2012年度

Vol.54 60周年を迎えた雑誌『法政』

2012年09月20日

2012年度

今年で創刊60周年を迎えた雑誌『法政』が産声を上げたのは、戦後間もない1952(昭和27)年のこと。この創刊の中心人物となったのが当時の大学総長を務めていた大内兵衞です。

自らを「雑誌『法政』のお産婆」と語った大内は創刊号の巻頭文に「歌われない国民歌」という評論を掲載しました。目次に目を向けると、後に法政大学総長を務める哲学者の谷川徹三や経済学者の矢内原忠雄などそうそうたるメンバーが文章を寄せています。これを見ても分かる通り、大内は雑誌『法政』を単なる広報誌としてではなく、学問、思想、文学、芸術、経済、社会に関わる広範なテーマを取り上げるオピニオン誌として創刊を試みたのです。

後に大内自ら「当時としては驚異」と語ったように、学内外を問わず戦後の知的リーダーたちの評論や対談を広く社会に発した雑誌『法政』は大学発行の媒体として新境地を拓きます。1960(昭和35)年、記念すべき100号に前総長として文章を寄せた大内は、雑誌『法政』が大学内外の文化交流の機関としての役目を果たしたことを喜ばしく語っています。こうして雑誌『法政』が大内の願い通りに発展することにより、法政大学は大学ジャーナリズムの名門としての足跡を刻んでいきます。

創刊から20年間、大学ジャーナルと言える学生の読み物が少なかった時代に幅広いジャンルの論評を掲載した雑誌『法政』は学生たちから高い支持を集め、季刊総合誌へと転換。以後は学生や卒業生の活躍を学内外に伝える大学広報誌としての側面を強めていきます。オピニオン誌としての性格が強かった時代を「第一期」とするならば、大学広報誌の色合いを強めた1974(昭和49)年から1996(平成8)年までのこの期間は「第二期」と言えるでしょう。

雑誌『法政』の記念すべき創刊号。初期の題字は能書家でもある大内兵衞の揮毫によるもの

雑誌『法政』の記念すべき創刊号。初期の題字は能書家でもある大内兵衞の揮毫によるもの

そして、「第三期」を迎える1996(平成8)年にはA5判から大型のB5判へ、さらに写真などのビジュアルが増え、学生や卒業生の活躍を全面に押し出した広報誌へと変遷。2007(平成19)年にはA4判へとリニューアルし、学内をはじめ、大学を取り巻く保護者、卒業生、関係機関との交流を促す総合誌として新たな進歩を遂げます。

オピニオン誌からスタートし、時代ごとのニーズを柔軟に取り入れてきた雑誌『法政』。現在も、法政大学の自由と進歩の気風を表現していることに変わりはありません。戦後間もない頃から社会をリードする人材にスポットを当ててきた雑誌『法政』は、法政大学に自由な視点で物事を見る独自のジャーナリズム精神を根付かせました。『法政』という土壌が育んだ多才な人材が毎号誌面で紹介されています。昔も今も変わらず、大学を取り巻くリアルな状況を知ることができる。それが雑誌『法政』に代々受け継がれている価値だと言えます。

(右)1952(昭和27)年11月号には当時の経済学部教授であった大島清と大内との対談「僕の読書遍歴」が掲載された。写真は大内邸で行われた対談の様子 (左)創刊号の巻頭を飾ったのは大内による「歌われない国民歌」。何度も推敲を重ね、創刊号への熱意が伺える直筆原稿

(右)1952(昭和27)年11月号には当時の経済学部教授であった大島清と大内との対談「僕の読書遍歴」が掲載された。写真は大内邸で行われた対談の様子 (左)創刊号の巻頭を飾ったのは大内による「歌われない国民歌」。何度も推敲を重ね、創刊号への熱意が伺える直筆原稿

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