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卒業生インタビュー:editwise代表、東京2020オリンピック(セーリング)・パラリンピック(パワーリフティング)競技大会ベニューメディアマネジャー 西 朝子さん

  • 2021年11月30日
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プロフィール

西 朝子(Nishi Tomoko)さん

1966年神奈川県生まれ。法政大学女子高等学校(当時)から社会学部社会学科に進学。1989年3月に卒業後、IT業界紙の記者、雑誌の編集者を経て、1995年から10年間ニュージーランドに滞在。帰国後はフリーランスのライター、編集者、スポーツ大会等のPR担当として活動。セーリングの国際大会の他、ラグビーワールドカップ2019でも、熊谷会場ベニューメディアマネジャー(会場のメディア運営統括担当者)を務めた。

物事の良い面に目を向け、自分らしく前進していきたい

今夏開催された東京2020大会ではセーリングとパワーリフティングの会場でメディア運営統括担当者を務めた西朝子さん。人生で何かを決断するときには、良い展開を思い描くことも大切と言います。

運営も取材も特殊なセーリングの大会

東京2020オリンピック競技大会では、神奈川県の江の島で10種目のセーリング競技が行われました。私が担当したのは、関係セクションと調整しながら、滞りなく取材が行える環境を整え、運営する業務です。

競技が海上で行われるため、会場から試合状況を見ることはできず、記者やカメラマンは専用ボートに乗ってレースの取材をします。また、複数種目のレースが並行して実施されるため、運営スタッフは、会場のモニターで放送されるライブ映像だけでなく、ヨット搭載のGPS経由で移動ルートを読み取るなどして、進行状況を把握します。

大会前には、セーリングへの関心を高める目的で、多くの国際大会が国内で開催され、そのプレスオフィサーも担当しました。足掛け5年間国内外のメディア関係者を相手に仕事をしてきたので、顔なじみも増えました。

東京2020大会のメダリスト記者会見で、司会進行を務める西さん(左端)。

東京2020大会のメダリスト記者会見で、司会進行を務める西さん(左端)。

ヨットのサークルとゼミで築いた信頼関係

大学進学時は、文学部史学科で遺跡の発掘をするか、社会学部で新聞記者を目指すか迷いましたが、未来を考える仕事に魅力を感じ、社会学部を選びました。

大学時代の収穫は、ゼミ、サークルの仲間と今につながる関係を築けたことです。小学生でヨット教室に通った経験があり、ヨット部にと思ったのですが、当時は女性部員がいなかったため、サークル「法政セイリング」に入り、週末と長期休暇の年間約100日を横須賀の合宿所で過ごしました。

須藤春夫先生の広告論をテーマにしたゼミは、広告代理店を目指す学生が多く、白馬山荘の合宿では夜更けまで討論をしたものです。友人同士でも、場合によっては気遣いも必要でしょう。しかし、私の場合は、少し羽目を外したり、本音を出したりして、関係や信頼を深めました。大学はそういう場であってほしいと思っています。

江の島で2017年に開催されたセーリング国際大会の広報チーム(左端が西さん)。

江の島で2017年に開催されたセーリング国際大会の広報チーム(左端が西さん)。

就職、転職、そしてニュージーランドへ

就職活動は、新聞社や出版社の採用試験を片っ端から受けましたが、なかなか決まりませんでした。他業界では内定を頂いたのですが、4年生の冬まで就職活動を続け、IT業界紙を発行する会社に就職しました。

ちょうどパソコンが普及し始めた頃で、知識の乏しい新人にも、ゲームソフト開発会社の技術者から大企業の社長までさまざまな人を取材をし、記事を書く機会が与えられました。仕事にやりがいを感じていた時、たまたまヨット・ボートの専門誌で社員募集を目にしたのです。定期採用がなく、就職活動時にあきらめた会社だったため、迷わず応募し、転職しました。

以前にも増して仕事を楽しんでいましたが、転職して6年目、世界最高峰のマッチレース「アメリカズカップ」で優勝したニュージーランドに行ってみたいと強く思ったのです。取材の機会も長期休暇制度もなく、ワーキングホリデーの年齢上限の30歳が迫っていた私は、会社を辞め、ニュージーランドへ旅立つ決意をしました。

苦手な英語を克服 価値観や世界も大きく広がる

実は、大学では通常1・2年次に履修する英語の授業を4年次まで受け続けるほど、英語が苦手でした。一日中英語の中で生活をするうちに、苦手意識は薄れ、少しずつ英語が聞き取れるようになっていきました。

語学学校では、台湾、韓国などの人と知り合いになり、周囲から見れば「アジア人」とひとくくりでも、価値観や考え方には違う部分があって面白いと感じました。ラグビー留学をしていた日本人の手ほどきで、ラグビー観戦という新たな趣味もできました。

3カ月目に入り、そろそろ仕事も始めようと思った矢先、新創刊の日本人向けフリーペーパーで編集者の募集があり、運良くそれに採用されました。

ニュージーランドが気に入り、就労ビザを得てフリーペーパーの仕事を数年続けていたのですが、アメリカズカップがニュージーランドで開催されることになり……。またもやお世話になった会社を辞め、2000 年、2003年と2大会連続で大会のメディアセンターのスタッフを務めました。2005年には拠点を日本に移し、現在はスポーツ大会や団体、チームなどの広報の仕事が中心となっています。

計画性のない人生で、今振り返ると、「あの時、別の選択肢を選んでいたなら」と思う分岐点もいくつかあります。それでも、やみくもに手を出してきたわけではなく、経験や興味を次のステップにつなげてきた自負もあり、後悔はしていません。

「失敗したらどうしよう」と迷ったり不安を感じたりするのは、物事の悪い面ばかりを見ているからかもしれません。ぜひ、その反対側にある良い面にも目を向けてみてください。これからも自分の中の軸を信じて、楽しむことを忘れず、私らしく前進していきたいと思います。

 

(初出:広報誌『法政』2021年10月号)