6月

佐渡のこと

2015年06月20日

6月

佐渡には、ゼミの合宿で何度も訪れました。今回は昨年おめにかかった甲斐元也佐渡市長市長の要望もあり、世界遺産登録運動を契機に、地元の方々が地域の価値に気付くことができるように、という主旨でおこなわれた講演とシンポジウムです。

両津港で甲斐市長の出迎えを受け、東京から参加して下さったツアーのお客様にご挨拶と伝統芸能の解説をするために昼食会場に向かいました。この会場は「大崎」という集落にあります。昼食の素材は全て、その土地で採れたもので、地域の方々が作ります。芸能は、その、料理をした方々もまじえて集落で伝承されてきた芸能です。とくに「文弥人形」は、江戸時代の前半(1600年代)、大坂と江戸で大流行した文弥節が佐渡に渡り、途中で人形操りと合体して、今日まで継承されてきたものです。さながら江戸時代のように、目の不自由な僧侶が語って下さいました。万歳もちょぼくれも、後の漫才や浪曲につながった、そのもとのものが、ここには伝承されているのです。

会場をあとにして「大膳神社」に向かいました。歴代のゼミ生がみな、ここで集合写真を撮ってきた場所です。佐渡には36の能舞台が現存していますが、ここの屋外能舞台は江戸時代に作られたものです。大学院生の合宿では、ここで狂言(佐渡にしか残っていない鷺流狂言)を見ましたが、今日はツアーのお客様たちに宝生流の舞囃子で「舟弁慶」の後半を見ていただきました。

北沢浮遊選鉱場でのシンポジウム

あとで話を聞くに、前の日にはトキのためにおこなっている有機農法の水田を見学していたところ、トキが二羽、舞い降りて来たとのことです。ツアー全体が素晴らしく充実していたようです。

15時より、校友会佐渡支部の設立式でした。剣道部がずっとお世話になっている佐渡市会議員で校友の猪股文彦さんがご尽力下さり、そのもとに今日、設立されました。新潟県支部長で評議員の、新潟放送社長の竹石松次さんも、そして、校友ではない市長も列席して下さって、ここに佐渡支部(新潟県支部所属)が立ち上がりました。校友の皆さん、よろしくお願いいたします。

市長主催の夕食会を兼ねた打合会は、金銀山のあった相川の民家でおこなわれました。ごくふつうの豪華な日本料理を想像していたのですが、たいへん素晴らしいことに、地元の方々の手による地元の料理でした。祭に行くと佐渡ではそれぞれの家が料理を作って開放し、人が出入りして飲食します。そのときと同じもてなしなのです。市長はこれを「着地型」と呼んでいます。中央からものが入って来てそれによってもてなすのではなく、地域が生産しているもっとも良いものでもてなす習慣が、できつつあるのです。

田に飛んできたトキ

佐渡は江戸幕府がもっていた天領です。金銀山も幕府のものでしたので、明治になるといったん官営化されました。講演とシンポジウムの会場となった北沢浮遊選鉱場は、国から三菱に払い下げられ、戦後間もなく稼動停止して廃墟になった場所です。遺跡や廃墟を催し物の会場とする方法は、ヨーロッパでよく見られます。この夜は廃墟をライトアップし、まるでローマ遺跡にいるかのような雰囲気の中で佐渡の面白さと問題点を語り合いました。

島根県の石見銀山との違いは、佐渡が江戸時代に人口のピークを迎え発展した点です。そのことから、中世に入って来た京都の貴族文化の上に、江戸時代の武士文化(それで能が盛んになりました)、宿根木(しゅくねぎ)の港に出入りした北前船による各地の商人の文化が重なり合い、多様で複雑な文化を形成した点です。宿根木の集落は今でも江戸時代の面影を残し、木っ端葺きの屋根の上に石が置かれています。民俗学者の宮本常一がプロデュースした博物館には、行燈や布や葬式用具まで、かつての日常生活用具がぎっしりつまっていて、たいへん勉強になります。

しかし、佐渡もほかの地域と同じように少子化と人口減少が進んでいます。観光と移住を推進するためには、さまざまな改革が必要です。「世界遺産」という目標は、現実をみつめて未来に責任をもつためのプロセスなのです。