2016年度

2月

2016年度

2月25日(土)

付属校生徒による第1回英語プレゼンテーション大会が、市ケ谷キャンパスで開催された。全体テーマは、大学憲章の中の一節「世界のどこでも生き抜く力」である。第二高等学校から3組、女子高等学校から3組、合計6組が参加。スピーチコンテストではなくプレゼンテーション大会である。わずか8分のプレゼンテーションは、内容、英語力だけでなく、スライドのデザインや話し方、ジェスチャーまで審査の対象になった。審査員は総長、福田好朗副学長、グローバル教養学部長ダイアナ・コー教授のほか、付属3校のネイティブの教員3名、そして、留学生が5名である。6組とも見事なプレゼンテーションを見せてくれた。質問もあるので、丸暗記だけでは対応できない。総長賞は女子高等学校のグループ。優秀賞と特別審査員賞は第二高等学校のグループだった。この集中力とチームワークをもってすれば、まさに世界のどこでも生きていかれる。ぜひ毎年続けたい。

2月24日(金)

HOSEI2030策定委員会が最終会議を迎えた。アクションプランの最終報告が出そろい、4月からはHOSEI2030推進本部が発足する。

2月23日(木)

次期学内理事懇談会が開催された。理事選挙終了後、次期の体制を作り上げるさまざまな事柄を進めてきたが、今日、公式の体制作りが発足したということである。副学長その他の要職が決まり、理事会での最終的な手続きを残すだけとなった。次期学内理事の担当と統括理事制度を話し合った。4月からは新しい役員制度が発足する。

2月19日(日)

奈良県立大学で、「江戸文化と奈良-都鄙の交流-」という講演をおこなった。主催したユーラシア研究センターは、ゾロアスター教の日本への影響と、江戸時代の奈良を研究している。面白い組み合わせだ。ユーラシア研究センターでは『EURO-NARASIA Q』という研究誌を発行していて、私はその第5号に「信用ということー江戸時代の奈良を事例に」という論文を書いている。この講演は、それに基づいたものだ。講演の後、元興寺住職の辻村泰善師、近世大坂史の研究者、野高宏之教授の3人でディスカッション。近世(江戸時代)から見ると、奈良はまだまだ新しい発見がある。

2月18日(土)

山口県校友会が、岩国校友会40周年を記念して、一般公開の文化講演会を開催して下さった。「橋と日本文化」を、あの錦帯橋のある岩国で話したのである。私はこの講演を、篠田正浩監督の映画『心中天網島』のタイトルバックで始めた。浄瑠璃(文楽)を見事に映画化した「映画による浄瑠璃」とでも言える名作である。そしてこの映画は錦帯橋で始まる。近松門左衛門『心中天網島』は、「名残の橋づくし」で知られている。この世に多くの断ち切れないものを残して死に向かう二人が、何度も橋を渡り、「死ねない死」に近づいていく。人は何によって生きているのか、死の側から語り尽くした浄瑠璃だ。この映画は「橋」のもつ日本文化の中での意味を、錦帯橋に代表させたのである。

その他にも、多くの作品に展開した石橋(しゃっきょう)のことや、江戸時代の小説に多大な影響を与えた中国・杭州の西湖のことなど、さまざまな橋の文化を話した。岩国は杭州と姉妹都市だという。この日は、校友である福田良彦岩国市長もご参加くださった。新しい和装ファッション、デニムの着物にジャージの羽織がとても素敵だった。

夜は、岩国の著名なワインバー「アペラシオン」。ここのご主人でシニアワインアドヴァイザーの矢野英夫氏も校友。奥さまはワインのコンセイエとして全国最優秀賞を受賞なさっている眞利子さん。珍しいワインをいただいた。

2月17日(金)

ベネッセコーポレーションの「マナビジョンブック2017保護者版」取材の季節がやってきた。昨年に続いて今年も取材して下さった。充分に話すことのできる取材である。

2月14日(火)

明治大学の土屋恵一郎学長 関西大学の芝井敬司学長が、総長室を訪れて下さった。両大学は同じボアソナード法学で建学した経緯がある。大学史の展覧会、海外の大学との交流、さまざまな催しもの、そして連携協定など、一緒にできることは多い。同じテーブルにつくだけで、学長どうしアイデアが尽きない。これからが楽しみだ。

