2018年度

8月

2018年度

8月29日(水)

放送大学の理事会、評議員会が開催された。今まで日程上、なかなか出席できなかったが、ようやく出席。
夜は、江戸東京研究センターの横山泰子所長やメンバーと一緒に、来日中の、ロンドン大学タイモン・スクリーチ教授と食事。タイモンが大学院生だったころから知っている。長い間の研究者仲間と久々に話すのは楽しい。

8月26日(日)

後援会熊本県支部30周年の総会、父母懇談会、そして記念講演があった。記念講演会は熊本でもやはり、卒業生組織である校友会とともに一般公開のかたちで開催して下さった。熊本の講演会は、特別なものとなった。社会学部の卒業生である、思想史家で評論家の渡辺京二さんが、対談に応じて下さったのである。渡辺さんとは2011年に横浜で対談をおこなった。東日本大震災の2日後の3月13日、『黒船前夜』で大佛次郎賞を受賞なさった渡辺さんは、横浜開港記念館に講演に来られる予定があり、その後に私との雑誌の対談が企画されていた。講演と対談が実施できるかどうかあやぶまれたが、無事に横浜の隣花苑で実施され、たいへん面白い対談となった。

その翌年、2012年8月に熊本で、当時石牟礼さんが暮らしていらした医院の建物の一室にお邪魔し、2日にわたって石牟礼道子さんとの対談がおこなわれた。対談のあいだ、石牟礼さんの向こうに、台所に立つ渡辺さんの後ろ姿があった。石牟礼さんが体調を崩されてからずっと、渡辺さんは石牟礼さんが今年の2月に亡くなるまで、支え続けたのである。石牟礼さんの『苦海浄土』が世に出たのは、渡辺さんという編集者がいたからである。以前から法政オンラインにぜひ出ていただきたかったが、渡辺さんは熊本を離れようとはなさらない。それで今回は熊本で法政オンラインの収録をおこない、さらに、一般公開講演会の半分の時間で、渡辺さんとの対談を実現したのである。ぜひ10月1日公開予定の法政オンラインを見ていただきたい。

8月25日(土)

後援会鹿児島県支部20周年の総会、父母懇談会、そして記念講演があった。記念講演会は鹿児島でも、卒業生組織である校友会とともに一般公開のかたちで開催して下さった。この講演会には、鹿児島実業高校の書道部の生徒たちが参加し、あとの懇親会では、書道パフォーマンスを「自由と進歩」の文字とイメージで演じて下さった。後援会の皆様、そして鹿児島実業高校の皆様、ありがとうございました。後ろ髪をひかれる思いで、懇親会を中座して熊本へ移動。

8月24日(金)

本学保護者の会である後援会の、鹿児島県支部20周年記念行事のために鹿児島に入った。宿泊場所は「城山町」で、ここは西郷隆盛が自決した西南戦争・城山決戦の場所である。江戸時代には鹿児島城(鶴丸城)があった。到着日には、保護者の会である後援会鹿児島県支部の役員の方々と食事をし、懇親を深めた。

8月21日(火)

機関誌「横濱」のために、横浜市の林文子市長と対談した。林さんは長いあいだ、BMWやダイエーなど企業の代表取締役を経験してきたかたである。「同じような境遇だったのですね」と言ってくださった。ふたりとも下町の長屋生まれである。横浜の思い出を様々お話しすることができた。

その後、総長室で茨城県つくば市にある茗渓学園の生徒さんのインタビューを受けた。江戸時代の循環や価値観についてどう考えたらよいか、どう伝えたらよいか、といった内容である。自らが興味をもち、面白い素晴らしいと思ったことを、友人たちに伝える方法について悩んでいたという。確かに、同じことを感じてもらうのは難しい。しかし自分自身が心から面白いと思って語ることは、必ず他の人の興味を惹く。関心もなく面白いとも思わず話す研究者や教員の話ほど、退屈なものはない。

8月20日(月)

