2015年度

10月

2015年度

10月31日(土)

いよいよブリュッセル法政ミーティングの日です。そして出張最後の日です。校友である神野陽子さんが紹介して下さった、日本人シェフの経営するフランス料理レストランINADAで、ブリュッセル日本人学校の教頭、八幡先生とご家族も招待し、食事会を開催しました。神野陽子さんはベルギー在住30年以上で、今は「プチポワ」というベルギー在住日本人向け情報誌の編集長をされています。海外校友会の情報収集と校友活動は端緒についたばかりですが、必ず各々の土地にキーパーソンになって下さるかたがおられます。

欧州出張は、「海外に校友会を組織するための準備」「4つの大学との協定締結および締結準備」「日本人学校の生徒さんや教員へ法政大学の今を伝える」「大学教育の新しい展開の見聞と確認」「欧州における日本学術振興会での講演を通して、法政大学の研究上の存在感をアピール」など多くの目標をもって出発し、期待以上の成果が得られました。

10月30日(金)

ブラッセル日本人学校で講演しました。ここは1973年の設立で、デュッセルドルフ日本人学校、ロンドン日本人学校についで、3番目の規模の日本人学校です。小学校、中学校の生徒数は約300人で、補習校を併設しており、こちらにも250名近くが在籍しています。1年から3年までの中学生とその保護者が熱心に講演を聞いて下さいました。卒業後は現地のインターナショナルスクールに入る選択と、日本に帰って帰国子女枠や寮のある高校に入る選択とがあります。

ブラッセル日本人学校HPでも本講演会の様子が紹介されました。

10月29日(木)

デンマークのロスキレ市にあるロスキレ大学を訪問しました。ロスキレ市は11-15世紀にデンマーク王国の首都だったところで、宮殿が置かれ、大聖堂が建てられました。その大聖堂は世界遺産です。しかし観光旅行する時間はありません。終日、ロスキレ市郊外にある大学にいました。広大な空間に低層のキャンパスが続いています。副学長のPeter Kjaer(ピーター・ケア)氏の挨拶からは、デンマークの大学も財政的な問題にさらされていることが伝わってきます。

その後、大学の創立にかかわった女性の元副学長Inger Jansen(インガー・イェンセン)名誉教授が、ロスキレ大学の創立の経緯と、ロスキレモデルと言われる教育方法を丁寧に説明して下さいました。元学長のHenning Salling Olesen(ヘニング・サリング・オールセン)教授も加わって、私たちの質問に答えて下さいます。

昼近くになると、 現在の学長のHanne Leth Andersen(ハネ・レット・アナセン)教授が現れ、留学生の状況を話すと同時に、私とともにその場で協定書類に署名し、学術一般協定が結ばれました。学長は私より若い女性で、ぴったりしたシャツにミニスカートのいでたち。大学全体のダイバースで自由な空気は、法政大学の目標に思えました。雰囲気だけではありません。ロスキレ大学は1960年代の学生運動から生まれた大学なのです。その設立の経緯と教育方法についてはエッセイに書きましたので、読んでください。

大学を離れ、空路でベルギーのブリュッセルに向かうためにホテルにスーツケースを取りに寄ったところ、なんと目の前にある市庁舎広場は、集会をしている学生でぎっしりです。それぞれの大学や学校の旗がはためき、かわるがわるに演説をしています。政府が今後4年で2%ずつ高校・大学関連予算を削減していく、という発表をしたためです。デンマークの教育機関には授業料というものがないので、値上げ反対デモではありません。教育環境が変わることへの抗議です。ロスキレ大学の学生もデモに行く用意をしていましたから、ここにいるのでしょう。コペンハーゲン警察発表で1万から1万5千人が参加したようです。

10月28日(水)

グローバル教育センター部長と総長室長がオーフス大学の国際交流セクションを訪問し、協定の可能性を探って下さっているあいだに、私は次の日に訪問するロスキレ大学について勉強しました。非常に興味深い大学です。

10月27日(火)

