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【法政の研究ブランドvol.7】能のヒミツに分け入ることが新しい繋がり・可能性を生む(能楽研究所 山中 玲子 教授)

  • 2021年02月17日
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「法政の研究ブランド」シリーズ

法政大学では、これからの社会・世界のフロントランナーたる、魅力的で刺激的な研究が日々生み出されています。
本シリーズは、そんな法政ブランドの研究ストーリーを、記事や動画でお伝えしていきます。

能へのアプローチは誰でもいつでもどこからでも可能

能は、室町時代に成立した日本最古の歌舞劇です。テキストだけが残って中絶してしまったギリシア劇などとは違い、600年以上一度も途切れることなくプロフェッショナル集団によって演じ続けられてきました。今もなお、世界の演劇を構成する重要な一つとして「現役」で活動しています。

私が「能」という言葉を知ったのは小学校6年の時です。担任の先生が能の話をしてくれたのですが、「これが泣く型」と揃えた指を顔の近くに持ってきて俯いた姿も、逆に少しだけ上を向いて「こうやって笑うんだ」と言っていた様子も、今でも鮮やかに蘇ってきます。美しいと思いました。実は素人の物まねだったのかもしれませんが、ともかくその強い印象が、私の中に種を蒔いたのだと思います。でも発芽したのは大学に入ってから。たまたま友達にくっついて能のサークルの見学に行ったら素敵な先輩がいて、つい入ってしまいました。能を見始めてからも、私はけっして良い観客ではなかったと思います。眠気をこらえてただ座っていただけのこともたくさんあります。大学院の頃には囃子方の追っかけをして能楽堂に通っていた時期もあり、その時は囃子方の前に立って舞う主役が邪魔だと思ったことさえあります(笑)。せっかくの名曲・名演をいっぱい無駄にして、何も受け止めずに垂れ流していたかもしれませんが、それでも何かが残った…。能は太っ腹で、相手を選ばない。陳腐な言い方で恐縮ですが「私が能をつかまえたのではなく、能が私をつかまえてくれた」というアレです。

だから、能を知るきっかけは衝撃的な名演である必要はないし、こちら側に教養がないとダメとか、特別の感性が必要ということもまったくないと確信しています。能装束のデザインだけ見に行っても、能面だけに注目しても、誰も文句を言いません。建物の中に屋根付きの能舞台が入っている不思議な造りの能楽堂の雰囲気を味わうだけでも大丈夫です。

能について誤解している人は多いと思います。「無表情な面を着けて何か聞き取れない言葉を唸りながら、すごくゆっくりのスピードで抽象的な動きをしている」と思っていませんか。能面は、ちょっとした角度や光の当たり方、身体の使い方によっていろいろな表情を見せるようにできています。左右もわざと非対称に作られていたりします。能のビデオを見た学生が「これ同じ面ですよね、取り替えていなかったよね」と確認するくらい、違った表情を見せてくれますよ。

謡はたしかに古文ですし聞き取りにくいかもしれませんが、「どう戦って死んだのか」「どんなに恋しく思っているのか」、いろいろなメッセージが伝わってきます。というか、こちらが好きなように汲み取っていいのです。「海に沈んでいって冷たかっただろうな」「あ、今この人は運命を受け入れたんだな」などなど。同じ能の同じ場面でも若いときと歳を取ってからでは受け止め方が変わってきたりもします。恋愛や失恋、育児や介護、挫折、大事な人との死別など、人生の経験が観客の見る目を変えていく。ミニマリズムの芸だからこそ、逆に観客が注ぎ込むことのできる余地がたくさんあるのだと思います。ぜひ一度、能楽堂にも足を運んでみてください。ぜひ。

  • 能面。左から順に、女性の鬼である「般若(はんにゃ)」、少女の「小面(こおもて)」、老人の「小牛尉(こうしじょう)」

  • 紀州徳川家の秘伝だった古演出による能「石橋」の復元上演。わかやま歴史館と協力

演出の研究 実演者との協力

能を楽しむだけでなく研究しようと思うようになったのは、法政大学の能楽研究所(能研)の存在が大きいです。卒論を書く頃、当時麻布にあった能研に初めて連れていってもらったのですが、狭い閲覧室にはあちこちの大学から若い研究者や院生が集まってきて、文字通り「切磋琢磨」していました。研究の面白さを教わっただけでなく、あの場に在った独特の熱気や磁力のようなものに引っ張ってもらったと思っています。今の能研はそこまでのことができているかなぁと、いつも考えます。

