2019年度

7月

2019年度

7月31日(水)

常務理事会を開催した。役員ミーテイングをいつもより長くおこなった。

総長日誌は8月いっぱいお休みになります。9月2日からの日誌を、その次の週に掲載し再開します。8月は文科省その他の会議等に出るほか、予定では3冊の本を完成することになっていますが、さてどうなっていますでしょうか。

7月30日(火)

研究所長会議および、研究総合本部会議を開催した。

その後、三菱グループの方がいらして、大学1、2年生の教育に関する、本学の取り組みについてヒアリングをしていった。次世代の育成をはかるプロジェクトを発足するという。

それからは引っ越し作業だ。とは言っても空調工事のために2ヶ月間部屋を移るだけである。これをきっかけに捨てるべきものは捨て、すっきりした。

7月27日(土)

法政大学国文学会で、私の大学院時代の師である廣末保氏の生誕百年を記念する講演とシンポジウムがおこなわれた。そのために元文学部教授の日暮聖さんの編集で「廣末保の仕事」という冊子が作られ、それをもとに「廣末保の仕事」という演題で講演と質疑応答をおこなった。懇親会にも出席し、久々に日本文学科の方々とお話しできて、大変充実した時間だった。

7月26日(金)

付属三校長とともに学校長会議を開催した。
大学通信がWEBと紙媒体で刊行している「卓越する大学」から、今年度も、次の入試に向けてインタビュ-を受けた。
日本経済新聞に8月中旬から掲載する「こころの玉手箱」の4回連載に掲載する「もの」の撮影と肖像撮影をおこなった。
東京都の職員が面会にいらして、オリンピック後の東京構想についての意見を求められた。外濠の水質問題解決をはじめとして、水都として整備することによる高温抑制や観光開発、郊外の高齢化による集合住宅の空家を大学生・留学生の住居確保に結びつける方法その他、教育にもわたり多くの意見を述べさせていただいた。

7月25日(木)

HOSEI2030キャンパス再構築特設部会、学部長会議を開催した。

7月24日(水)

常務理事会、予算編成委員会、HOSEI2030運営会議を開催した。

7月23日(火)

HOSEI ONLINE対談をおこなった。今回のゲストは本学卒業生で、2018年大佛次郎論壇賞を受賞した小松理虔(こまつ・りけん)氏である。受賞した著書は『新復興論』。福島県いわき市出身の著者が、いつの間にか防潮堤ができ、町が土の下に埋められてしまった復興の姿を目の当たりにして、自ら本来の復興である「地域づくり」に取り組んでいる、その記録である。新しい言葉が次々に現れ、そのたびに目の前が開けていくような快著だ。小松さんは本学在学中に成都大学に留学し、中国語を本格的に学んだ。卒業後、福島のテレビ局に就職するが飽き足らず、在学時代に修得した中国語を生かして上海で編集の仕事を始める。その小松さんが日本に帰ってきて、東日本大震災の日を迎えたのである。それからは地元企業で働きながら地域づくりの実践を始める。志をもって自分の道を切り拓いていく自立心、粘り強く関わりを創り続ける柔軟な強靭さは、まさに法政のフロントランナーだ。

日本私立大学連盟常務理事会、理事会がおこなわれた。

7月21日(日)

天城学長会議2日目。分科会報告と全体討論の議長を、筑波大学の永田恭介学長とともに務める。例年どおり1分ずつの発言時間を守ってもらうのが大変なくらい、自由で活発な意見が出尽くす。

7月20日(土)

天城学長会議当日である。今年のテーマは「日本の産業と大学教育」である。基調講演は、段ボールを発明して世界に広めた会社である、レンゴー株式会社代表取締役会長兼社長で、関西生産性本部会長・関西経済連合会副会長である大坪清氏だった。特別セッションには、IBMフェローである浅川智恵子さんが来て下さった。浅川さんは視覚障がい者で、情報技術者、工学博士として、「日本アイ・ビー・エム東京基礎研究所」で視覚障がい者のアクセシビリティ実現のための研究をなさっておられる。IBMの最高技術職であるIBMフェローでもあり、数々の賞を受賞し、2013年には紫綬褒章を受章なさっている。カーネギーメロン大学客員教授でもあり、カーネギーメロン大との共同研究で、視覚障がい者のナビゲーション向上をめざす「Nav Cog」というアプリを発表した。全米発明家殿堂に、日本人女性として初めて殿堂入りをしている。私は日本学術会議の外部評価委員としてもご一緒しているが、視覚障がい者が自立して行動できるよう、数々の発明を心から楽しみながらなさっている姿を見ると、ダイバーシティとはまさに、異なる感性と共存しながら、新しい展開をともに拓いていくことなのだと実感する。
分科会のサブテーマは「就職」「地方創生」「大学類型化」「労働生産性」だった。分科会の座長を務めた。

7月19日(金)

本日より、伊豆にあるIBMの天城ホームステッドにおいて、全国の国公私立大学学長有志による議論の場である「天城学長会議」が始まった。世話役として前日入りをし、打ち合わせと懇親会に出席した。

7月18日(木)

全学広報戦略会議を開催した。
夜は、2018年中に各種の受賞表彰を受けた教員たちをお祝いする祝賀懇親会を開催した。例年、私はこの祝賀会を楽しみにしている。今年も26人の方々の受賞表彰が祝賀会で紹介された。受賞表彰教員たちにお願いして、受賞した研究のテーマと内容を紹介する簡単なレジュメを作っていただくのだが、それを参照しながら、皆さんの研究紹介スピーチを聞くのが、大変刺激的で面白い。今年も例年どおり、充実した祝賀会となった。出席してくださった皆さん、ありがとうございました。