今日は、デュッセルドルフ日本人学校で講演の日です。日本人学校とは、現地駐在の日本人の子供たちが義務教育を受けられるようにするためにある学校で、小学校と中学校が併設されています。デュッセルドルフ日本人学校は1971年に欧州で最初の日本人学校として開校しました。その後、学校があるという理由でここに日本人の居住区が広がっていったそうで、デュッセルドルフに多くの日本企業と日本人が集結する起点となった場です。500人あまりの生徒が学んでおり、欧州最大の日本人学校です。

私は2011年に岩波ジュニア新書から『グローバリゼーションの中の江戸』という本を刊行していますので、このテーマで話をしました。中学生と保護者の皆さんが聞いて下さいました。講演後にはとても鋭い質問があり、自由に考え自由に発言できる環境であることを実感しました。

デュッセルドルフ日本人学校HPでも本講演会の様子が紹介されました。

午後はデュッセルドルフ大学に行き、Christian Tagsold(クリスチャン・タグソルド)教授と、大学間協定のことを話し合いました。今までも協定を検討しながら実現しませんでしたが、この日はその理由もわかり、約500人もの学生がいるデュッセルドルフ大学の現代日本研究科と法政大学との協定を探ることになりました。

夜は、ドイツ人の子供たちを教えている教育学博士のフックス真理子さんのお誘いで、市民運動をおこなっている日本人グループと懇談しました。在ドイツの日本人は、原子力発電から撤退し難民を大量に受け入れるドイツ政府の姿勢と日本政府とを比較することになりますので、日本への危機感が募っているようです。ドイツは難民の問題を人権問題として取り組んでいます。しかしドイツ政府は、難民の流入が止まらないことを見越し、初期に流入してくる高学歴、低年齢の難民を積極的に迎える方策を選んだ、とも言われているそうです

10月26日(月)

前の日に5時間かけて列車を乗り継ぎ、ストラスブールに着きました。今日はストラスブール大学で英語による講演をする日です。日本学術振興会ストラスブール事務所主催です。毎日私をサポートしてくれるのは総長室長です。そこにグローバル教育センター事務部長が日本から駆けつけ、女性3人の旅です。

まず朝9時からストラスブール大学の第一副学長、Michel Deneken(ミシェル・ディーネケン)さんと、協定の継続を含めて懇談をしました。副学長室での、わかりやすい大学の紹介の仕方に学ぶところが多く、ぜひその方法を導入しようと思います。先方は、こちらの総長と室長と部長がみな女性であることに驚嘆していました。

講演はスライドをふんだんに使っておこないました。すでに英訳出版されている自著『布のちから』の内容です。「もの」である布がなぜ特有な力を帯びて存在していたのか、それが日本の歴史のなかでいかに「自然」との関係の中で構築された文化であるかを、 江戸時代のアジアとの交易の事例や、実際に作られていた生命樹の着物、風景の着物などをお見せしながら、持続可能社会には何が必要であったのかを交えて、話しました。

講演には日本総領事館の大使はじめ領事館の方々、日仏大学会館長Marie-Claire Lettさん、副学長のFrancis Kern(フランシス・カーン)さん、そして、ストラスブール大学で日本文化を教えている教授たちも参加して下さいました。

ストラスブール大学は1880年代から日本からの留学生を受け入れ続けた長い歴史をもち、また1990年代には日本との交流関係を一層深める政策をもっていたと聞きました。日本学科をはじめ、全学部で日本との交流を進めるための「日本委員会」を置き、日仏大学会館、日本学術振興会ストラスブール事務所といった両国の研究交流を媒介・促進する機関を設置するなど、積極的な展開がされてきたようです。今でも学内の第二外国語選択として英語の次に日本語が多いとの話でした。

ストラスブール大学と本学は学生交換協定を結んでおり、学生がESOP(※)に留学して日本企業に就職したこともあります。法政大学の学生も現在、ストラスブール大学で学んでいます。ちなみに、たいへん理科系に強い大学で、何人ものノーベル賞受賞者がいます。

