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ナショナリズムへの連なりを視野に社会を動かすメディアの力を探る 社会学部メディア社会学科 津田 正太郎教授

  • 2019年07月12日
  • コラム・エッセイ
  • 教員
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戦時期の英国でラジオが果たした役割に着目し、ナショナリズムとメディアの関係を探究する津田正太郎教授。マスコミュニケーション論や政治社会学の観点から、社会におけるメディアの影響力を考究し続けています。

研戦時期の英国ラジオ放送の事例から、メディアが担う役割を考察

専門はメディア研究です。メディアが担う役割や社会への影響力などを、ナショナリズムとの関係に照らし合わせながら追究しています。

学生時代から継続して事例研究を進めているのは、第一次世界大戦の後から第二次世界大戦が終わるまでの英国の社会情勢と、当時の主流メディアだったラジオの関係性です。

当時の英国では1922年に放送が始まったラジオが急速に普及。第二次世界大戦の頃には、国民の98%が聴けるほどのマスメディアに成長しました。

メディアの影響力が増すほどに、情報を発信する側が必要だと考えるものと、受信する側が欲しがるものには隔たりが生じます。発信側は、メディアを使って多数の人を教育しようとする考え方に至ることが多く、受け手側は教育よりも娯楽を求めるため、理想通りにはいかないのが常です。

受け手に支持されないとメディアは力を保てないので、人気に乗じてメディアの役割は少しずつ変化していきます。しかし、大勢の声に迎合したメディアが娯楽の提供だけに流されると、その先で「受け手の関心を集めるためなら、フィクションやフェイク情報をまことしやかに流してもいいのか」という倫理の問題に行き当たります。

歴史が物語る事例を一つの教訓に、メディアの在り方を考え、理念と現実のバランスを見極める知見を身に付けることが大切だと思っています。

メディアとは何か? 体験を通じて学びを得る

法政に来る前には、総務省の外郭団体である財団法人国際通信経済研究所(現・一般財団法人マルチメディア振興センター)で各国の通信サービスや制度などの動向を調査していました。いつかは研究者として、人の姿や思いを感じられる研究に深く取り組みたいと思っていたので、縁あって大学の教壇に立てるようになったことには感謝しています。自由を重んじる大学だけあって、いい意味で「放っておいて」くれるので、明確な目的を持って研究を突き詰めたい研究者には、とてもありがたい環境だと思います。

ゼミでは、実践的な体験学習を通じて「メディアとは何か」を感じとってほしいので、テーマに基づいたグループ研究を促しています。

例えば、現3年生が取り組んでいるテーマは「メディアと東京」。都市のイメージはメディアと強く結びついていて、街の在り方に影響を与えています。特に東京では、主要駅ごとに異なるイメージがかたちづくられてしまうほどです。そこで、新宿や渋谷、吉祥寺など、自分たちが選んだエリアに出向いて、その地域に関わる人たちに話を聞きながら、都市とメディアについての関係性を探究しています。

2018年夏に開催した合宿では、山形県川西町の方々の協力を得て、住民の方に町での暮らしの話を伺いながら、取材した方を対象としたポスター制作に取り組みました。魅力的なポスターに仕上げるために、取材でどのような情報を得たらよいのか。どのように表現すれば、自分たちが伝えたいことが伝わるのか。取材から編集までの一連の作業を自分たちで行うことで、伝える力を実践的に身に付け、メディアが果たす役割の一端を感じとってほしいと思っています。

メディア業界を志す学生たちに知っておいてほしいこと

少し物足りなく思うのは、学生たちはメディアには大きな関心を寄せても、社会問題にはあまり関心を持たない傾向が見受けられることです。メディアの役割や影響力は社会情勢に応じて変動するので、メディアを理解するには、今の社会がどうなっているのかを理解することも必要です。

さらに、メディアに関わる仕事に就きたいと考えている学生には、情報を発信する訓練を積んでおくことを勧めたいですね。近年は、個人でも情報を発信することができるソーシャルメディアが新しいメディアとして勢いを増しています。私自身もさまざまな分野の研究者や新聞記者など、気になる方の情報を追いかけたり、情報を交換したりして、活用しています。

ソーシャルメディアを通じて、文章や映像など自分の作品を発信すると、見ず知らずの他人に楽しんでもらうためにはどうしたらよいのか試行錯誤することになるので、よい訓練になります。

ただし、共感できる声だけに耳を傾けていると、自分にとって都合のいい解釈で視野を狭めてしまうこともあります。自分の見方は一面的かもしれないという意識を持ちながら、メディアに関する知識を「実践知」として活用してほしいと願っています。

鳥の目よりは虫の目を持ち、前へと進む気概をもってほしい

親しみを感じる人からの話は、すんなりと信じてしまい、気に入らない人が発した情報は「違う」と感じてしまう。そうした自分の感情の傾向(バイアス)を客観視する上で、メディア理論の学びは役に立ちます。自分以外の人によって、自分がどのような影響を受けているのかを気付くきっかけになります。物事を都合のいいように解釈していないか、落ち入りやすい落し穴がないか、少し意識するようになってくれたらいいですね。

メディアリテラシーは大切ですが、その言葉に固執することには、少し疑問を感じています。ソーシャルメディアを使い慣れた人の中には、一歩引いたところから全てを見通す評論家のようなポーズを取る人がいます。他人から批判されることを回避し、逆に他人の欠点を指摘して批判を始めたりする。それがメディアリテラシーに長けた姿だと感じて、冷めた目が一歩引いているのがいいのだという発想にはなってほしくありません。鳥の目で空から見下ろし傍観するよりは、物事を多角的に捕らえながら一点に集中し、見極めようとする虫の目を持ってほしいと願っています。

何かを成し遂げたいと思ったら、前に踏み出していく気概、進取の気象を持つことが必要です。矢面に立つことになるので、風当たりが強くなったり、理不尽な反発を受けて批判されたりすることもあるので、勇気は必要になるでしょう。けれど、それを恐れて一歩引いた安全地帯にいるだけでは、いつまでも得られないものもあります。

教え子のある学生は、ずっと前に解散した同好会を復活させ、その後はたった一人でサークル活動を始めました。原稿もデザインも製本も自ら手掛けた小冊子を作り上げると、書店に売り込みに行き、置かせてもらっていた。そんな風にやりたいことに向かって真っすぐに突き進む、たくましい姿を見るとうれしくなって応援したくなります。

社会学者としての自分を振り返ると、道を切り開こうと前のめりになって研究にまい進するときと、冷静になって全体を客観視するために、意識的に後ろに下がるときがあります。矛盾するようですが、研究者としては、どこかで一歩引いた視点がないとやっていられない部分もあるので、自分には必要なスタンスだと自認しています。後ろで学生たちの背中を預かり、前へと送り出せる自分でありたいと考えています。

2018年夏には山形県川西町でゼミ合宿を開 催。ご協力いただいた町民の皆さんの前で活 動報告をした後の一枚

2018年夏には山形県川西町でゼミ合宿を開 催。ご協力いただいた町民の皆さんの前で活 動報告をした後の一枚

社会学部メディア社会学科
津田 正太郎教授

1973年大阪府生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、サセックス大学(英国)文化コミュニケーション研究科メディア学専攻博士前期課程修了。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程単位取得満期退学。博士(法学)。財団法人国際通信経済研究所(現・一般財団法人マルチメディア振興センター)情報通信研究部での調査業務を経て、2006年から法政大学社会学部に専任講師として着任。2016年より現職。