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総長から皆さんへ 第8信(5月25日) フラジャイルなわたし

  • 2020年06月05日
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ブラック・スワンという言葉をご存知ですか? 起こりえない、と思われていたことが急に起こることです。予測できないことが起こると、社会に強い衝撃と大きな影響を与えることになります。とりわけ金融危機と自然災害をさしていましたが、新型コロナも予測不可能でしたね。このようなリスクは予想できるものでしょうか? リスク予測は過去のデータに基づくものですから、正確さは期待できません。むしろ壊れやすさ、つまりリスクにさらされた時の脆弱(ぜいじゃく)性の方が測りやすい。そこで脆弱性を軽減する方が正しい、という理論を伝えている本があります。それが『反脆弱性―不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』(ダイヤモンド社)という本です。

著者はナシム・リコラス・タレブ。アメリカに暮らすレバノン人で、ウォール街の金融トレーダーだった人ですが、アメリカの大学でMBAを取得し、パリ大学で博士号を取得した研究者でもあります。反脆弱とは何かというと、脆弱ではないこと、しかし頑強でもないことです。「強い・弱い」というのは、「~に強い・弱い」ことです。落下して簡単に壊れたり圧力で押しつぶされないよう、ものはそれぞれリスクを想定して頑丈に作りますね。人で言えば、有名大学を優秀な成績で卒業するとか、困難な資格をとるとか、つぶれそうもない大企業に就職するなどは強み、と思われたりします。しかしタレブに言わせると、「今まで」の常識で未来を判断して強くなっても、この予測不能の社会では何の役にも立たない、というわけです。ランダムな事象、予測不能な衝撃、ストレス、変動性、こういうものを味方につけて自己再生できる仕組みが「頑健さ」よりも大切で、それこそが反脆弱であり、その模範は「自然界」だと言っています。

数々の表を作って説明していますが、そのなかの「学習」の項目に言葉を足して紹介すると、脆弱な学習は「教室」での学習だと言います。これは一方的な講義を受け身で聴くことでしょう。頑健な学習は「実生活の苦難から学ぶ」こと、そして反脆弱な学習は「実生活プラス蔵書」とあります。実体験だけでは変動性に対応できないのです。「人生と考え方」の項目を見ると、脆弱なのは、スケジュールが決まっている観光しかしない観光客のような人の人生とその考え方、頑健の欄は無記入です。そして反脆弱は「膨大な蔵書を持つ遊び人」のような人生とその考え方、です。こうして随所に「書物」が出てきます。実際にタレブは子供のころからたいへんな読書家で、経験だけではなく本から得た想像力も、その能力を反脆弱なものにしているのです。

私は下町の狭い長屋で育ちました。しかし本の世界は確かに広大でした。小学生のとき『ヘレン・ケラー』という伝記物語を読みました。私が関心をもったのはヘレン・ケラーを育てたアン・サリバンという家庭教師のことでした。農民の子として生まれ、9歳で母親を亡くして身体の不自由な弟と救貧院に入れられ、その時からほとんど目が見えなかったのです。その茫漠とした世界の不安が、本からは痛いほど伝わってきました。その弱さと不自由の中「奇跡の人」と言われた教師としての生涯を生きたことが驚きでした。また中学生の時に『風とともに去りぬ』を読みました。アメリカにおける奴隷解放が、南部では家族同様に暮らし頼っていた、黒人の乳母やメイドたちを外に放り出すことでもあったことを知りました。映画でも歴史書でも伝わらない悲しみがありました。何度も紹介してきた『苦海浄土』で知ったのは、母親の胎内で水銀を吸収した胎児性水俣病患者が、自分と同世代の人々であることでした。自分の運命だったかも知れない世界を、本を読むことで経験したのです。SFや幻想小説もたくさん読みました。これらは現実を舞台にしたものではありません。しかし人間の「心」が外にむき出しになるジャンルだと思っていいでしょう。私はスタニスラフ・レムやジュディス・メリルなど、人の心の謎を追体験できるSFが好きでした。

私たちが自分の生まれ育った環境と経験だけを基準に生きていたら、接する機会の無かった人々への想像力は育たず、平然と差別や排除をすることになるでしょう。在日朝鮮人作家たちの文学や韓国文学、中国の古典から近現代小説まで、隣人たちの内面を追体験することも、日本人に必須な想像力を養う方法です。

つまり、読書も経験のひとつなのです。数千年も前から古今東西の人々が、実際に経験したこと、見聞きしたこと、考えたこと、感じたことを言葉にしているわけですから、他者のありとあらゆる経験がそこにはあって、それを私たちは追体験できるのです。いわば過去から未来まで、世界の至るところに友人がいるようなものですね。本とは、話を聴かせてくれる友人です。「本は経験であり友人でもある」という言葉は、編集工学という分野を拓いた松岡正剛さんの受け売りです。松岡正剛さんは読書のプロと言われ、長らく「千夜千冊」というプロジェクトを続けています。古今東西あらゆる分野の本を読むことと書くことに特化した、インターネット私塾「ISIS編集学校」の校長でもあります。江戸時代の私塾も読むことを徹底し、そこに議論することを組み合わせて考える力をつけていました。そういう私塾が現代にもあるのです。

読書が苦手でうまく時間も作れない人は、一日に90分だけ読書に集中する時間をもつとよい、と松岡さんは言います。なんとなく読むのではなく集中して読むことのできる読み方や、数冊を組み合わせて読むなど、読書には多様な方法があるのです。ISIS編集学校にはそれらを実践するコースの他に「多読ジム」という面白いジムがあります。筋力をつけるように読む力を鍛えるジム、という意味です。読書力は誰にでもつくのです。

『反脆弱性』の脆弱はフラジャイル(fragile)のことで、反脆弱性はantifragile です。一方、松岡正剛さんは『フラジャイル 弱さからの出発』(筑摩書房)という本を書いています。経済成長を通した強さだけを目標にしている日本にはかつて、弱さ、脆(もろ)さ、壊れやすさ、おぼつかなさ、はかなさを見つめ、肯定し、表現する文化や価値観があったことを書いた本です。私たちは突然やってくる危機を避けることがきません。まずは、不確実性にさらされている自らの存在の弱さや壊れやすさを見つめ、向き合った方がいいのです。それはそれで切なく、なかなか素晴らしい心の体験です。その上で、これからの世界で生きていくには、強くなるのではなく、広く深くなることで、何が起こっても受け止め、危機を糧にできる反脆弱性が必要となっているのかも知れません。

ところで、法政大学の大学憲章は「自由を生き抜く実践知」です。この憲章も反脆弱性として読むことができます。つまり大事なことは知識をためこむことではなく、自分が今いる場所での実践を通して経験し、その経験を古今東西の言葉と往復することによって知性と理想に変え、その知性を、さらに自由な実践につなげていく。この憲章はそういう生き方を指し示しているからです。

2020年5月25日
法政大学総長 田中優子