講演後に大学の皆さんと昼食をとり、やはり3回列車を乗り継いで、次の企画のために留まった、もう一人の出張サポート役の卒業生連携室課長が待つデュッセルドルフに戻りました。

10月24日(土)

ドイツ、デュッセルドルフの和食屋「きかく」で、卒業生たちが集まる法政ミーティングを開催しました。卒業生・後援会連携室の課長をはじめ、職員のかたたちの準備が万端で、楽しい会になりました。校友会の会長も出席して下さり、いつかデュッセルドルフで大陸ヨーロッパ校友会の総会にこぎつけるかも知れない、という予感がしました。イギリスはすでに校友会組織ができています。

当日は、フランクフルトなどドイツ国内の複数の場所から来てくださったかた、ポーランドからのかた、祖父が学徒出陣で戦死し、「手元に残った戦前の法政の校章を見て欲しくて」といらっしゃった卒業生のお孫さんなど、さまざまなかたと巡り会いました。ご家族と一緒に参加された方も多く、成人した3人の息子を連れて現れたかたや、小学生の息子、産まれたばかりのお子さん、お連れ合いと二人など、そのかたちもさまざまで、お子さんたちはハーフのかたもいれば、日本人のかたもいます。お連れ合いも、ドイツ人、イギリス人、日本人とさまざま。卒業生たちがいかに世界中で働いているか、実感しました。デュッセルドルフは日本企業が集まっているところですが、しかし企業の方たちばかりではありませんでした。多様な仕事があるのです。

地元の日本人向けメディアに会合の知らせを出したり、情報を集めたり、という職員たちの地道な仕事が実を結びます。これからも情報収集が続きます。もし海外でこれを読んでおられる方があれば、ぜひホームページの「卒業生の方へ」から、住所の登録・変更のページに入って、登録をなさって下さい。会合を開くときにはお知らせをいたします。

卒業生が世界に広がっていくこの時代、同じ町や地方に暮らす卒業生たちが、厳しい環境であるからこそ支え合うことができるよう、大学も力を尽くしたいと思います。

10月18日(日)

剣道部の優勝祝賀会がありました。剣道部は世界大会で男女それぞれが個人優勝し、女子の団体戦でも世界優勝しました。全日本では現役の学生とOGがそれぞれ優勝し、関東大会でも、個人と団体で優勝しています。7種もの優勝が、すべてこの1年間の成果です。17日には陸上部が箱根駅伝予選を通り、皆ほっとしましたが、野球、駅伝以外にも強い部があるのです。剣道部の今後も応援しましょう。

10月15日(木)

大学院自己点検懇談会の日です。15もの研究科がありますので、皆さんの発表はわずか8分。それでもそれぞれの個性といきごみがよく伝わってきます。私自身も経験してきたことですが、研究者志望の学生、留学生、社会人学生が混在するなかでのゼミ運営や授業は、なかなか大変なものがあり、ゼミ後の補習やTA(ティーチング アシスタント)による指導や、全体の論文発表会が必須です。それでも多くの教員がそのことに向き合い、改革を続けています。

スーパーグローバルハイスクール(SGH)である法政大学女子高等学校が学校改革を発展させ、「(仮称)法政大学国際高等学校」として、共学化を進める予定であることを発表しました。私はカトリック系の女子校の出身ですので、女子校というものがもつ、柔らかくのびのびとした良さを知っています。在校生の中には、たとえ卒業後であろうと、共学化に抵抗のある人もいるでしょう。男女別教育が担ってきた時代の役割もありました。しかし今、法政大学はダイバーシティをめざす大学です。人の性が「男」「女」にのみ分かれるものでない事実も、認められつつある社会です。世界のさまざまな国からやって来る生徒も、他国で育って帰国する生徒もいます。現実社会の多様性を早くから知ってほしいのです。

国立大学協会専務理事の山本健慈さんとお話しする時間をもつことができました。3月まで和歌山大学の学長として、学生、卒業生、地域に「生涯応援宣言」を出したかたです。『地方国立大学一学長の約束と挑戦』という本は、「ヒトが人間となる」過程としての教育論で、子供のころから「群れ」と「トラブル」を経験することこそ重要、というとても基本的な教育思想をもった、面白い本です。私大から見えるものとは異なる、国立大から見える日本が新鮮でした。

