開催日:2025年3月1日(土)
会場:法政大学 大内山校舎Y503
2025年3月1日(土)法政大学大内山校舎Y503にて、法政大学江戸東京研究センター主催で シンポジウム「東京を散歩哲学する」を開催しました。
島田雅彦氏の近刊『散歩哲学のすすめ よく歩き、よく考える』(ハヤカワ新書、2024年)のインパクトを受けて立てた企画です。歴史的に省みることを通し、散歩が、他者や無意識のフィールドワークであり、さまざまな過去の層へのタイム・トラベルであり、より自由に考え、生きるための技芸(アート)であることを浮かび上がらせたいと考えました。
江戸東京研究センター兼担研究員の横山泰子氏(理工学部創生学科教授)の司会のもと、島田雅彦氏(国際文化学部教授、小説家)、伊東弘樹氏(早稲田大学教育研究科後期課程、近代文学研究)、江戸東京研究センター・プロジェクトリーダーの岡村民夫(国際文化学部教授、表象文化論)が講演しました。
島田氏は「チャランポランへの誘い」で、よく散歩をし、散歩を題材にした作家として、シャルル・ボードレール、ニコライ・ゴーゴリ、フョードル・ドストエフスキー 、萩原朔太郎、古井由吉などの事例を紹介し、ご自身が街歩きで親しんできた外国都市としてヴェネツィアのことを語りました。在外研究中に住んだ家やバーカロ(立ち飲み居酒屋)めぐりについて具体的エピソードが披露され、会場に笑いが広がりました。ヴェネツィアで迷いやすいのは複雑な路地のせいもあるが、中心軸であるカナル・グランデが直線的でなくS字に蛇行しているからだろう。最初はやたらと迷ってしまったが、迷う経験を通じて街が身体に浸透し、自由に感覚的に歩けるようになったとのこと。
散歩の際、履き物を変えてみることや、設定したテーマに沿って連想ゲームをしてみること、自分の「ニッチ」を見出すこと、河原で石を投げてみることなどの提案がありました。とくに興味深かったのは、一見孤独な営みにみえる散歩に伴う多様なものとの交流を、繰り返し話題にされた点です。たとえば、居酒屋で地元の人と言葉を交わしたり、路上で道順を地元の人にたずねたりすることは、意義深い交流である。小鳥や道端のタンポポとも交流しようと思えばできるし、廃墟で過去へタイムスリップして、死者と交流することも稀ではない。作家がよく散歩をするのは、歩いている最中に思いがけない刺激を受け、新たな発想が生まれるからだ。島田氏は、人類は散歩をするかぎり進化する可能性がある、講演を締めくくりました。
伊東弘樹氏は「「自分」を問う散歩―国木田独歩『武蔵野』」において、江戸時代以降、武蔵野がどのようなしかたで注目され、1900年代の独歩の「郊外の発見」へ展開したのか、そして独歩がどのような修辞法を通して武蔵野を呈示したのかを緻密に論じました。民友社系作家たちが東京近郊の親しみやすい風景として渋谷に関心を寄せていたという時代背景に促されつつ、独歩は、少年期に住んだ地方の山や清流からなる風景美から脱し、武蔵野の台地を巡る歩き方に馴染んだ。それは、生活と自然、都会と田舎が入り混じる中間に居場所を見出すプロセスでもあったとのこと。作家たちの渋谷住まいの背景に、戸建ての貸家業の隆盛や、官用地・軍用地が多かったことによるハイカラな雰囲気があったとする説は、新鮮でした。
伊東氏は、『武蔵野』の語りが対話形で「自分」と聞き手の「君」が登場し、「自分」と「君」が入れ替わるところもある点に着目し、こうした語りの修辞法は、読者と共同の風景を思い描くこと、つまりは読者を武蔵野好きにさせることに貢献したと論じました。最後に、独歩の「郊外」と、1990年代末に島田氏が表現した「郊外」が交錯する可能性が示唆されました。
岡村は「散歩哲学の先駆者 ニーチェ、柳田國男、萩原朔太郎」において、これら3人およびボードレール、西脇順三郎のあいだに、散歩哲学者ないし散歩詩人どうしの緩やかな系譜を示すことを試みました。19世紀半ば、パリの「遊歩者」ボードレールによって「初めてパリが抒情詩の対象となる(ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』)。1870年代末〜90年代、病のために大学教授を辞したフリードリッヒ・ニーチェは、スイス・アルプスの高原と地中海都市を巡回する「漂泊」を、哲学の詩的表現と結びつける。彼らの「遊歩」と「漂泊」を自覚的に継承し、東京のさまざまなエリアを散歩しまわりながら都市的な抒情詩やアフォリズムや短編小説を書いた重要人物として萩原朔太郎を位置づけました。柳田と朔太郎のあいだに影響関係があったかどうかは不明ですが、関東大震災後の東京西郊外の住宅化を時代背景に、世田谷の小田急線沿線(柳田は成城、朔太郎は下北沢)に自分で設計した洋館を終の住処として建て、そこを拠点に東京各地を散策するようになった、という共通点があります。彼らの散歩が水脈に対する感受性と結びついていることや、そうした感受性がボードレールとベンヤミンにも認められるのも興味深いことです。英国留学の際に『悪の花』『ツァラトゥストラはこう語った』『月に吠える』を持参したという西脇順三郎は、帰国後の1930年頃から柳田と親交し、成城の国分寺崖線や、柳田と歩いた多摩川沿いが彼の文学にとって最重要な場所となりました。西脇は先行する散歩詩人・散歩哲学者の流れを束ね、戦後詩へつなげた詩人といえる、と岡村は結びました。
客員研究員の山﨑修平氏(詩人・文芸評論家)と特任研究員の陣内秀信氏(法政大学名誉教授、建築史・都市史)のコメントを受け、最後に講演者間の自由なクロストークを行いました。
想定を大きく超えた来場数で、会場の座席が足りなくなって補助席を設ける次第となり、ご参加者にご迷惑をおかけしてしまいました。東京を散歩する意義やそのスタイル自体を考えるというイベントは極めて稀なはずですが、多くの市民がまち歩きを実践するこんにち、ニーズが非常に大きいと認識しました。(岡村民夫)