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労働経済と40年、顧みれば(経営学部経営学科 奥西 好夫 教授)

  • 2021年11月10日
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経営学部経営学科 教授
奥西 好夫


ESSAYでは、15学部の教員たちが、研究の世界をエッセー形式でご紹介します。

労働省時代

私の職業生活は1980年、労働省(当時)に就職し、労働経済課に配属された時に始まります。これは、後に労働経済の研究者になった原点ともいえる経験でした。

もう一つ得がたい経験となったのは、2年目の北海道労働基準局での勤務です。研修的な意味合いの配属で、監督官の監督や災害調査への同行、電話相談への対応、司法送致書の内容要約カードの作成などを行いながら、学ぶことが多い日々でした。労働者からの訴えの数々は無論のこと、事業者側にも不注意による事故、経営上の困難による法令違反もあれば、はなから遵法意識の欠如した経営者もおり、実社会の一端に触れることができました。自分の無知、無力を痛感し、人事担当者に地方での勤務延長を希望しましたが、かないませんでした。

北海道労働基準局時代、青函トンネルの掘削工事現場で(1981年)

戻った先は雇用政策課という多忙な部署で、ストレスがたまりました。そうした中で、勉強をし直したいとの思いも募り、人事院の留学制度で米国ニューヨーク州のコーネル大学修士課程に入学し、労働経済学を専攻しました。

帰国後は再び労働経済課に配属されましたが、円高不況からバブル景気へと経済情勢が目まぐるしく変わる中で、業務は以前にも増して多忙でした。組織の問題点がいろいろと目に付くようになり、リクルート事件が発覚したのもこの時期です。個人的にも多少悩みましたが、1989年夏、労働省を退職し、コーネル大学博士課程に進学しました。

コーネル大学、学生寮前でルームメイトとともに(1989年)

コーネル時代、ハワイ時代

二度目の留学は、私の人生の中でも楽しく充実した時期でした。リサーチアシスタントとなり、授業料免除と月約10万円の手当てが出たのもありがたいことでした。博士論文は指導教授の勧めもあり、日本に関するテーマを選びました。①定年延長と昇進、賃金プロファイルの関係、②ボーナスの個人インセンティブ機能、③定年前・後を含めた定年退職システムの3点で、簡単な経済モデルを作り、その含意をデータを用いて検証するというスタイルです。

博士課程を終えた1993年は就職の厳しい年でしたが、ハワイのイースト・ウェストセンターという連邦政府系の研究所に就職できました。研究所では人口部門に所属し、主に日本の外国人労働者問題について研究しました。多くの同僚が人口学や社会学の専門家で、労働経済学との重複領域といえば人口移動であったことが理由です。また、「東アジアの人口変化と経済発展」プロジェクトにも参加し、経済発展と労働市場の関係に関するテーマを担当しました。

当時全ての採用ポストは任期付きで、最初は3年の契約でしたが、連邦政府の財政赤字削減策の一環として1995年9月の財政年度から予算が半減され、約半分のスタッフがリストラされました。私もその対象になる予定でしたが、幸運にもその1年前に、法政大学の小池和男教授が法政大学経営学部への就職を推薦してくださり、失業を経ずに転職できました。小池先生とは、コーネル時代とハワイ時代に各1回セミナーでご一緒しただけのご縁でしたが、法政への転職後も何かと親切に指導してくださり、感謝の念に堪えません。

イースト・ウェストセンターで同僚と(1995年)

法政大学時代

着任してしばらくは正直、浦島太郎のような感覚でした。6年間日本を離れていた間に、世の中が大きく変わってしまった印象を受けました。日本の学生を相手に授業をするのも初めてで、どのような言葉で話したらよいか戸惑いました。研究では、とりあえず博士論文の延長で高齢者雇用に関する論文をいくつか書きました。ハワイ時代に手掛けたアジアの労働市場研究からは遠ざかってしまいましたが、2000年前後から十数年間、アジア諸国の人事担当者に日本の人事管理や労使関係について講義する研修の講師やコーディネーターを務めたので、アジア各国の状況を知る機会には恵まれました。

この時代の研究テーマの一つは、日本の賃金制度の変化についてです。きっかけは1990年代後半、経済論壇などで成果主義ブームとなり、多くの企業で賃金制度の見直しが行われたことです。よく聞かれた議論の一つは「日本経済の苦境は時代遅れの職能給※にある。経済の好調な米国を見習って職務給※を採用すべきだ」というものです。これには驚きました。1990年前後、日本経済は絶好調、米国経済は絶不調であった時代を知っているからです。そもそも職務給は、成果給とは別物です。もう一つの研究テーマは、非正規雇用の増加など雇用形態の変化についてです。

これら2つの研究テーマには共通点があります。一つは、いずれも日本企業の人件費削減に大いに貢献したことです。職務給の普及もあり、年齢−賃金カーブは随分フラットになりました。そしてもう一つは、日本企業の人材育成機能を弱体化させた可能性が高いことです。

非正規雇用は雇用期間や職務範囲が限定的であるため、OJT(職場で仕事をしながら能力を身に付ける)の機会が限られ、Off−JT(講習など職場外での学び)も貧弱なのが一般的です。また正規雇用も、賃金カーブのフラット化は長期の投資インセンティブを弱める可能性が高く、職能給から職務給への移行は柔軟な異動の障害となり得ます。さらに人員削減で職場に余裕がなくなり、そうした面からも人材育成や技能伝承の機能が弱体化しているように感じます。

こうした課題については、まだきちんと研究していませんが、残り少ない法政大学での教員生活の間にぜひ取り組みたいと思っています。

レーシアの「多様性」ワークショップで参加者と。前列左が奥西教授(2014年)

  • 職能給は個人の仕事能力の評価で決まり、勤続によって上がる傾向が強い。一方、職務給は実際に就いている仕事の価値で決まる。

(初出:広報誌『法政』2021年10月号)

法政大学経営学部経営学科

奥西 好夫 教授(Okunishi Yoshio )

1957年生まれ。1980年東京大学経済学部卒業、1987年コーネル大学労使関係スクールにてM.S.を取得、1993年同スクールにてPh.D.を取得。1980 〜1989年労働省、1993 〜1995年イースト・ウェストセンターを経て、1995年法政大学経営学部に助教授として着任、1998年より同教授。主要論文に、「企業内賃金格差の現状とその要因」『日本労働研究雑誌』(1998)、「「成果主義」賃金導入の条件」『組織科学』(2001)、「正社員および非正社員の賃金と仕事に関する意識」『日本労働研究雑誌』(2008)、「労働市場と労働生産性に関する若干の考察」『日本の強みを生かした「働き方改革」を考える(日本経済調査協議会調査報告)』(2019)など。