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2022年度学位授与式 廣瀬克哉総長 告辞

  • 2023年03月24日
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みなさん、ご卒業、ご修了おめでとうございます。ご家族の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。

学部を4年で卒業するみなさんは、コロナ前の学生生活と、コロナ以降の学生生活の両方を直接自分自身で経験した最後の学年ということになります。1年生の頃の学生生活は遠い昔のことのように感じられるでしょうか。あるいは、はじめて緊急事態宣言が出された2年生の春ごろの方が、今となってはかえって遠く感じられているでしょうか。大学における対面での活動は徐々に以前に近づいて来て今日を迎えています。しかし、そうは言っても入学時に思い描いていた大学生活と、みなさんが実際に経験されたそれとの間には、大きな落差がありました。そのことは、今みなさん全員の、それぞれの記憶のなかに刻み込まれていることと思います。

ところで、そもそも私たちの生活は、いつでも社会全体の状況の中にあります。コロナ前の2019年までもそうでした。しかし、普段から実感を持ってそのことを意識しているかというと、必ずしもそうではありません。特に大学生の生活は、平常時にあっては、社会や経済の変化をいわば間接的に反映することが多く、自分自身が社会状況の渦中にあると実感する機会は決して多くありません。だからこそ、大学というのは状況の変化に過度に左右されることなく、じっくりと腰を落ち着けて学ぶことができる場なのだ、ということもできます。

しかし、コロナ禍は、学生であれ社会人であれ、高齢者であれ子どもであれ、年齢や立場に関係なくあらゆる人たちを、状況の中の当事者にしました。誰にとっても、それまでの「普通」が当たり前でなくなり、特に意識的に努力しなくてもできていたことが、「普通」にはできなくなりました。何をやるにも、特に意識して工夫しながら取り組んだ時にはじめて、何らかの形で実現できるということの連続でした。日々変化していく状況の中で、自分にとって優先すべきものとして、意識的に選び取ったことから順番に、ひとつ、またひとつ、「これだけは諦めるわけにいかない」と取り組んでようやく、やりたかったことの一部を実現できた。みなさんの学生生活の中には、そんな場面が、幾つかはあったのではないでしょうか。特に、フィールドワークや留学など、大学のキャンパスの外に出て行う活動には大きな制約がかかりました。諦めざるを得なかったこともあると思います。何とか実現することができたことも、タイミングをはかり、周到に準備をして、やり方もいつも通りではなく、注意深く工夫してはじめて可能になりました。そんな状況の中で過ごしてきた学生生活の中には、平常時では経験することがなかったような「実践知」が詰まっています。自分が優先して選択したことは、自分の興味、関心や、ほんとうにやりたいことを示しているはずですし、やり方の創意工夫で得た発見や、それを通して気付いた自分の発想や態度の特長もあったはずです。これからコロナ禍が収束していったとき、この間の経験を過ぎ去ったことにしてしまうのではなく、自分の歴史として大切に記憶に刻み、「コロナ禍で自分が獲得した宝物」を胸に歩んでいって欲しいと願います。

ところで、みなさんの多くは、今日迎えた卒業、修了を節目に、小学校入学以来過ごしてきた長い学校生活にいったん終止符を打つことになります。しかし、よく指摘されているように、学校を離れることは学ぶことの終わりなのではありません。社会情勢は日々変化し、科学技術は日進月歩です。生きていくことは、日々その変化に直面し、直接、間接にその影響を受けることです。また、自分自身が何らかの形でその変化を創りだしている当事者でもあります。何らかの形で学び続けるということが、周囲の人たちからも求められるし、自分自身もその必要を感じる場面が出てきます。学校生活は終わっても学ぶことは終わらないのです。

しかし、学校生活が終わってからの学びには、少なくとも二つの面で学校時代と大きな違いがあります。ひとつには、カリキュラムというものを誰かが与え、いつまでに何をしなさいとコースを設定してくれることがなくなります。もちろん、ものごとを体系的に学んでいくために適したカリキュラムというものは必要です。社会の中でもそれがさまざまに開発され、提供されています。それを探し出して、最適なものを選ぶということが、自分の判断と選択に任されるということになります。

もうひとつの変化は、学ぶ仲間に関することです。学校という場には、同じ関心をもって学ぶ仲間がいます。広い社会のなかで、自分と同じ関心をもって、共通する何かを学ぼうとする仲間と出会うためには、意識的な努力が必要です。自分の置かれている環境が、予めそれを用意しておいてくれるということはありません。能動的にそういう仲間を見つけ、ともに学ぶ機会をつくらなければならないわけです。実際に共同作業を行ったりするわけではなくても、また、学ぶことそれ自体は本質的に自分自身の行為であるにもかかわらず、仲間の存在には大きなものがあります。このことは学生生活を通して多くのみなさんが感じてきたことだろうと思いますが、実際には卒業した後で、よりしみじみとそれを実感することになるのだろうと思います。

学校という場を巣立つみなさんには、このような意味で、学校時代以上に、自立した学び手になることが求められているわけです。大学という高等教育機関で身に付けることができるもっとも大事なことは、学び方そのものです。みなさんがこれまで大学で何を学んだかということ以上に、どのようにすれば学べるのかを身に付け、これからも必要な時に、必要なことを学んでいけるようになったということに価値があるのです。今日の卒業は、学ぶことからの卒業ではなく、学び方を学ぶことからの卒業であり、本格的に自力で学ぶことへの出発であると、確認してください。

ただし、今後一生ずっと、自力でだけ学び続けてください、というつもりはありません。大学という場は、あらためて自分が学んできたことを体系的に整理してみたい、とか、自分にとって新しいことを学ぶのに、現在定評のある効果的なカリキュラムを知りたい、といったことに応えられる場です。人生のなかで、時々、そういう場を活用してみることを、積極的にお奨めしたいと思います。世界中にさまざまな大学があり、多様な学びの場を提供しています。みなさんの母校である法政大学もまた、その時の選択肢の一つでありたいと思っています。

みなさんの前途が素晴らしいものとなることを祈ります。そして、その将来の中で時としてまた出会う機会もあることを楽しみにして、みなさんを送ることばといたします。

(以上)