校友で評議員の竹石松次氏(新潟放送会長)のご案内で、彌彦神社を見学した。宮司代務者の渡部吉信氏は、法政大学出身なのである。彌彦神社では毎年1月に、農事、漁労、造林、天候などを占う粥占神事と炭置神事がおこなわれている。その記録を、竹石さんの新潟放送が初めて映像に残した。新潟県には、学生たちが合宿でお世話になってきた。彌彦神社はその新潟県を代表する最大の神社である。そこで、彌彦神社には個人として正式参拝(ご挨拶)をした。

私は明神さん(神田明神)で講演や対談をするときにはそのつど正式参拝をおこなってきた。山王さん(日枝神社)の祭にも、祭の列に参加している。これらはそれぞれの土地の鎮守だからである。彌彦神社は出雲大社と並ぶその土地の(つまり伊勢神宮とは異なる来歴をもった)、歴史上きわめて重要な意味をもつ神社だ。地域の多様性は歴史の中にある。尊重し敬意を払うべきものだと思っている。ちなみに本学の隣にある靖国神社は地域の神社ではない。国のために死んだ国民の霊を弔うために、明治天皇によって作られた近代国家神道の神社である。ここには公式にも非公式にも参拝したことはない。神社は同じではない。どの神社にどういうかかわりを持つか持たないか、それは自分にとって信仰なのかそうでないのかは、よく知って考え、自分で決めることである。

8月19日(日)

本学保護者の組織である後援会の新潟県支部50周年記念行事が開催され、総会、懇談会に参加した。また、卒業生組織である校友会とともに企画して下さった一般公開講演会で講演をおこなった。夏休みで帰省中の学生も参加し、たいへん賑やかな会合となった。

8月12日(日)

札幌滞在中であった法学部の宮﨑伸光教授が車を出して下さって夕張市に入った。メロン畑の続く市の南を通り、かつて炭鉱町のあった市の北に至る。リゾートホテルのマウントレースイで鈴木市長夫妻と待ち合わせをしたのち、鈴木市長ご夫妻が、リニューアルした石炭博物館を自ら案内して下さった。
採掘量の変遷と人口の変遷が壁全面に描かれ、夕張で撮られた動画と静止画が大量にアーカイブされている。リニューアル前は、炭鉱の仕組みや組織などを詳細に展示してあったというが、今は市の歴史的全体像が見えるようになっている。鈴木市長は、そのアーカイブ機能を重視している。市民が持っている写真をこれからも受け入れ、保っていく施設にしていくべきだと考えているのだ。坑道展示や模擬坑道はリアルなだけでなく、ツルハシで石炭を掘り出していた時代から、ドラムカッターの時代へと、採掘技術の変遷もわかるようになっている。しかし技術は進化して安全にはなっても、石炭そのものの需要がなくなったのだ。まだごく一部の石炭しか採掘しておらず、大量の石炭が日本には眠っているという。

ゆうばり屋台村、通称バリー屋台というものがある。6軒の庶民的な店が並んでいる。ここでお弁当とメロンの昼食をご馳走になった。今年は不作だと聞いたが、それでも夕張メロンは格段に、味と香りの質が高い。
映画「幸福の黄色いハンカチ」のロケ現場となった場所が保存されていた。夕張に一度でも来ると、この映画を見直したくなる。1977年ごろの夕張が映っているからだ。

夕張市は、その特質に沿った独自のコンパクトシティ化を推進している。そのコンパクトシティ化の途上にある、集積中心地を見学した。夕張市は東京23区よりも広い。そして細長い。かつて大小24の炭鉱があり、河川沿いの炭鉱坑口ごとに街が作られていたからだ。広範囲に散らばった街は高齢化と人口減少が進んだ。その全体をインフラ整備することは難しい。そこで中心部に住宅と商業施設を建設し、移住が始まっている。高齢者だけでなく子供のいる家族も居住できるようになっている。住宅は炭鉱長屋のかたちを反映した平屋だ。これからの日本では、自治体も大学も、それぞれの実情に沿った「コンパクト化・集中化」が必須である、と痛感した。

8月11日(土)

夕張市の鈴木直道市長、夫人の麻奈美さんと、札幌で昼食をともにした。午後は「江戸から見る未来」という演題で講演。

8月10日(金)