2月13日(月)

DAYS JAPANの、DAYS国際フォトジャーナリズム大賞の審査員として、膨大な写真の審査をおこなった。フォトジャーナリスムとは、後藤健二さんが仕事をしていた領域である。今年の大賞は、ローレン・ファン・デル・ストック氏の「イラク軍特殊部隊とISとの攻防」のシリーズだった。その他にも、2位、3位、審査員特別賞が決まった。言葉を費やすより、https://daysjapan.net/で見ていただいたほうが良いだろう。DAYS JAPANはフォトジャーナリズムの月刊誌で、世界中で起きている衝撃的な写真を、ジャーナリストたちが載せている。支援する価値のある雑誌である。

2月6日(月)

一般入試は1月14、15日のセンター試験を皮切りに始まっているが、2月5日から本格的な入試期間に入った。昨年度、受験生の数が初めて10万人を越えた。そして今年は、この日で約11万9千人を記録し、本学史上最大の受験生を迎えている。インフルエンザ大流行のなか、受験生たちが無事に、体調を崩さず試験を終えることを祈っている。

2月4日(土)

白鴎大学で、北山修副学長の退職記念講座が開催された。北山先生は今まで、個人としてレクチャーとコンサートを組み合わせた「アカデミック・シアター」を開催し続けていらしたので、この日も、大学としては珍しいコンサート付きの記念講演会だった。精神科の医師であり研究者、そして多くのヒット曲の作詞家だ。コンサートは北山修作品集となった。名曲が多い。「戦争を知らない子供たち」は1970年の万博のために作られた曲だが、「これから何世代もこの歌を歌い続けられる世界にしよう」というこの日のメッセージは、危うい現実の前に心を打つ。

講義はさらに興味深い内容だった。専門教育を受けていない人が、独自の表現で作品を創る「アール・ブリュット」という芸術がある。知的あるいは精神的障害をもった方々のアートとして広まってきた。この日、北山さんはその話をした。作品も印象深いものだが、北山さんが「来なかった人に伝えて欲しい」と言ったのは、その創造過程を包み込む環境のことだった。それが、詩人ジョン・キーツが言った「ネガティブ・ケイパビリティ」である。「短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることができる」こと。つまりネガティブなものを包み込む環境や場を作る力である。それがあってこそ、自らの内面のために創造する人々の能力は発揮できる。これは教育とりわけアクティブラーニングの根本だ。「自由という広場」はネガティブ・ケイパビリティをもった場でなくてはならない。私はこの日、多くのことを学んだ。いや、16歳で北山さんを知り、この20年間は仕事や活動を共有してきて、常に学ぶことがあった。

ちょうどこの日の東京新聞は、東京都が秋に「アール・ブリュット」の美術館を常設化するというニュースを載せていた。この排除の時代に不可解を包み込むことは、ことさら大切になる。

2月2日(木)

日経ビジネスの大学経営特集の取材があった。企業経営と異なる大学経営の核心をお話しした。大学経営は厳しい定員管理によって収入がほぼ決まっており、企業にように「もっと売って儲ける」ことはできない。さまざまな基準を遵守するために、コストの削減も限られる。収益が目的ではないので、黒字赤字のみで部局を評価することもできない。大学の努力は常に質の向上に向けられるのである。しかしそのために長期的な展望を軸に据えることや、局所の個性を強めながらも全体のバランスをとり続けることは、優れた企業経営と同じであろう。

2月1日(水)

来年度から実施される「日本語教育プログラム」の授業担当予定教員による会合が開催された。これまでESOP(交換留学生受入れプログラム)の一環として実施されてきた日本語教育は、いよいよ独自の科目等履修生を受け入れる「日本語教育プログラム」として整えられ、新たにスタートする。国際日本学を創始した法政大学は、外国人の日本語・日本文化教育に本腰を入れ、その重要拠点になるべきだと思っている。いくつかの学部で始まっている英語のみで卒業できるコースに入学する学生も、日本に来るからには、日本語と日本文化を楽しんでほしい。表面的な日本イメージの下にある日本は、現代の価値観を転倒させる、底知れない面白さがある。