お知らせ

2020年9月卒業学位記交付式 総長告辞

  • 2020年09月12日
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皆様、卒業おめでとうございます。保護者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。

皆さんにとって、最終学年の後半であったこの半年は、特別な半年でしたね。皆さんだけでなく、日本中、世界中の大学生、大学院生が、オンラインで講義を受け、あるいは限られた時間のなかで実験・実習をおこない、学内外の図書館の使用も制限され、フィールドワークや調査や留学に出られないまま、レポートや論文をまとめることになりました。さらに、教員や友人たちと直接の交流や意見交換する機会もないまま、卒業あるいは修了して行かねばならないことを、とても残念に思っておられるでしょう。

しかし、人生における特別な体験は、後の大きな糧になることがあります。皆さんは、この限られた環境の中で、どのような新しい経験をしたでしょうか? どのようなことを考えましたか? 特別な年の特別な経験を無駄にしないよう、少し余裕ができたら、この半年のことをぜひ振り返ってみてください。

私は、オンラインで会議をするたびに、言葉の大切さを痛感しています。「空気を読む」という表現がありますが、オンラインではそれが通用しません。顔は見えて声を聴くことはできても、複数の人たちの微細な顔や声の表情を同時に読み取ることができないのです。明確な言葉と言葉のやりとりのなかでのみ、ほとんどの会議の議長をつとめています。それを考えると、「空気を読む」とはなんと適切な表現だろうと思います。人はその場にいて、比較的多くの人々の感情を、実に微細な要素から同時に受け取っているのです。演劇やコンサートや講演などでも、優れた演奏者や役者や講演者は、それを受け取りながら演技や演奏や発話を微妙に変化させています。それができる人間の感覚のすばらしさに、新たに気付きました。「空気を読む」のは、決して悪いことではありません。空気に同調するのではなく、受け取ったのちに、その空気のなかで、自らの表現をより研ぎ澄ましていくことが大切なのです。しかし、それもできなくなった今日の環境のなかで、私たちはどうやら、コミュニケーションの方法を変えねばならなくなっています。それはとりわけ、言葉に鋭敏になり、言葉を磨くことです。

ほとんどがオンライン授業で新学期が始まったとき、私は「総長から皆さんへ」というページを、大学のHP上に開きました。大学から遠く離れた実家で授業を受けていて、一度もキャンパスに来たことのない一年生、図書館を利用できないでいる学部生や大学院生、アルバイトもできず友人にも会えず、家にいるしか方法がない皆さんに、図書館に入れなくとも本を読む方法から、始めました。その後は、少し身近に感じるかも知れない、作家になった卒業生の本や、元教員、現在の教員の書いた本などを紹介しました。いったん夏休みになり、皆さんからの投稿を募りました。そして秋学期が始まれば、また再開します。

「総長から皆さんへ」を通して私が痛感したことは、本来、大学も私自身も、決して学生の皆さんを学業にだけしばりつけたいわけではない、ということでした。多くの経験をし、今まで出会わなかった国や地域の人々に出会い、面白い教員たちと対話をし、今までやったことのないような活動をする。大学生活におけるそのような行動は、出来て当たり前だと思っていました。それができなくなったこの数か月、そのことの大切さに、改めて気づいたのです。

皆さんの大学生活をふりかえってみてください。入学するとまずガイダンスがありましたね。ガイダンスは文字通り、履修登録のための案内で、教員たちが、履修とは何か、何に気をつけるか、どうすればうまく組み合わせるかなどをガイドします。この時皆さんは、学問の専門家としての教員が、同時に皆さんを助ける存在であることを知ります。さらに皆さんは、多くの在学生たちに迎えられます。在学生たちは自分たちのサークルや部活動を活発にしたいので、懸命にその楽しさを説明します。そしてさらに大きな経験として、ゼミの合宿や、学部のSA、海外ボランティアや、長期の留学が可能でした。これらはすでに皆さんが経験していらしたことです。もしそれらがなく、毎日がただただ勉強だけだったら、学生生活はどういうものになっていたでしょうか? 想像してみてください。今、下級生たちに訪れているのは、そういう経験なのです。

