。

田中 植民地化と考えた方が「なぜこんなに根深い差別があるのか」とか「どうして沖縄はアメリカとの取引の道具に使われてしまうのか」といったその後の歴史が腑に落ちるんです。私は日米地位協定はそうした植民地的なやり方の延長線上にある気がしています。
私の関心はどうしても、被疑者になった軍人や軍属はアメリカ側が拘束して日本に引き渡さない、日本には裁判権がないという点にいってしまいますが、問題の中心はそこなのでしょうか。

明田川 もちろん、その問題は最重要課題の一つです。軍人や軍属の被疑者の多くは基地内で効果的に拘束されず、普通に仕事し携帯電話も自由に使っている場合もある。過去に被疑者が複数いた事例では口裏合わせや証拠隠滅を行ったり、ひどい場合は帰国してしまったりすることもありました。近年では日本の国内法の適応が強く求められています。軍用機の墜落に近い事故や学校にヘリコプターの部品の落下が報道されていますが、日本にいる米軍(と国連軍)には日本の航空法の重要箇所を適用しない趣旨の航空特例法というものがある。こうした問題は一般に国家の主権という側面から論じられがちですけれど、生身の人間の生活や人権、環境に影響を与えていることを先ず頭に入れておかなくてはいけない。

田中 一方、明田川さんは、外国に行った日本の自衛隊もその国の法律は適用されないという指摘もされています。

明田川 1990年代に国連平和維持活動(PKO)が行われるようになると、日本は派遣国になり、これまで専ら外国軍隊の受入国であった立場が変わりました。例えば、ソマリアの海賊行為に対する対処で自衛隊がジブチに駐屯した際のジブチとの協定は典型的で、ジブチ国内にいる日本の自衛隊や政府職員が使う施設にはジブチ政府の手は一切及ばない、裁判権も及ばないという、かつての日本国内での米軍と同じ状況でした。幕末の開国の際、日本は列国から不平等条約を結ばされたけれど、日朝修好条規で朝鮮に対して同じような行いをしたのと似た構図ですね。もちろん、ジブチの治安状況を考慮し、他国軍と基準を揃えるのはやむを得ないという議論もありますが、今後は日本が米国に対して訴えていることと同じことを他国に言われた場合にはどうするのかという局面に立たされることも考えなければなりません。

田中 私がご著書を読んで一番興味深かったのはその点です。相対的に見ると非常に複雑で、米軍に一貫すべきと言うのか日本が一貫すべきなのかという問題もあります。ご著書を読むまでは「日米地位協定はけしからん」と思っていましたが、読んで目が開かれたと同時に、一体どうすればよいのか考え込んでしまいます。

最大のポイントは本土の人間がどう考え行動するか

田中 日米間の交渉はなぜ進まなかったのでしょうか。

明田川 一つには調整の複雑さがあります。例えば、税の減免に関する規定は国税関係、裁判権は法務省関係というように様々な規定がある。行政協定を地位協定に変えた時には外務省は十以上の省庁間で非常に複雑な調整をしました。52年の行政協定は国会の審議を経ていないことが批判を受ける一因でしたが、その後は国会を通さなくてはならず、国会対策の必要もあった。
また、米国にとっては他の駐留国からも同じような要求が噴出するリスクもありますし、日本にとっても駐留経費負担増などの見返りを要求されるリスクもある。さらには、日本が強く出た場合、北東アジアに脅威と緊張があると思われる中で米国が日本の安全へのコミットメントを減退させたら困るという考慮が働いていた可能性もある。それから、日米協定の刑事裁判権規定はドイツや韓国に比べて有利だから改定する必要はないという議論もある。反対に、裁判権だけに注目するのは他の問題から目をそむけることになるという考え方もある。このように改定が進まない理由は多い。

田中 込み入っていますね。私たちは市民としてどう考えればいいでしょう。

明田川 私は本を書き終わり改めて考えてみて、こうした議論の多くは専ら政府に責任を押し付けているだけの無責任な議論なのかもしれないと気づいたんです。抜本改定を求めている沖縄県の声に対して我々が問われているのは、大きなことを言えばこの国のデモクラシーの問題ではないか、と。一カ所に過重な負担がシワ寄せされている前提のうえに成り立っている安保体制とか日米同盟と言われているものを、今日8割の人が支持している状態が続いていて果たしていいのだろうかということです。アメリカは日本の世論の動きを注意深く見ています。迂遠な話かもしれませんが、本土の人間がどう考え行動するかが最大のポイントではないかと思います。