明日から大学は一斉休暇に入る。15日にアップされる「終戦メッセージ」を、翁長知事ご逝去のことを含めて執筆、送信した。

午後、空路で札幌に入った。夜は、北海道放送の方々と講演打ち合わせを兼ねた食事会があった。

8月9日(木)

臨時常務理事会、情報セキュリティ委員会を開催した。

NHKが翁長知事についてのインタビューを求めて来た。「極めて前向きで、明るく、明確にメッセージを発するかたでした。沖縄県の人々の意思をまとめ上げ、代表として県外と米国に対して沖縄の真の姿と展望とを発信し続けることを、ご自身のミッションとしておられました。本学にとって、翁長知事のようなリーダーが卒業生にいることは、大きな誇りでした」――以上のようなコメントを託した。同日のNHKのWEB版に掲載された。ご葬儀には、長文の弔電と、供花を寄せた。

私立大学の連合体である日本私立大学連盟の事務局長らが来室。年明けに国会で「私立学校法の改正」がなされること、その内容を示す文科省の「学校法人制度の改善方策について」が10月に公表されること、それに先んじて、私大連からのメッセージを出したい、という会長のお考えを伝えにいらしたのだ。私がたたき台を書くことになった。

8月7日(火)、8日(水)

編集工学研究所で、岩波書店から刊行する、松岡正剛氏との対談本『江戸問答』の収録をおこなった。約14時間に及んだ。すでに刊行している『日本問答』を基礎に、4月21日に江戸東京研究センター主催の特別対談をおこなったが、そのタイトルが「日本問答・江戸問答」で、それをきっかけに『江戸問答』をつくることになったのである。文字起こしをした後に加筆と整序に入る。それがまた力技となるだろう。

8日、沖縄県の翁長雄志知事が亡くなった。本学の卒業生で、私と同時期に同じキャンパスで学んだ方だった。たいへん悲しく残念だ。法政大学に来てくださった時のことは、総長日誌の2017年10月22日を見ていただきたい。

8月5日(日)

後援会山口県支部総会、父母懇談会、講演会、懇親会に出席した。20周年記念講演は、本学卒業生組織である校友会とともに準備してくださった一般公開講演会となり、「江戸から考える変革の時代」を話した。

8月4日(土)

山口市で、高校生たちを含めた一般の方々に向けて「なぜ大学に行くの?」という講演をおこなった。これからの日本と世界がどう変わって行くか、それとともに、大学で学ぶ意味をお話しした。

8月3日(金)

明日から、本学学生の保護者の組織である後援会の、山口県支部総会20周年記念行事である。山口市に入った。

8月1日(水)、2日(木)

11月におこなわれる金沢文化フォーラムのために、編集工学研究所長・松岡正剛氏および研究所スタッフととともに金沢視察をおこなった。金沢は30年ほど前から、地元経営者たちがその伝統を新しいかたちで構成し発信する活動を続けている。その中心が、江戸時代初期からある酒蔵の福光屋さんで、私自身もかつて、第13代の福光松太郎さんに呼ばれて幾度か対談や講演に出かけていた。今は息子さんが青年会議所を率いて、新しい金沢ブランディングをおこなおうとしている。その方法のサポートをしているのが編集工学研究所である。金沢は30代がとても元気で知的だ。

町を見るだけでなく、「金沢ユーソクコジツ」という、「有職故実」を現代版に名付けたワークショップもおこなわれた。ワークショップでは、福光松太郎氏、前市長の山出保氏とお目にかかった。山出氏は「歴史都市づくり」を標榜して、21世紀美術館をはじめ多くの美術館博物館を整備し、旧町名を復活させ、歴史的景観を残した。他にはない特質を掘り出して形にして発信する「ブランディング」の好事例である。

夕食は料亭「つば甚」である。前田家お抱えの鍔(つば)師(刀の鍔を作る職人)であった鍔家がもとになっている。その鍔師が江戸時代1752年に塩梅屋の「つば屋」を開業し、友人知人をもてなしたという。床の間の壁には鍔が組み入れられている。江戸時代の加賀藩は工芸の藩であった。