2019年度

5月

2019年度

5月31日(金)

朝から午後まで、文科省で大学設置・学校法人審議会大学設置分科会の審議をおこなった。その後、東京ミッドタウンにあるサントリー美術館で、企画委員会が開催された。6月2日までの会期で開催されていた「information or inspiration?—左脳と右脳で楽しむ日本の美」は、たいへん面白かった。通常は展示品についてあまり多くの情報をお見せできないのが展覧会だが、この展示では、information の空間とinspirationの空間とを分けることで、情報は多面的となり、見せ方は縦横になった。展示品は多くはなく、日本美術をよく知ってる人には物足りなかったと思うが、敷居を高く感じている人々には、とても身近になる展示だったと思う。今までにないほど若者が多く、いつもと全く異なる空気だった。日本美術はもっと現代美術的な見せ方ができるのではないか、という可能性を感じた。カナダ生まれの佐藤オオキさんの事務所「nendo」が共同企画した展覧会である。

5月30日(木)

各種の打ち合わせがおこなわれた。学部長会議を開催した。

5月29日(水)

常務理事会、臨時理事会、評議員会を開催した。

5月28日(火)

サントリー芸術財団の理事会が開催された。その後、日本私立大学連盟主催の「私大連フォーラム2019・高等教育政策と公財政支援」があり、講演をおこない、さらにパネル・ディスカッションのコーディネーターを務めた。講演は、財務省主計局次長・神田眞人氏による「私立大学への公財政支援のあり方と課題」のあと、私から、昨年9月に提言した「高等教育政策に対する私大連の見解」についてご説明し、さらにそのあと、私大連教育研究委員会委員長で同志社大学学長補佐であられる圓月勝博氏より、「私立大学における教育の質向上に関する取り組み」を話していただいた。その後、中央教育審議会会長で日本経済団体連合会(経団連)審議員会副議長・教育問題委員会委員長、第一生命ホールディングスの会長であられる渡邉光一郎氏よりの問題提起を受け、渡邉氏、神田氏、そして鎌田薫・日本私立大学連盟会長、上智大学学長で、日本私立大学連盟常務理事の曄道佳明氏によるパネル・ディスカッションをおこなった。私はそのコーディネーターを務めた。詳細は後に私大連のHPで公開される。題名のとおり公的財政支援が中心のテーマであったが、さらなる財政支援をする上で問題になるのが、これからの社会が求める能力をつけることができる大学の「質」であり、その「質」について、および、その成果の見える化、公開する上でのランキングのありかた等がむしろ議論の中心となった。たいへん充実した時間だった。

大学に戻り、外濠の水循環再生について、東京都にどう申し入れをおこなうかについて、本学デザイン工学部や中央大学の先生方と打ち合わせをおこなった。

5月26日(日)

5月とは思えない炎天下のもと、10年に1度という松江市の祭、「ホーランエンヤ」を拝見した。「ホーランエンヤ」とは、370年の歴史のある松江城山稲荷神社式年神幸祭の通称で、「豊来栄弥」「宝来遠弥」の意味らしい。大阪市天満宮の天神祭、広島県厳島神社の管絃祭とともに日本三大船神事の一つで、多くの船が大橋川と意宇川で行列する壮大な祭だ。まず最初の日に御神霊が城山稲荷神社から阿太加夜神社へと川を移動し、それを渡御祭(とぎょさい)という。阿太加夜神社で7日間の祈とうの間に、中日祭をおこない、さらに逆の道順で帰っていく還御祭(かんぎょさい)で終わる。その還御祭を拝見することができたのだ。まず神官が乗った船が通り、水上の道の清めをおこなう。その道を、神霊を乗せた屋形船が通っていく。

その後、5つの集落がそれぞれ、揃いの衣装で漕ぎ手を揃えた櫂伝馬船(かいでんません)を飾り立て、何艘もの曳舟や供舟を伴って、水上を行列していく。櫂伝馬船の舳先には、歌舞伎の衣装と化粧をほどこした青年が、櫂に見立てた剣で剣舞を舞いながら船の漕ぎ手たちを先導する。船尾の四斗樽の上では、女形姿(おやますがた)の若者が大きく采(ざい)を振る。その間、太鼓と唄が囃しを続ける。言わば、山車の行列が水上でおこなわれているわけだが、過ぎ去った船もこれからくる船も全て一望できるところが、道路上とは異なる。ご多聞に漏れず、担い手の不足に苦慮しながらそれでも継続している。すべてを采配して下さり、10年に一度の希な機会を用意して下さった松江市の職員の皆様、そして本学評議員の栂野洋司氏に心より感謝します。

5月25日(土)

