2016年度

9月

2016年度

9月30日(金)

羽田からパリに発つ。そういえば数日前、本学スポーツ健康学部を卒業したばかりのプロのモデル長嶋里沙さんがパリに発った。パリコレのモデルに選ばれたのである。Miss Supranational日本代表にもなり、晩秋には北欧の世界大会に出るという。隣のアパートの住人なので、食事会を開いて「お洒落な法政大学を広めてね」と送り出した。「バンカラを越えよう」と言ったら「バンカラって何?」と。そうか、そういう時代なのだ。お互い予定がぎっしりでパリでは会えない。

9月29日(木)

明治大学学長が本学を訪問して下さった。初めてのことである。現学長の土屋恵一郎氏は法哲学の専門家であるとともに能のプロデューサーであり、研究者でもあって、私もご著書の読者だ。研究会でご一緒したこともある。石牟礼道子の能「不知火」のプロデュースもなさっていて、石牟礼道子についても話が盛り上がる。対話が楽しく時間を忘れた。大学についても多くのアイデアをお持ちで、これからは明治大学と連携することが多くなりそうだ。
木曜日は隔週で学部長会議。その前に付属校との協議もあり、学部長会議の後は、長期ビジョン(HOSEI2030)についての、学部長たちとの意見交換もあり、夜遅くなって羽田のホテルに到着。

9月28日(水)

水曜は常務理事会、理事会の日だが、今日はさらにその後、評議員会があった。評議員会とは、大学に関して、外部の有識者も入って重要問題の最終決定する機関である。さらにその後、評議員の皆さんとの懇話の時間が遅くまで続いた。

9月27日(火)

ボアソナード・タワーのヘリオスで、オリンピック重量挙げで銅メダルをお取りになった三宅宏実さんの銅メダル獲得報告会があった。オリンピック・パラリンピックでは、勝ち負けだけでなく、選手の努力や創造力、人柄や姿勢や思想などにも、関心がわく。三宅宏実さんはその全人間的な意味で、素晴らしい人だ。選手としてだけでなく、スポーツの世界を良くしていく貢献を、これからするかただと思う。

朝鮮奨学会の評議員になって初めての顔合わせがあった。戦前からある組織で、在日韓国人・朝鮮人の高校生、大学生、大学院生に奨学金を出している。50年前には谷川徹三総長が就任していた。元早稲田大学総長の奥島孝康さんも、評議員としていらしていた。本学にも、この奨学金を受けて研究を続けた教員がいる。ちかごろは留学生にも出しはじめているようで、貴重な組織である。

9月26日(月)

HOSEI ONLINE実施。今日は、国連難民高等弁務官事務所に勤める金児真依さん(2002年社会学部卒)と対談。国際的な仕事についた過程をうかがうと、少女時代のいじめと不登校の話から始まった。そして難民や在日外国人、なぜ日本では排除が起こるのか、に話が及ぶ。エリートコースだから国際的な仕事につくわけではない。自分の経験した苦しみや悲しみこそが、仕事を考える発端になる。金児さんが難民を見るまなざしは、「もし私がその立場だったら」という深い想像力だ。「いじめ」と「難民」を、つなげて考えなくてはならない。

9月24日(土)、25日(日)

海外出張の前は、締め切りを早めて原稿を書き、スーツケースに入れるものを選び、出張で使う資料を精査し、出張中に継続する原稿をスタートさせておく、というあわただしい日々になる。今のヨーロッパは何が起こるかわからない。私が死んでも90歳を超えた母が困らないように書類をととのえておく、という仕事もある。大学は日々、管理とスケジューリング怠りないので、あまり心配していないが。

9月23日(金)

やはり例年このころ、外部の公認会計士から厳しい質問を受ける時間が設定されている。大学は緊張感を持続する仕組みを作っている。それが大切なのだ。

今日は経済産業省と編集工学研究所が設定した、極めてラディカルな議論の日。編集工学研究所長・松岡正剛の言葉で言えば「編集的日本像再考のはじまり」。別の言葉で言えば「どん底を知って再出発するには」ということだ。『シン・ゴジラ』でゴジラが凍結されている間に、次のことを急いで考えているような・・・。今の日本はつまり、その状況なのである。秋季入学式のとき、留学生たちには「日本と日本語を今のうちに学ぶように」と言った。課題満載の国を、課題解決先進国として世界のモデルにしなければならない。

9月22日(木)

予算編成委員会があった。例年、このあたりから予算編成が本格化する。すでに方針を決めているので、その方針に沿って今年の枠組みやルールを決め、各部局は予算要求をいっせいに作り始める。常務理事会はそれを精査して決定に向かう。仕組みは国や自治体と大差ないが、本学は明確な長期ビジョンを作り、節約・削減を中心とした。債務は作らない。豊洲問題を横目に見ながら、いっそう身が引き締まる。それにしても都庁、なんでああなるの?お互い若いころ、小池百合子さんとご一緒した催し物や日本新党出発のころをなにとはなしに思い出す。

