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総長から皆さんへ 第13信(7月10日) 元教員・内田百閒を読む その1

  • 2020年07月28日
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English (by Google Translation)

皆さんは内田百閒(うちだ・ひゃっけん)という小説家をご存知ですか? 夏目漱石の弟子で、ドイツ文学者でもありました。芥川龍之介ともたいへん親しい人でした。そして、法政大学の教員でした。法政大学が大学令によって正式に私立大学になった1920年にドイツ語の教授となり、1934年、ある事件をきっかけに辞職したのです。

私は1980年に多くの賞を受賞した鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』という映画を見て関心をもち、その原作である内田百閒の『サラサーテの盤』や『とおぼえ』等々、短編を読むようになりました。欧米の怪談や中国の怪談とも異なり、「怖さ」が明確なかたちをとらない。まるで夢や幻聴、幻覚のような通り過ぎる「おもかげ」でありながら、背筋が凍るような恐怖と面白さを感じる。ちょうど泉鏡花のような小説を書く人です。

映画『ツィゴイネルワイゼン』には、小説『サラサーテの盤』に登場しない瞽女(ごぜ:盲目の芸能者)が出てきます。それにも理由があります。百閒に『柳検校の小閑』という作品があり、その主人公は琴を教える盲人なのです。検校(けんぎょう)とは盲人の最高位の官名のことです。明治時代に廃止されましたが、盲人音楽家の宮城道雄は「検校」と呼ばれていました。百閒は宮城道雄をたいへん尊敬し、そのもとで琴を稽古していました。宮城道雄の家は神楽坂上から市ヶ谷に向かう牛込にあり、法政大学からも通っていたようです。1956年に宮城が事故で亡くなった愛知県刈谷駅のことを、『東海道刈谷駅』という作品にも書いています。鈴木清順監督は百閒が盲人芸能者へ寄せる深い思いを取り入れたのだと思いますが、検校と瞽女とは天と地ほど、全く異なる生活でした。

ところで百閒は辞職後も法政大学の学生たちに慕われ、ずっと交流を続けていました。そして還暦1年後の1950年より、学生たちによる誕生日会「摩阿陀会(まあだかい)」が毎年、開催されるようになったのです。この会を中心に作られた映画があります。それが黒澤明監督の最後の作品『まあだだよ』です。映画『まあだだよ』は、法政大学の教室シーンから始まります。内田百閒辞職前の最後の授業シーンです。この映画には、百閒が毎年開催される「摩阿陀会」の様子を書いた『まあだかい』と『ノラや』などが使われています。『ノラや』は飼っていた野良猫のノラがある日行方不明になり、百閒がそのことを苦しみ悲しみ、必死でノラを探し回る話で、心を打つ作品です。それがほぼそのまま映画『まあだだよ』のなかで映像化されています。この映画には2匹の猫が出てきます。茶色のノラも白黒のクルツも、命のいとおしさを感じさせてくれる素敵な猫です。また、百閒が実際に暮らしていた、戦後の掘建て小屋が再現されています。経済的な豊かさを求めるのではなく、「清貧」を楽しむ百閒そのもののような小屋の美しいこと。その一方、「摩阿陀会」は宴会です。宴会というものが単なる大騒ぎになりがちな今日、そして、簡単に宴席が持てなくなったこの数か月の体験を経ると、ユーモアとウイットに富んだ語り(スピーチ)のあるかつての宴席とはどのようなものだったか、じつになつかしく感じます。内田百閒の作品全体から感じられることですが、人を見下すことのない、「心」のある、善良さと品格とユーモアに満ちた人間とはどういう存在だったのか、どのような影響を若者たちに与えてきたのか、そういうことが伝わってくる映画であり随筆です。黒澤明が死の直前にみつめていたものを共に見ることのできる作品です。(続く)

2020年7月10日
法政大学総長 田中優子