田中 基地の集中という問題ですね。なぜ沖縄に基地が集中したのかに関係して、先ほど言及された「潜在主権」について教えていただく必要がありますね。「潜在主権」とは「立法、行政、司法の権限を実質上持たないけれど形式的に主権を有する」という実に奇妙な主権ですが、この「潜在主権」をアメリカに認めさせるために、恒久的な米軍基地を認めざるを得なかった、という駆け引きではないか。そういう理解でよろしいでしょうか。

明田川 核心をつく問いですね。まず、サンフランシスコ講和当時に沖縄の処遇について検討したジョン・フォスター・ダレス(米国務省顧問)が「沖縄などの処遇をめぐっては連合国間に対立があるが、それを解決するためには潜在主権方式を採ることが最善であると判断しました」と対日講和条約案の趣旨説明をしたこと、また、沖縄の処遇が規定された講和条約第3条の直前の第2条には植民地等の放棄や日本の旧委任統治領だったミクロネシアをアメリカの信託統治下に置くことが書かれているが、第3条はそのように書かれていないことをもって、沖縄にはかろうじて日本の主権が残っているという解釈です。
沖縄に対する日本の潜在主権という方式がとられた理由については、アメリカ側が露骨な併合を回避しながら基地を恒久的に置く枠組みを模索したという説と、日本側からアメリカ側に働きかけた結果であるという説に大別されます。沖縄が国連の信託統治下に置かれたらいずれ日本から独立してしまう可能性があるため、どんな形であれ沖縄の主権は日本にあるとした方がいいと吉田首相、昭和天皇やその側近が働きかけたという説もあり、今だに定説のない状況です。
しかし、いったん名ばかりの主権しかないとなってしまったら、いわゆる本土が享受している様々な権利から沖縄は除外されることになり、多くの人々の考え方も徐々にそうなっていった事実はおさえておく必要がある。

田中 返還されてからもそうした考え方は残っている。

明田川 日米関係や米国の沖縄統治政策を専門にされていた宮里政玄先生は、「本土は沖縄の犠牲の上にあぐらをかくことに慣れてしまった」、その原因の一つは「潜在主権」であると指摘しています。

田中 「潜在主権」を考えれば考えるほど、国家主権というもの概念が大きく揺らぎますね。

明田川 その通りです。主権や権力は政治学において基本的な用語であり概念ではありますが、入口であると同時にたどり着けない出口でもあると実感しています。学生に教える際も極めて具体的な事例から積み上げて考えていくしかないのですが、地位協定を糸口として主権について教えるのは本当に難しい。

田中 そうですね。本当に難しいとは思いますが、日本の民主主義にとって非常に大切な問題ですので、これからも是非丁寧に教えてください。本日はありがとうございました。

法学部政治学科 明田川 融(あけたがわ とおる) 教授

1963年生まれ。法政大学で博士号取得(政治学)。現在、法政大学法学部教授。著書『日米行政協定の政治史——日米地位協定研究序説』(法政大学出版局、1999)『各国間地位協定の適用に関する比較論考察』(内外出版、2003、共著)、『沖縄基地問題の歴史——非武の島、戦の島』(みすず書房、2008)。訳書 ジョン・ハーシー『ヒロシマ 増補版』(法政大学出版局、2003、共訳)、ジョン・W・ダワー『昭和——戦争と平和の日本』(みすず書房、2010、監訳)。

法政大学総長 田中 優子(たなか ゆうこ)

1952年神奈川県生まれ。1974年法政大学文学部卒。同大大学院人文科学研究科修士課程修了後、同大大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。2014年4月より法政大学総長に就任。専攻は江戸時代の文学・生活文化、アジア比較文化。行政改革審議会委員、国土交通省審議会委員、文部科学省学術審議会委員を歴任。日本私立大学連盟常務理事、大学基準協会理事、サントリー芸術財団理事など、学外活動も多く、TV・ラジオなどの出演も多数。