OB・OGインタビュー(2016年度)

株式会社東京証券取引所 IT開発部 情報システム部長 坂本 忍 さん

  • 2017年02月14日
OB・OGインタビュー(2016年度)

プロフィール

株式会社東京証券取引所 IT開発部 情報システム部長 坂本 忍 さん

株式会社東京証券取引所 IT開発部
情報システム部長 坂本 忍 さん

坂本 忍(Shinobu Sakamoto)さん

1967年、神奈川県小田原市生まれ。1990年に工学部(当時)機械工学科を卒業後、東京証券取引所に入社。大規模なシステム障害を受けてスタートしたプロジェクトにリーダーとして参画。基幹ネットワークの「arrownet」、「Co-Location」サービスプロジェクトを立ち上げる。

失敗の中にこそチャンスがある 目を背けず、事実から目を離すな

東京証券取引所で、情報システム部長の要職を務める坂本忍さん。社内で大規模なシステム障害が発生し、その後に立ち上がった三つのプロジェクトを同時に担い、システム運用の統合や基幹ネットワークを構築してきました。

理系=システムの考えなくバブル期最後の年に入社

入社当時、現在では電子化によりなくなった立会所で働くこともあった

入社当時、現在では電子化によりなくなった立会所で働くこともあった

東京証券取引所(東証)に入社したのは、1990年4月です。前年の1989年はバブル経済絶頂の年でした。しかし入社式の行われた4月2日に株価は大暴落して、年初からは1万円以上も値を下げていました。新しい人生が開けるはずの入社日に、暗闇が立ち込めた気がしたのを覚えています。

もう一つショックだったことがありました。それは、システム第一部に配属されたことでした。工学部(当時)機械工学科を卒業し、一般には理系出身だから東証では情報システムを担うのがふさわしいと思われますが、自分はそうした考えを持っていませんでした。

就職活動に当たって、同期の友人が各種製造メーカーなどの職種を希望する中で、企画や営業ができる仕事を探し、機械工学科の先輩が東証に勤めていることを知り、会いに行きました。先輩の話から、日本経済の一翼を担う東証に仕事のやりがいを感じて、働いてみたいと思いました。

就職面接で、システム関連部署を希望していないことはアピールしていましたので、希望の配属先ではなかったのですが、その晩はビールを飲み明かして気持ちをリセットして、ショックを引きずらないようにしました。

若手社員が一つの部署にとどまることはありません。その後は株式部、売買審査部、総務部などを経て、2001年には情報サービス部営業担当に異動して株式情報の営業活動も担当しました。靴が磨り減るまで帰ってくるなと言われ、奮闘したことを思い出します。

三つのプロジェクトを同時進行 部下に「一切嘘をつくな」

膨大な量の株式の取引を支えるデータセンターにて

膨大な量の株式の取引を支えるデータセンターにて

2002年にシステム開発担当に異動となり、今に至るまで、システム開発・運用に関わるようになります。東証は1974年に相場報道システムを稼働させるなど、以前からIT(情報技術)を活用したシステム開発に取り組んでいましたが、システム部門の社内評価はそれほどでもなく、市場部門や上場部門の企画畑が評価される風潮がありました。

そうした中で、2005年11月から2006年1月にかけて三度の大規模なシステム障害が発生して、金融取引市場に大混乱を起こしました。このシステム障害は、東証にとって、システムの重要性を再認識する契機となり、同時に私の会社人生にとっても転機となりました。

政府の後押しもあって、次世代売買システム開発のプロジェクトが立ち上がり、東証もシステム運用部門を新たに設けることになり、2007年にITサービス部へ配属になりました。

具体的には、当時バラバラに行っていたシステム運用を統合するプロジェクトを担当しました。当時39歳で、課長になって3年目のことでした。政府を巻き込んだ社内改革やプロジェクトの立ち上げなど、渦の中に巻き込まれながら、腹をくくって取り組みました。

当時、東証のシステムが抱える問題は山積みで、証券会社やお客様などから叱責を受けることが多かったのですが、部下には「一切嘘をつくな」と言いました。目をつぶらない、事実を見る、そしてその対策を考えることを言い続けました。とにかく、市場からの信頼を回復しなければならなかったのです。

さらに翌2008年からは、証券会社などと接続するネットワーク開発も担当しました。それが2009年に稼働した日本の金融取引市場の基幹ネットワーク「arrownet」です。2010年には次世代売買システムの「arrowhead」が稼働しています。

その間にもう一つ、東証のデータセンター内に証券会社などのシステムを設置する場所を提供する「Co-Location」サービスのプロジェクトも担当しました。同サービスも2009年から提供を開始しています。

法政で培った最後までやり抜く心持ち

三つのプロジェクトを進めてきた約5年間は、まさに死にものぐるいで働いてきました。

東証には、法政大学の卒業生の集まり「富士見会」があります。若い頃から同窓の先輩や同僚には、公私ともにお世話になってきました。そして、三つのプロジェクトを完遂できたのは、機械工学科や陸上部の先輩や仲間、後輩たちとの交わりの中で自然と培ってきた、最後までやり抜くという心持ちがあったからだと思います。陸上競技でも、最後の1mで棄権したら完走したことにならないですよね。

チャンスは失敗の中にあります。若い頃から「おまえのプロジェクトはいつも失敗する」と言われていました。しかし、失敗を検証し、改善して、次につなげてきました。

これから社会に飛び立つ後輩たちに言いたいのは、今の貴方は360度の全方位を見わたすことができるということです。チャンスは無限大です。しかし経験を積めば積むほど、仕事での専門性が増してその角度は狭まります。今の私は10度くらいの角度しかないかもしれない。しかし、全方位を見わたすスキルを持っていれば、目の前にあるちょっとしたことでも、それが失敗したことでも、チャンスとして呼び込むことができるはずです。

失敗を恐れず、たくさんの経験を積み、人間としての幅を広げる人生を送ってほしいと思います。

(初出:広報誌『法政』2016年度1・2月号)