お知らせ

2020年度学位授与式告辞

  • 2021年03月24日
お知らせ

→ English 
 

皆様、ご卒業おめでとうございます。保護者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。

最終学年であったこの一年、皆さんは今まで体験したことのない、さまざまな困難に遭遇したことと思います。法政大学の学生だけでなく、日本中、世界中の大学生、大学院生が、オンラインで講義を受け、限られた時間のなかで実験・実習をおこない、フィールドワークや調査や留学も十分に体験できませんでした。さらに、教員や友人たちと直接の交流や意見交換する機会もほとんどないまま、卒業あるいは修了して行かねばなりません。たいへん残念なことです。しかし、人生における特別な体験は、後の大きな糧になることがあります。皆さんは、この限られた環境の中で、何を感じ何を考えたでしょうか? 特別な年の特別な経験を無駄にしないよう、仕事につくかたも進学なさるかたも、この一年が自分に何を与えてくれたか、ぜひ振り返ってみてください。法政大学はもうすぐ始まる新学期で、対面授業とオンライン・オンデマンドなどを組み合わせたハイブリッド、そして対面授業をオンラインでも中継するハイフレックスなどを使っていきます。これから皆さんが入っていく学びの場や働く場も、コロナ以前には戻りません。日々、新しい方法を模索しながら新しいかたちを創り上げていく場所なのです。ぜひこの一年で得たものを、新たな場の創造に生かしてください。

ところで、私も皆さんと同じこの3月末日をもって、総長の任期が終わり、退任します。教員としても法政大学を去ります。この壇上に立つのも、今日が最後です。

本日ここに立って、7年前のことを思い出しました。2014年の4月3日、私は初めてこの日本武道館の演台の前に立ち、皆さんにこう語りかけました。「1970年、私は皆さんと同じように法政大学に入学しました。この正面の二階のあたりに座っていたことを、今でも覚えています。後に総長としてここからメッセージを皆さんにお届けすることになるとは、想像もしませんでした」と。なぜ想像できなかったかというと、1970年当時、女性が大規模総合大学の総長や学長になることなど、あり得なかったからです。しかし今は東洋大学や同志社大学など、次々と女性の学長が誕生しています。アメリカのカマラ・ハリス副大統領は就任前、「私は女性として初めての副大統領になるだろうが、最後にはならない」と言いました。様々な場所で、さらに多くの女性のリーダーが生まれることでしょう。

しかし現時点ではどうでしょう。世界経済フォーラムが発表した2019年末時点の日本のジェンダーギャップ指数つまり女性活躍の度合いは、153国中121位です。2018年の総務省の労働力調査によると、非正規雇用の割合は、男性雇用者全体の22.2%ですが、女性雇用者全体では56.1%にのぼります。コロナ禍によって2020年の1月から7月には、約107万人の非正規労働者が職を失い、その約80%が女性でした。男女の大きなギャップが以前からあり、このコロナ禍でそれがはっきり見えるようになったのです。社会の格差は男女の区別なく大きくなっています。しかしとりわけ女性の中に、その格差のもたらす貧困が広がっているのです。

私は今、一方で女性が大学総長にも副大統領にもなる時代になった、という話をしました。そして一方で、職を失った多くの女性のことを話しました。この二つの事柄にはどのようなつながりがあるでしょうか? あるいは、つながりがないのでしょうか? 組織の中で少数者の割合が30%を超えると、組織そのものが大きく変わると言われます。それは女性についてもいえることです。ぜひそれは成し遂げねばなりません。では達成されれば、非正規雇用の男女差は縮まるでしょうか? 恐らくすぐには変わりません。しかしこれだけは言えます。男性も女性もそれぞれの役割を果たすことで、自分自身のみならず、家族、友人、そして社会全体に影響を与えます。皆さんがいかなる意識をもって一人の人間として生きていくか、何を目標に自らの役目を果たすか、その姿勢が社会に影響を及ぼします。自分の生活の安定だけを追求するのか、それとも、ともに生きる人たちや、仕事の背後にいる、多くの人々に対する想像力と共感をもって働くのか、それによって社会は違っていきます。