10月13日(火)

理工系3学部(情報科学部・理工学部・生命科学部)の学生が学んでいる小金井キャンパスの事務部局を訪問し、みなさんの話を伺いました。入試や催し物で行くことはありましたが、実験室にお邪魔したのは初めてです。それぞれの学部が、学部長をはじめとしてとても丁寧に案内して下さって、指導のきめ細かさや課題など、さまざまなことがわかりました。ありがとうございました。

10月11日(日)

後援会主催の、首都圏父母懇談会が開催されました。「世界のどこでも生き抜く力」という講演をおこないました。保護者の方達が、薩埵(さった)ホールをぎっしり埋めて下さいました。ありがとうございました。

10月10日(土)

横浜で、付属校3校の、PTAの方々の懇親会が開催され、ご挨拶に出かけました。今年は法政女子高が幹事校です。女子高の生徒たちの自由と創造性にあふれた活動をスライドで拝見し、「良い学校だなあ」と改めて思っていました。

10月9日(金)

大学基準協会の総会と大学評価シンポジウムが開催され、理事として挨拶をしました。大学基準協会は大学を規制するための団体ではなく、その正反対で、個々の大学が規制を受ける前に自らの独自性に基づいた目標を設定し、そこに向けて自己評価をしながら、質を高める絶えざる改革をおこなうための団体です。国際的な質保証ネットワークにも加盟しており、情報提供、情報交換しながら、個々の大学が自ら努力できるようにしていきます。この日のシンポジウムは『内部質保証ハンドブック』を編集した委員たちによるもので、熱気にあふれ、学ぶことの多いとても面白いシンポジウムでした。

10月7日(水)

法政大学ベトナム事務所が開設されることになり、その開所式のための挨拶ビデオ収録がおこなわれました。私は、NHKの仕事、国の仕事、調査研究などベトナムに3回行っており、大好きな国です。しかし今回はその時期にヨーロッパ出張が重なって、残念ながらベトナムを訪問できません。そこでビデオ収録となったのですが、いつか訪れる機会がやってくることを望んでいます。

10月6日(火)

今日も市ケ谷キャンパスの各部署を訪ねる「職場訪問」を実施しました。大学を少しでも良くしようと働いてくれている職員の危機感、視点、新しい発想には頭が下がります。今日も多くの示唆を得ました。

10月3日(土)

秋田市で校友会みちのくブロック大会が開催されました。校友会は、一般の方も参加できる講演を企画してくれました。演題は『秋田蘭画に見るこれからの日本』。小田野直武の画業の価値と、それが日本の独自性のひとつのモデルであることを話してきました。「私たちは、大国に依存せず、「普通の国」にならず、独自な日本を作れるか?」が結びです。
秋田県は私のゼミのフィールドでした。江戸時代研究でも縁が深いところで、昨年は講演とシンポジウムに角館を訪れています。地元の方たちにもお世話になってきました。その中のひとり、校友であり、鉱物の循環システムで知られた小坂町の町長および衆議院議員を歴任した川口博さんも来て下さいました。また、ゼミ生が参加した「のしろ日本語学習会」の北川さんご夫妻も来て下さいました。ご主人が校友です。中国残留孤児の日本語教育からはじまり、今では、7ヵ国に及ぶお嫁さんたちが地域で生き抜いていくための日本語を教えているのです。今年は文化庁長官賞を受賞なさいました。これからの日本の重要なメソッドを持っている方々です。
どこをとってもローカルかつグローバルなつながりを、江戸時代から、秋田はもっています。

10月2日(金)

大学の各部署を訪ね、それぞれの進捗や課題をうかがいました。昨年度から始めた事務部局訪問は、いつでも私にとって実り多いものです。なかなかまとまった時間がとれないので短い訪問ですが、これからもまわります。よろしくお願いいたします。