OB・OGインタビュー(2018年度)

日清食品ホールディングス株式会社 常務執行役員 国内事業担当 兼 日清食品株式会社 代表取締役会長 三浦善功 さん

  • 2019年02月26日
OB・OGインタビュー(2018年度)

プロフィール

日清食品ホールディングス株式会社 常務執行役員 国内事業担当 兼 日清食品株式会社 代表取締役会長 三浦善功 さん

日清食品ホールディングス株式会社 常務執行役員 国内事業担当 兼 日清食品株式会社 代表取締役会長 三浦善功 さん

三浦 善功(Yoshinori Miura)さん

1951年広島県生まれ。1975年経済学部卒業後、日清食品株式会社に入社。2006年執行役員、2007年取締役に就任し、2013年4月から2015年3月まで代表取締役社長を務める。
2015年4月代表取締役会長に就任。日清食品ホールディングス株式会社では2012年から執行役員、2018年2月から常務執行役員を務める。
(所属、肩書き等は本誌掲載時のものです。)

「できない」という結論を出さない。 失敗も乗り越えれば成功につながる

カップヌードルで知られる日清食品に入社し、長年にわたり同社をけん引してきた三浦善功さん。前進に欠かせないのは、失敗を恐れず決断すること。そのためには日頃からいろいろなことに興味を持ち、物を考える習慣が大切だと言います。

新人時代に学んだことが 今も役立っている

入社8年目に同期社員と松山城で(後列右から2番目が三浦さん)

入社8年目に同期社員と松山城で(後列右から2番目が三浦さん)

安藤百福(ももふく)が生み出した世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」と共に誕生した日清食品は、2018年に創業60周年を迎えました。今や日本のインスタントラーメンの年間消費量は56億食を超え、計算上は年間1人当たり約45食を食べていることになります。

近年の健康志向に応えて、日清食品では糖質と脂質、さらにカロリーを抑えた製品や減塩に配慮した製品、もう一品欲しいときにちょうどいい小容量の製品なども販売しています。

私は1975年の入社で、現在は日清食品の会長職と並行して、持株会社の常務執行役員を務めており、インスタント食品以外の国内事業をより太い柱にする、さらに新しい柱を立てるという任務を負っています。

社内では営業一筋のイメージが強いようですが、入社後に配属されたのは開発部商品企画課です。入社2年目には当時の国内企業には珍しくマーケティング部が設置され、その初代部員となりました。カップの容量を計算するために勉強した微分積分、商品のコンセプトやターゲット、販売ルートをきっちり詰めることの必要性など、20代で学んだことは体に染み付いていて、その後の長い営業時代にはもちろん、今も役立っています。

初めて管理職に就いたのは35歳頃です。それ以来ずっと、「自分がしてきた無駄な苦労は、できるだけ部下にさ
せない」という考えを貫いてきました。一昔前の営業では毎月実績が求められ、月末になると目の前の目標のために無理をしたものです。営業活動は結果が出るまで数カ月かかりますから、その場しのぎの苦労をするよりも、数カ月先の実績につながる仕事に精を出したほうが建設的です。ただし成長に必要な苦労もありますから、それはしてもらうようにしています。

旅行に明け暮れた4年間 恩師のひと言で日清食品へ

徳島の阿波踊りには、毎年「どん兵衛連」として参加している

徳島の阿波踊りには、毎年「どん兵衛連」として参加している

高校まで地方で育ったので、東京に出たいという思いが強く、東京の大学を受験しました。法政には、やや泥臭く、根性があるというイメージがあり、自分に合うと感じました。ちょうど学生運動が真っ盛りで、授業を受けた日数よりも、サークル「ユースホステル研究会」で全国各地を旅行した日数のほうが多かったように思います(笑)

所属したのは国際金融をテーマとしたゼミで、周囲は銀行や証券会社へ就職する人ばかりでした。私も銀行の採用試験に受かっていたのですが、原薫先生から「三浦くん、君は銀行に向いていない」と言われまして・・・。銀行に入っていたら、間違いなく今の私はなかったですね(笑)。

大学1年生の時に登場したカップヌードルを「すごい商品だな」と思っていましたし、面接で「やりたいことは何でもやらせてあげる」と言われたこともあって、日清食品への入社を決めました。勤務地の希望もかなえてくれるとのことでしたが、希望した広島の勤務となったのは後年で、それもわずか2年間でした。

決断を恐れては駄目 間違ったらやり直せばいい

私は未知のことでも「できない」という結論は出さず、やるためにはどうすればよいかと考え、とりあえずやってみる性格です。日清の行動精神の一つに「迷ったら突き進め。間違ったらすぐ戻れ」というのがあり、私にはよく合う会社でした。もっとも、学生時代から人と同じことはしたがらない、ちょっと変わった人間なので、若い頃はよく上司と衝突したものです。

「どちらを選べばよいか分からない」と迷うのは誰でも同じ。いつまでも選べないのは、失敗を恐れているからで、それでは一歩も前に進めません。自分で決断を下し、失敗だと分かったならば、謙虚にそれを受け入れ、すぐにやり直せば、失敗も成功への一つのステップになるはずです。

普段からいろいろなことに興味を持って、自分の持っているもの、自信のあるものを伸ばしておくと、いざ決断というときに、可能性が広がります。私はよく「結論を出すのが早い」と言われますが、それは一年365日、常に考えているからです。普段から多角的に物を見て、考えることを習慣にすることは、経営者に限らず、誰にとっても大切だと思います。

組織が大きくなってくると、思いきった行動や思考を避けようとする人も出てきがちです。今の私が果たすべき役割は、果敢に挑む姿勢が弱まらないように、若手の声に耳を貸し、とっぴな要素を排除せず取り込んでいくこと。若手から誘いがあれば一緒に食事に行くなど、日頃から気さくに話せる関係づくりも意識しています。私のような「異端児」ばかりでは会社がつぶれてしまいますが、何人かいてもいいでしょう。これからも、日清食品らしい、自分のやりたいことができる人間をたくさん育てていきたいです。

(初出:広報誌『法政』2019年1・2月号)