松江市に出張した。松江市は本学初代総理・梅謙次郎の出身地であり、このたび、連携・協力協定を締結することになったのである。昨年の10月、松江市の松江歴史館で開催された「明治 150 年記念講演会」で、私は「法政大学にとっての梅謙次郎」という講演をおこなった、その際、松浦正敬市長と懇談し、松江市側から協定締結を要請されたのである。その後、本学内での検討と、松江市の担当職員の熱意ある実施への手続きを経て、今回の協定締結に至った。

梅謙次郎は、本学が明治35(1902)年に専門学校令により学校名を法政大学とした際の初代総理(校長)である。そして松江市の名誉市民でもある。昨年2月に協定を締結した本学創設者の出身地、大分県杵築市と同様、他の自治体にはない本学とのつながりがある。松江市とは今後、地域づくり、地域・教育・文化振興、教育研究、そして梅謙次郎に関する事項などを中心に連携・協力を図っていく。私は国際日本学インスティテュートの留学生を連れて何回か訪れている。今後も、英語学位プログラムの大学院生のインターンシップ先、外国人留学生のフィールドワーク先としての受入れが計画されている。

5月24日(金)

学校長会議を開催した。午後は、今年度、各地で開催される後援会で上映していただくためのメッセージDVDを収録した。

5月22日(水)

常務理事会と常務理事会懇談会を開催した。

5月21日(火)

例年おこなわれる自民党法友会が開催された。マスコミ関係者や省庁の方々も集まる。まだまだ法政大学出身の国会議員は少ないという。政治に関心がある学生が多いが、立候補は考えないのだろうか?

5月19日(日)

TBSのサンデーモーニングに出演した。最初と最後は、米中貿易戦争と覇権争いが、中心的な話題だった。イギリスの産業革命までは、中国も世界の技術先進国のひとつだった。だからこそ、世界は中国と取引するための銀を求め、アジアに船を出し、グローバル化を果たしたのである。今起こっていることは、5Gをめぐる技術の戦いであって、すでに多くの特許を手にし、東南アジア、ヨーロッパ、アフリカのネットワークを握っている中国のファーウェイが、これからの新しい情報社会の中心になるのではないか、と私はみている。5Gによって構築されるグローバルネットワーク社会は、ビッグデータによって構築されるので、データ収集と人権の両立、データの集中と市場の公正さのルール作りが急務だ。貿易戦争などやっている場合ではない。いま大国に求められるのは、5G時代に人間にとってのリスクを回避する国際ルールを、ともに作り上げることである。最初のトピックと最後の「風をよむ」の両方を合わせれば、そういうことを言いたかった。

番組終了後、急いでTBSを出て大学に向かった。10時過ぎには、法政大学でおこなわれるEuropean Higher Education Fair 2019(欧州留学フェア)のために、駐日EU大使の Dr. Patricia Flor、駐日ドイツ大使のDr. Hans Carl von Werthen、駐日アイルランド大使のMr. Paul Kavanagh、駐日ルーマニア大使のMs. Tatiana Iosiper、そしてフランス大使館や報道関係者の方々が到着するのである。皆さんと名刺交換をして挨拶をかわし、さったホールに移動して、私とEU大使が開会挨拶をおこなった。ヨーロッパの行事であるが、すべて英語でおこなわれた。さったホールにはぎっしりと各大学のブースが置かれていて、それぞれの土地の案内や大学の案内が興味深い。Dr. Patricia Flor大使と一緒に一巡して終わった。

午後は、江戸東京研究センター主催の、磯崎新特別講演会が開催された。このたび、建築家のノーベル賞とも言われるプリッカー賞を受賞され、22日にパリで授賞式があるとのことだが、その直前に本学で講演して下さることになった。パリで上映予定であった映像も、懇親会で上映した。デザイン工学部の教員と学生のセンスでインスタレーションしたこの日のスカイホールは、見違えるように素敵だった。様々な意味で、特別な講演会となった。

磯崎さんとは30年ほど前に初めておめにかかり、その後、幾度かご一緒している。法政大学にも、同じ建築家で本学の教授であった大江宏先生にも、敬愛をもって下さっていて、すでに2回、講演して下さっているという。この日のテーマは「東京は首都足りうるかー大都市病症候群」という題名だ。テーマは「皇居」であった。フランスの哲学者ロラン・バルトは『表徴の帝国』で、「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である」「その中心そのものは、なんらかの力を放射するためにそこにあるのではなく、都市のいっさいの動きに空虚な中心点を与えて、動きの循環に永久の迂回を強制するために、そこにあるのである」と書いたが、その表現は日本に滞在中、そばにいた磯崎さんの影響があったのだと知った。磯崎さんの著書『始原のもどき』『見立ての手法』『建築における「日本的なもの」』など、日本論からは、私も大いに影響を受けている。