ところでこの「共感」という言葉は、法政大学憲章も大切にしている言葉です。法政大学を卒業するにあたって、皆さんには、心にある「問い」をもって、卒業していただきたい、と私は思っています。それは法政大学憲章のタイトル「自由を生き抜く実践知」についてです。この大学憲章の精神は、辞書的な意味を知ることで身につくわけではありません。私にとって自由を生き抜くとは、どうすることなのか、私にとっての実践知とは何だろうかと、自分のこととして問い続けることで初めて、この憲章の価値観が理解できるのです。つまりこの憲章の言葉は単なる言葉ではなく、自分のありかたを考える場所であり、思考の方法なのです。

まず、私の場合をお話ししましょう。私は皆さんと同じように、大学に入って何を学ぶか、大学院に入って何を研究するか、決断しながら生きてきました。進学、就職、転職など大事な決断の時は、好き嫌いだけではなかなか決められませんね。ありとあらゆることを考えます。この道を進んだら自分の将来はどうなるだろうかという不安は、誰もが感じます。しかし私の場合、大学で出会った江戸文化研究への渇望が、そのような不安をはるかに上回ってしまいました。「どんな生活をすることになっても、この道を手放したくない」と考えるようになったのです。私にとっては研究と執筆を続けることこそが「自由を生き抜くこと」でした。正規の仕事にはつけないかも知れない。しかし将来のことは考えずに全力を尽くす毎日でした。松尾芭蕉に「無能無芸にしてただこの一筋につながる」という言葉があります。私はまさに自分のことのように感じました。私には「この一筋」しかありませんでした。

昨年の11月に起こった事件で、この決断のことを思い出しました。渋谷区のバス停で座ったまま眠っていた60代の路上生活の女性が、石を入れた袋で殴られ、亡くなったのです。女性は非正規で働いていたかたで、新型コロナ感染拡大のために職を失っていました。女性たちは路上で横になって眠ることに危険を感じ、電灯のついている場所で座ったまま眠るのだ、と聞きました。この事件は、大学生のころ「どんな生活をすることになってもかまわない」と考えていた私にとって、人ごとではありませんでした。自分だったかも知れない、と思ったのです。私ばかりでなく、多くの人々にとって人ごととは思えず、とりわけ女性たちの関心を集めました。なぜひとつの人生の選択が、このような終わりを迎えねばならないのでしょうか? どのような選択をしても、人間としての尊厳をもって生きていかれる社会が必要です。自由を生き抜くとは、自分自身の自由を大切にするだけでなく、どんな人も自由を生き抜ける社会を作ることなのです。

では「実践知」とは何でしょう。「実践知」はギリシャ哲学に由来する言葉ですが、今自分が置かれている現実に足をしっかりつけ、理想とする方向に向かって歩み続ける知性のことです。まさに「どんな人も自由を生き抜ける社会」をめざし、その方法を柔軟に探索する知性なのです。

迷う余裕のなかった私自身の体験をお話ししましたが、では迷った時にはどうするか。複数の選択肢を前にしたとき、多くの情報や、身近な人たちの期待や、時には圧力さえ感じます。さらに、個々人の心の中には、その時代の社会の価値観が内在化されています。つまり自分で自分を縛っています。多くのことが頭をよぎります。その渦のなかで自由を生き抜くには、そこから逃げないことです。まずひとつひとつに耳を傾け、理解し、言葉に置き換えて明確にする必要があります。それこそが、自分の行く道を柔軟に探索する実践知のプロセスです。その上で、自分にとってもっとも大切だと思い、後悔しないと思える選択は何か、自分自身で決断するのです。人の薦めで選択するのではなく、自分で決めることが、自由を生き抜く上ではとても大切です。その決断が、どんな人も自由を生き抜ける社会を作ることにつながる道であることを、私は心から望んでいます。

さて、本日皆さんは卒業していきますが、今日から、校友会の一員として、卒業生のネットワークにつながります。未来を切り開くために、ぜひ校友の絆も使って下さい。皆さんがその絆を断ち切らなければ、校友会も大学も、皆さんを応援することができます。これからも法政大学のコミュニティの一員として、一緒に、この変化の激しい厳しい社会を、希望をもって乗り越えていきたい、と願っています。

あらためて、卒業、おめでとうございました。