9月21日(水)

毎週水曜日は朝から常務理事会準備、常務理事会、その懇談会あるいは理事会など、気のゆるむいとまはない。その他の日も、水曜日を焦点に定めてさまざまなことが動いている。大学は一瞬もじっとしていない。夜は「実践知情熱ラボ」の学内学外スタッフにお礼と「お疲れ様」食事会。ふだんおめにかからない方々と話すのは、実に刺激的だ。

9月20日(火)

火曜は、毎週とはいかないが国際日本学インスティテュートの博士課程の学生たちを指導している。小林ふみ子教授が海外留学中なので、担当する学生数が多い。中国人、韓国人、ハワイオキナワン系アメリカ人、イタリア人、ロシア人、そして80代の日本人と多彩だ。テーマも書き方も異なる。この、頭脳が多方向に開いて行く状況で教員も学生も自分を鍛えることこそ、法政大学がめざす環境なのである。30日は博士論文提出日。例年、それまでにいろいろなことが起こる。大学はスリルに満ちている。

9月17日(土)

秋期学位授与式の日である。武道館での授与式と違ってさっぱりとした式だ。人数が増えてくるのであればもうひと工夫、楽しくしたい。告辞は、動画を写しながらやっても良いし、卒業生の声も聞きたい。大学内でおこなうので、自由に演出できる。考えよう。

9月16日(金)

本日実施のHOSEI ONLINE総長対談は初めての、保護者との対談だった。このコーナーは基本がOB、ときどき教員、ごくたまに外部のかたという構成で、保護者という選択肢は今までなかったのである。しかも、たいへん面白かった。

NPO法人「ファザーリング・ジャパン」の代表、安藤哲也さんとお話ししたかったのは、法政大学がダイバーシティ宣言をしたからである。社会のダイバーシティ化のためには女性だけでなく、男性が変わらねばならない。男性たちは生き方と考え方の柔軟性をいかにして獲得するか。それが私の関心であった。おめにかかって、その極めつけのしなやかさに驚いた。ファザーリング・ジャパンは開設してすでに10年になる。つまり10年も前、すでに「男性が変わらねばならない」と考えていらした。とりわけ男性たちに、「楽しんでお父さんしようよ」と呼びかけていたのである。「その結果、男性たちの頭のOSがずいぶん更新されてきましたよ」とのこと。

安藤さんは、「本を世に送り出す」仕事を、職場(組織)を変えながらずっとやっていらした。多くの人が就職とは言っても実は「就社」しているのであって、会社の中でさまざまな仕事をする。それはそれで良いのだが、会社を変えながらひとつの使命や職を続けることがあっても良い。組織に依存しているとなかなかできないが、安藤さんはそういう生き方をした。そしてNPO法人「ファザーリング・ジャパン」で現在、年間250もの講演をこなし、本を次々に刊行しておられる。いただいた『新しいパパの教科書』は、さっそく、2歳の子の父親である総長室秘書に渡した。ダイバーシティも呼びかけだけでなく、具体的な指針を示さねばならない。今後も協力をお願いしようと思う。

9月15日(木)

ボアソナード・タワー1階に法政大学憲章を置くことにした。通りがかりに読んでくれる学生や来客があると嬉しい。この日の撮影に使ったのは、新潟県十日町の吉澤織物(原宿に「きものアイ」という店舗がある)さんが提供して下さった萩の着物だ。萩は秋の七草のひとつで、えんじ色か白の花を咲かせる。葉も繁茂して美しい。着物は葉の緑と花のえんじ色を能装束のように段模様に染め、全体に葉と花を散らしている。正式な席では着られないが、着物はこういう普段着が面白い。

今日は、さまざまな賞に輝いた教員をお祝いする、表彰教員祝賀会もあった。ようやくこれも定着してきた。法政大学は、教員の社会での活躍にあまり注目しないところだった。そこで、昨年からこの祝賀会を開くことにした。2015年度は把握できた限りで20の賞を教員たちが受章した。祝賀会では、受章した皆さんの話が楽しみだ。とにかく面白いのである。知らなかった研究が、身近なものになる。研究を心から楽しんでいる様子も嬉しい。こうして皆さんの研究と社会貢献に大学が関心をもち、共に喜んでいることを伝え続けたい。

9月12日(月)

全学の秋期入学式が、今年度から始まった。昨年度まではGIS(グローバル教養学部)だけの入学式だったのだが、対象学部・大学院が増え、一緒におこなうことになったのである。しかも日本語のできない留学生を迎えたので、司会から総長式辞、歓迎・入学の辞など、すべてが英語でおこなわれた。日本、中国、台湾はもちろんのこと、ベトナム、タイ、ミャンマー、ブラジル、南アフリカ、カメルーン、ジンバブエ等々から学生が入学し、スカイホールは保護者や関係者を含めていっぱい。来年からは学部長挨拶も必須であろう。法政大学のグローバル化が本格的に始まったわけだ。ひとりひとりの学生に対応するのはさまざまな現場の負担を増やすことになり、いばらの道である。しかしそれが世界の現実の中で「自由を生き抜く」者たちの共存をめざす「実践知」の実現なのだ。