私の研究の大きなテーマは、能の演出史です。こんな不思議で豊かな能がどうやってできて、それがどういう風に洗練されてきたか、どういう変遷の結果今のような形になったのか、それが知りたかった。能は六百年の伝統や規則でがんじがらめというイメージが強いかもしれませんが、ぜんぜんそんなことはありません。個々の能作品についても、何百年も前に作られたお茶碗がそのまま残っている、というのとは違うのです。同じことを何百年も繰り返してきたのではなくて、代々の役者の作品解釈やそれを観た観客たちの反応など、たくさんのものをそこに注ぎ込んできました。しかもそうした工夫を一回限りで捨てず、面白い演出と思えばきちんと記録してレパートリーにしてきました。あるいは秘伝として大事に守ってきました。そういう工夫の過程を、資料を追うことによって解明しようと努めてきたつもりです。その追跡の途中ですっかり忘れられていた面白い演出が見つかって、演者に話してみると、「ちょっとやってみようか」となることもあります。そもそも古文書の解読の際に、実際の技法に関して役者の方がヒントを下さることもあります。別々の資料にある断片的な記事を比較しながらもとの形を考えるのはパズルを解くようで、時間はかかりますが楽しい作業です。また、現在の演出がけっして絶対的なものでも不変のものでもないということが判ると、作品の読み方も役者の演じ方も現在の舞台から自由になれて、新しい解釈や演じ方を思いついたりする。能は今も変化し続けているんです。

英語版能楽全書のプロジェクト・文理融合研究など

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現在は、能研の仕事の一つとして「英語版能楽全書」編纂のプロジェクトに力を入れています。日本での能楽研究は文献に基づく精緻な研究を積み重ねてきた反面、研究が内向きになりがちでした。特に海外の人たちに向けて最新の研究成果を十分伝えることができていなかったと思います。何年かに一度の国際会議で外交辞令を交わすだけで互いの研究はぜんぜん交わらないというのではなくて、立場や視点は違っても、喧嘩してもいいから、真剣に議論できる関係を作りたかったし、そのための情報交換もしたいと思い、始めたプロジェクトです。歴史、演出、作品内容、理論等々について、日本人の研究者と外国人の研究者を必ず組み合わせて執筆してもらっています。1960年代以降の欧米の思想への影響というような新しい問題意識による論もありますし、能とは今まで接点のなかった演劇関係者や芸術家などにも読んでもらいたいと思っています。なんとか近いうちに刊行できそうです。

他領域との交流では、文理融合研究の試みも繰り返してきました。理工系の技術を使って、文献からだけでは判らない能のヒミツを知りたいと考えて、能の所作の単元を3Dのアニメーションにしてどのように繋ぐと能らしい動きになるのかを分析するという研究などもやりました。今は、理系の研究者の方から接近してくれることも増えました。AIが発達すればするほど、情緒や感覚など、能が得意とする領域への理系の関心が高まってくるのだと思います。ロボットデザインの研究者との共同研究などもありました。まだまだ難しいことも多いですが、うまく行っても行かなくても、そうやって近づいて繋がってみること自体がとても大切なのだと思っています。

  • 能楽研究所の貴重書庫には室町時代・戦国時代の資料も

  • 能研の宝物の一つ『二曲三体人形図』より。世阿弥が描いた能の舞姿

能楽研究所 山中 玲子 教授

東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。東京大学留学生センター専任講師・助教授、野上記念法政大学能楽研究所助教授を経て現職。著書に『能の演出 その形成と変容』(若草書房)、『能を面白く見せる工夫 小書演出の歴史と諸相』(共著。檜書店)、『能楽囃子方五十年―亀井忠雄聞き書き』(共著。岩波書店)、『世阿弥のことば一〇〇』(監修。檜書店)等。