7月17日(水)

常務理事会と予算編成委員会を開催した。

7月16日(火)

本学の卒業生たちの組織である一般社団法人法政大学校友会より、本学のHOSEIミュージアム開設準備に対して多額のご寄付をいただいた。そこで本日、感謝状の贈呈式をおこなった。校友会はSGUに対してもそうであったが、常に大学の新しい試みをご支援してくださる。本学を支える極めて重要な柱である。心より感謝申し上げたい。また、ミュージアムを卒業生たちの誇りの醸成にも役立たせたい。

7月13日(土)

例年の集英社「開高健ノンフィクション賞」選考会が行われた。最終選考4作品はそれぞれ全く異なる個性のある作品で、比較するのは容易ではない。例年どおり、最後は言葉を尽くしての議論となった。受賞作品の発表はこれからだが、「ダイバーシティ宣言」を出した私自身が、自分の中の偏見と向き合う作品であった。

7月12日(金)

外部企業の役員会に出席。執務室に戻って各種打ち合わせ。

7月11日(木)

午前中に、ミュージアム開設準備委員会の打ち合わせ、ミュージアム開設準備募金委員会、ミュージアム開設準備委員会を開催し、午後に、グローバル戦略本部会議、学部長会議を開催した。

7月10日(水)

常務理事会、定例理事会を開催した。いつも議題が多く、3時間かかることはよくある。この日は理事会が3時間を越したが、それでも時間が足りなかった。

7月09日(火)

大学基準協会理事会が開催された。大学基準協会は大学を会員とし、自主的に評価活動をおこなう団体である。その役員は29名の理事と2名の監事で構成されている。そのなかから会長、副会長のほか、国立大学から1人、公立大学から1人、私大連加盟校の私大から1人、私大協加盟の私大から1人の4人の常務理事がいる。この日、永田恭介筑波大学学長の会長続投が決まり、常務理事であった関西学院大学の村田治学長が私大からの副会長となり、私が、私大連加盟校からの常務理事に指名された。今期の常務理事会が考えておくべき重要課題が提案された。

7月06日(土)

「後援会 鳥取・島根県支部20周年記念 支部総会・父母懇談会」がおこなわれた。挨拶と、今までの役員への感謝状贈呈のあと総会、さらに記念講演をおこなった。各地方で講演をおこなう際は、後援会のために用意した法政大学の近況についてのお話しとともに、その地域についての歴史や文化に関して、私が思うところや訪問の経験をお話しする。この日は、1996年に鳥取県の青谷にある山根の和紙工房で和紙制作の経験をしたこと、そのとき和紙職人の方が集めておられた倉吉絣(かすり)を見せていただいたこと、そして柳宗悦がこの地を訪れてどのような影響を与えたかなどを、写真を使ってお話しした。私にとっても鳥取は思い出深い地なのである。

懇親会では、倉吉市長・石田耕太郎氏と親しくお話しできた。市長の奥様は、絣の研究者である福井貞子さんが主宰する倉吉絣保存会に属し、絣を実際に織り続け継承しておられるという。福井さんは倉吉市在住で、法政大学出版局から『絣』『木綿口伝』『野良着』『染織』などの本を出版なさっていて、私も多くを学んだ。今回は保存会を訪問できなくて残念だった。機会があれば保存会で終日、織っていたい。副市長の山﨑昌徳氏が校友ということもあり、石田市長は懇親会の最後までお付き合い下さった。校友である松江市のフリーアナウンサー森山悟子氏が見事に司会進行して下さった。なお会場であり宿泊場所でもあったホテルセントパレス倉吉は、後援会の名越宗弘氏夫妻が経営している。ここにはお名前を書ききれない多くの方々にたいへんお世話になった。感謝申し上げたい。

7月05日(金)

「後援会 鳥取・島根県支部20周年記念 支部総会・父母懇談会」に出席するために、鳥取に向かった。この日は、後援会の役員の皆様と会食し打ち合わせをおこなった。

7月04日(木)

キャンパス再構築特設部会に、オブザーバーとして出席した。
またこの日、体育会部長・監督会があり、日ごろの感謝をお伝えしたく思い、ご挨拶させていただいた。大学スポーツはプロスポーツと異なり、学生たちが「学ぶ」ためにある。スポーツによって考え、自らをマネージメントし、チームの中での役割を認識しつつチームワークを経験し尽くす。学びたいという意思を持つ選手を、勝敗を理由に排除することなく、適切な場を与えて欲しい。勝負ごとでもあるスポーツの世界で多様な学生に配慮することは大変なご苦労だと思うが、教職員も同様に、多様性への配慮という課題に向き合っている。ともにその実現を目標にしたい。

7月03日(水)

常務理事会を開催した。

7月01日(月)

台湾の淡江大学の学長が代わられ、新しい葛煥昭学長をはじめとする大学関係者が来校なさった。淡江大学とは2008年から学術一般協定、2014年より学生交換協定を結んでいる。日本台湾教育センターの日本事務所は市ヶ谷キャンパス内にあり、法政大学台湾事務所は淡江大学内にある。そのようなかかわりがあり、たびたび来校してくださっている。淡江大学は、台湾でもっとも古い私立大学である。