詳しいことは後に出る報告で読んでいただきたいが、磯崎さんによって、ブラックホールのように何もかもを飲み込む中心としての東京が、沖縄と京都に分散されて解き放たれ、ようやく日本列島が呼吸しはじめたような気がした。シンポジウムには政治学者の原武史さん、東京藝術大学の高山明さん、ラッパーのダースレイダーさんが加わった。ダースレイダーさんによって引用の言葉がくっきりと浮かび上がり、高山さんによって磯崎さんの空間論が「演劇として」見え、原さんによって東京、京都、沖縄の新しい三都をつなぐ「動き」が見えるようだった。三種の神器が列車で運ばれていくその不思議な情景が、目の前に見えた。現代芸術のギャラリーを経営する辛美沙さんとともに沖縄に移り住んだ磯崎さんは、日本を見る新しい位置を視野に入れたようだ。

5月17日(金)

外部企業の取締役会があった。その後、「あしなが育英会」の方々が来訪。
夕方からは本学の卒業生で経営者になっている方や、企業の役員などから成る「法政財界人倶楽部」で、本学のブランディングの方法について、お話しした。大学憲章そのものにも、憲章を作ったプロセスやそれを浸透させていく努力の継続などにも、関心をもって下さった。

5月16日(木)

大学・付属校協議会、学部長会議、学部長懇談会を開催する。あいまにサントリー文化財団と、セミナーの打ち合わせをおこなう。

5月15日(水)

常務理事会、役員ミーティング、理事会、HOSEI2030運営会議を開催した。そして後援会の役員交代にともなう新旧役員の顔合わせがおこなわれた。

5月14日(火)

日本私立大学連盟理事会が開催された。

5月13日(月)

HOSEI2030関連の説明会第3回目を開催した。

5月10日(金)

外部企業の取締役会があった。その後、今年の海外における本学卒業生との会合(法政ミーティング)の打ち合わせ、欧州留学フェアにおける各国大使たちとの交流について、さらに、三鷹ネットワークからの例年の報告など様々な打ち合わせののち、監事監査報告を受けた。そして、HOSEI2030関連の説明会第2回目を開催した。

5月9日(木)

HOSEI2030関連の説明会第1回目を開催した。その後、マスコミ関係者向けの懇談会、交流会を開催した。懇談会では私が本学の飛躍とブランディングの方法について話し、理系の4人の先生がたが、それぞれの研究について話した。伊藤一之理工学部教授の「生物の特徴を生かした動きをするロボット」は、人工知能がなくとも、生物がすでに持っている柔軟な運動機能とセンサーだけで、ロボットがどれほど微細で見事な動きができるかを見せてくれた。江戸時代のロボットはまさに職人がそのようなものを作っていたわけで、ロボット工学には高度な職人の能力が必要なのだと知ると同時に、人も生き物も、脳だけで生きているわけではない、と改めて気がつく研究だった。渡邊雄二郎生命科学部准教授の「汚染土壌中のセシウムの分離と固定化に関する研究」は、原子力発電所の事故から漏れたセシウムを回収する方法にもなる研究で、まさに社会の課題解決につながる研究である。溝渕利明デザイン工学部教授の「コンクリート崩壊 社会インフラの老朽化・危機にどう備えるか」も、全世界に存在する老朽化したコンクリートがもたらす大規模事故を防ぐ、重要な研究だ。20世紀の世界は、コンクリートで生活を作ってきた。頑丈で恒久的に見えるが、実は丁寧なメンテナンスが必要なのである。

小池崇文情報科学部教授の「食のディジタル化」は、味覚や嗅覚の情報化がいかに難しいかを知ると同時に、人間のその感覚はじつに高度で複雑なものだと理解できる研究だった。
いずれの研究も非常に面白く、いつまでも聞いていたい。例年いらしてくださる記者の方々からもたいへん好評だった。法政大学の研究者たちは、社会の課題を意識した研究が多く、それが同時に、今の価値観や常識を相対化する研究になっている。理系ブランディングは、やりがいがありそうだ。

交流会では多くの新聞記者にまじって、法政大学新聞の記者が来てくれたことが、とても嬉しかった。大学新聞は、1960〜70年代にいったん途絶えたものがほとんどだという。途絶えたままになっていたり、その後は大学が主導して刊行しているという。法政大学新聞は1924年に創刊され、常に学生によって作られ、継続している。大学に対する批判精神も持ち続けている。「今や日本の大学のなかで稀な存在だ」という記者の言葉に、法政大学の学生がもっている可能性の大きさを改めて感じた。

5月8日(水)

常務理事会と、常務理事会懇談会を開催した。事務職員の昇進発令をおこなう。今年度から繁忙期の4月異動を避けて、6月に人事異動を行うことに改革したためだ。月末の私大連フォーラムの打ち合わせなど続いた。