家にいながらにして異なる経験をできるとしたら、読書です。映画やテレビ番組でもいいかもしれませんが、読書ではぼやっと文字を眺めているわけにはいきません。分からない言葉があれば辞書を引き、筋道を常に頭のなかで整理し、場所や季節や時代に不明な点があれば百科事典や年表をめくり、登場人物をありたけの力で想像するなど、読書は論理力と調査能力と想像力をたいへん能動的に使い続けるのです。その結果、とてもタフな頭脳が鍛えられます。タフな頭脳にはいつの間にか文章力が育っていきます。私がかかわっているある私塾では、それをし続けるために「多読ジム」という教室を開いています。読書は筋力を鍛えるように、鍛えることができるからです。ある程度文章力が育ってきたら、読むことと書くことを同時におこなう。つまり読んだらそれについて書く、ということを繰り返します。

さて、この春学期におこなったオンライン授業では、「課題をこなすのがとても大変だった」という声が聞かれました。皆さんのなかにもそういう感想をもったかたがおられるかもしれません。しかし今お話ししたように、その大変な経験は、必ず皆さんの力になっています。部活動や就職活動も、留学経験も、大変だったはずです。しかしもしそれが充実した大変さであれば、いつか辛い記憶ではなくなります。私はちょうど50年前、法政大学に進学しました。進学後は、それまでの人生でもっとも本を読み、文章を書き、勉強もしました。外の語学の学校に通い、アルバイトもしなければなりませんでした。きっとその時の私にインタビューしたら、やはり「大変です!」とため息をついたでしょう。しかし今思い出すのは、その充実感と楽しさです。誰におしつけられたわけでもなく、自分で道を選び、教員にその道を歩む方法を示してもらいながら、やりたいことを存分にやっていたからです。

皆さんもきっと、今まで対面でできたことができなくなり、いらだつこともあったでしょう。しかし同時に、自分のなかに新たな能力を発見したり、できなかったことができるようになったり、心配から解放されたり、ということがあったのではないでしょうか? ぜひその経験を振り返り、言葉にし、自らの糧と能力に、変換して下さい。

さて、この新型コロナ(COVID-19)のパンデミックを経験して、世界も社会も変わりつつあります。この出来事の前から、実は終身雇用や年功序列は日本企業から徐々に消えていました。今後さらに流動性が高まり、中途採用、通年採用がおこなわれ、仕事をする場を変えるのが当たり前になります。日本で働くとは限らず、たとえ自宅に居ながらでも、世界に働く場所が広がります。企業だけではなくNPO、NGO、各種研究組織、そして宇宙空間までもが、働く場所になり得ます。ゆるやかに進んでいたインターネット・システムは、急速に日常生活にまで入ってきました。今や、企業や大学はもちろん家庭の中にも一人一台のパソコンかタブレットがなければ、勉強も仕事もできません。多くの企業の体力が弱ってしまいましたが、この状況のなかで、新しい、思ってもいなかった仕事が生まれるでしょう。

このような社会で、皆さんはこれから生きていきます。もはや今までの「普通の生活」は、どこにもありません。自分の特性と能力を生かし、学び続けられることは何か、これからも追求し続けて下さい。資格を得た方も、特別な専門の学位を取得された方もおられるでしょう。しかしその資格や専門性に加え、ぜひ日々の仕事の中で社会と世界の動きに注目し、学び続けて下さい。世界はどんどん変わっていきます。

法政大学憲章「自由を生き抜く実践知」を、ご存知だと思います。「自由を生き抜く」とは、どのような状況下で生きることになろうと、自らの価値観をもち、一度しかない、そしてあなたにしか実現できない生き方を選び取ることです。「実践知」とは、理想と目標をもちながらも現実を無視せず、現実を熟知しながら、その中で行動をもって社会を作る一員となることです。皆さんはこれから、それぞれにとっての自由を生き抜き、それぞれにとっての実践知を発揮することになります。皆さんがまっすぐ前を向いて自分の生き方を貫いていくことで、この困難な変化を、次の時代の創造につなげることができるのです。

本日皆さんは卒業していきますが、今日から、校友会の一員として、卒業生のネットワークにつながります。未来を切り開くために、ぜひ校友の絆も使って下さい。皆さんがその絆を断ち切らなければ、校友会も大学も、皆さんを応援することができます。これからも法政大学のコミュニティの一員として、一緒に、この変化の激しい厳しい社会を、希望をもって乗り越えていきましょう。あらためて、卒業、おめでとうございました。