9月10日(土)

老朽化した市ケ谷キャンパス55,58年館は、建替工事が少しずつ進んでいる。そして本日、ゲート棟「富士見ゲート」が完成し竣工式を迎えた。設計、施工に携わった企業の方々、館内の設備を提供して下さった後援会、学生に事故がないよう配慮してきて下さった施設部や学生センターをはじめとする職員たちに、心から感謝している。
授業をおこないながら順次進めねばならないため、建替工事の完成は2020年度末になる。しかし1棟ずつ竣工式をおこなうことで、少しずつ新たな大学の姿が現れてくるのだ。

今日は大安吉日。大学は合理的判断を下すのが基本だが、学生の無事故を願う気持ちにおいては、どうしても縁起をかつぎたくなる。まずは定礎箱を土の下に納める定礎式である。定礎はもともと、建物の柱の土台を定めることだから、建築の最初におこなうことなのだが、なぜか今は竣工式でおこなう。定礎箱とその中に納める大学のパンフレット、大学新聞「コンパス」、3大新聞、紙幣、硬貨、芳名録が、台の上に載っている。「他に納めたい新聞も本もあるのに」とちらっと思うが、いやいや、「何入れますか」などと聞いていただかないほうがよかったと思う。定礎箱に入りきれなくなる。とにかく、私と担当の増田常務理事は、神職によるお祓いのあと、白手袋をはめてそれらを定礎箱に収めた。実際、これらで箱はいっぱいになった。

次に、石屋さんが定礎箱と定礎板を仮設置した後、私は木槌を持って、定礎板の四隅を上右、上左、下右、下左の順で2回ずつ叩く。これを「齋槌(いみつち)の儀」という。「齋(いむ)」とは穢(けが)れを避けることなので、槌でたたくことによって、穢れがつかないようにする儀式だ。その後、場所を変えて神事が始まり、玉串(榊の枝に紙をつけたもの)を捧げる。

これらの儀式は、古事記や祝詞を知っている者にとっては、思い当たる節があって興味が尽きない。なぜ順番にこだわるのか、なぜ穢れを恐れるのか、なぜ神饌(供え物)をするのかは、高温多湿の風土に由来する古代からの生命を守る伝統であり、なぜ定礎版なのかは、近代ヨーロッパの石工の伝統が融合したものだ。

閑話休題。儀式は直会(なおらい)をもって終わる。もともとは、神饌を下ろして共食する意味だが。今や供え物をいただくことはない。直会の前に富士見ゲートの全体を見学した。外濠の自然に抱かれるような、木立に面した大きなガラス張り廊下が続く。私の在学時代には想像すらできなかった、美しく巨大な、そして地震にはびくともしない城門である。

この日は、もうひとつ、大切な行事があった。本学の卒業生で最高裁判所判事をなさった故遠藤光男先生の「お別れの会」である。直会のあと、華やかな正装を、喪の着物に着替えた。遠藤光男先生は最高裁判事として、靖国神社玉串料の問題(政教分離問題)、婚外子相続問題、そして東電OL殺人事件におけるえん罪問題などを扱われた。いずれも、憲法の精神や公平公正の精神が問われる事件である。東電OL殺人事件では、私は事件をテーマにした番組に出演し、カメラとともに円山町を歩いたことがある。また、犯人とされ、後にDNA鑑定で無罪とわかったネパール人ゴビンダさんの支援者のひとりでもあった。そういうことも思い起こしながら、遠藤光男先生が、法政大学のもっとも良いところを持ちつづけ、それを仕事に結実させていらした方だと、改めて思ったのである。

9月5日(月)

千葉県のキングフィールズで法政大学校友会主催の総長杯ゴルフ大会が開催された。台風が去った熱暑の中、約185人が広々としたフィールドを歩いた。地平線まで緑に覆われた高原で、渡る風に身をゆだねながら5時間も歩く機会は、めったに得られるものではない。私の目的はボールを打つことではなく、歩くことである。

キングフィールズは、磯子カンツリークラブを経営する横浜観光土地が取得し再生したゴルフ場で、横浜観光土地の代表である鈴木康浩さんは本学のOBだ。この2年、参加者が増えている。熱中症にもならず皆さん楽しんでおられた。磯子からもスタッフや料理人を投入し、途中の休憩所にも飲食を整えて、万全の体制をとって下さった鈴木さんのおかげである。今年も雨に見舞われなかった。
そこまで打ち合わせながら運んできて下さった桑野校友会長にも感謝したい。