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総長から皆さんへ 第9信(6月1日) 歴史がおもしろくなる

  • 2020年06月05日
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私は中学高校のとき、日本史や世界史といった歴史科目があまり好きではありませんでした。考えるよりも暗記を求められる科目であったし、年号や天皇・将軍の名前や権力の交代について知ることに、知的好奇心がちっとも働かなかったからです。江戸時代についても関心がわきませんでした。その後、法政大学在学中に私が江戸文学に深い関心をもったのは、江戸時代の人たちの「頭のなか」を覗いてしまったからです。第5信で書いたように、大学生のときゼミで発表することになった石川淳の全集を古本屋で購入し、それが江戸文学へ私を導いてくれました。小説では『普賢』、評論では『江戸人の発想法について』『狂歌百鬼夜狂』は、図で示すことができるほどあざやかに、江戸時代の人々が目の前の実在の人間の中に複数の存在を発見し、自分もまた複数の名前とともに複数の「わたし」をもって生きていることを知ったのです。では「わたし」って何? 

それからさまざまな江戸文化の研究をしてきましたが、ちかごろ彼らが人間や自分というものをどうとらえていたか、できるだけわかりやすく書き、編集しました。それが今年3月に刊行した『江戸とアバター』(朝日新聞出版)です。この本は2018年12月に法政大学で開催された朝日新聞主催「朝日教育会議・江戸から未来へ アバターforダイバーシティ」をもとに、その催し物で共演した、ニューヨークのニュースクール大学教授、池上英子(いけがみ・えいこ)さん、落語家の柳家花緑(やなぎや・かろく)さんの3人で作った本です。

池上英子さんは江戸時代社会を研究する社会学者であるとともに、現代の自閉症のかたたちが作るアバターによる仮想世界と、その多様なものの感じ方(ニューロ・ダイバーシティ)の研究をしているかたです。柳家花緑さんは学習障害をもっている落語家で、自ら「ニューロ・ダイバーシティ落語家」と称しています。このふたりのやりとりが、めっぽう面白い。「アバター」が江戸時代の人々の頭の中と深い関係があることを、この本で知ることになるはずです。

この本で私は、前述した『江戸人の発想法について』と『普賢』の図(つまり江戸人の頭の中の構造)を図示しています。さらに江戸時代の価値観とメディアの、あきれるほどの多様さを書きました。この内容は、社会学部で「コミュニケーションの歴史」という講義をおこなっていたときに取り上げていた、いわば「日本におけるメディアの歴史」にあたります。絵巻、ふすま、屏風、掛け軸、扇、うちわ、そして本や瓦版や浮世絵など、生活の道具とメディアが一体化した世界が、日本の「メディアの歴史」なのです。着物もメディアとして機能していました。歴史のおもしろさは、支配者の歴史ではわかりません。興味のあるテーマを決めて「~の歴史をちょっと覗いてみよう」と始めるのが、過去のことや歴史がおもしろくなるきっかけになります。

たとえば『感染症の世界史』(石弘之著 角川文庫)という本があります。ここに書かれているのは、いろいろ詰め込んだ歴史ではなく、まさに「感染症」だけの歴史です。著者は医師ではなく環境問題の研究家です。国連の環境計画にたずさわった人で、アフリカや南米で自らが何種類もの感染症にかかった経験があり、数値や事例の挙げ方が具体的で生々しいのです。この本は2014年に単行本で出され、2018年に文庫化された本ですから、新型コロナの話題は出ていません。しかし読んでいるうちに、今回のパンデミックは起こるべくして起こったのだ、と納得がいきます。私たちの環境と体内には、無数のウイルスがあることがわかります。しかもウイルスは生き物の進化に深くかかわっています。たとえば哺乳動物の胎児は母体にとって異物なのになぜ免疫反応によって排除されないのか。それは一枚の細胞膜によって、免疫反応を引き起こすリンパ球が胎児の血管に入るのを防いでいるからです。そしてその細胞膜は、体内にすむウイルスによって作られたものなのです。膨大な数のウイルスが体内はもちろん、海洋にも大気中にもあり、その種類は哺乳動物だけで約34万種類、生物全体で一億種類を超えるそうです。ウイルスは、遺伝で受け継がれるDNAやRNAとは異なる情報を外からもたらし、生き物を変化させてきたのです。緊急事態宣言が解除されましたね。このコロナ禍が過去の出来事として忘れ去られる前に、知性のなかにウイルスに関する知を入れておくことをおすすめします。もちろん、これ以外にもさまざまなウイルスについての本、免疫についての本があります。

「~の歴史」であれば、お菓子の歴史でもゲームの歴史でも大学の歴史でも、なんでもありそうです。しかしせっかく読書するなら、日本史や世界史よりもさらに壮大な人類の歴史、というのはどうでしょう。ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』(河出書房新社)です。これが、ユーモアに満ちていて、とても面白いのです。私は読みながら何度も笑いました。ホモ・サピエンスだけが、まったく存在しないものについて想像し伝達でき、それを集団で共有できる、ということを基本にして、国家、宗教、交易、資本主義、人権を「想像の産物」として論じています。農業については、人間が小麦を栽培するようになったのではなく、小麦が人間を家畜化したのだ、と語ります。家畜や動物に対する人間の非道を述べることがとても多く、著者の価値観がわかります。ハラリは完全菜食主義者だそうです。仏教についても本質をとらえていますので、座禅など何らかの実践をしているのかもしれません。続編が『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』(河出書房新社)で、これからやってくる社会について書いています。これも衝撃的でした。

『サピエンス全史』には、ヒエラルキーや差別の事例がたくさん挙げられていますので、女性差別の歴史と現在についても、俯瞰的に見えてきます。そのつながりで最後に1冊、女性史の本を紹介したいと思います。高群逸枝(たかむれ・いつえ)著『女性の歴史』です。最初に刊行されたのが1948年という古い本ですが、日本の女性にしか書けない女性史です。政治的社会的権利の主張ではなく、女性が日本社会の中でいかなる存在であったかを論じた文化史であり価値観の歴史です。平塚らいてうがそうであったように、日本の女性解放運動は男性と同じになることを目標とするのではなく、ひとりひとりがどのような人間存在であるべきか、を考える深い人間洞察があります。

歴史の本には通史だけではなく、特定の時代を書いた本もあります。いずれにしても歴史や過去を知ると、今現在の世界と社会の仕組みや習慣や価値観は変えられない絶対のものでも必然のものでもなく、変化し得る、変えられるものであることがわかってきます。

2020年6月1日
法政大学総長 田中優子