2011年度

Vol.11 東京法学校時代の八下田勝蔵の講義ノート

2011年07月06日

2011年度

法政大学図書館 所蔵資料

法政大学は1880(明治13)年設立の東京法学社に始まり、東京法学校、和仏法律学校、和仏法律学校法政大学を経て旧制の法政大学となります。このうち、ボアソナード博士が教頭を務めた東京法学校の時代の「講義ノート」が数冊、本学図書館に残されています。
東京法学校では当時、富井政章・松室致・吉原三郎といった一流の講師陣が教壇に立っており、講義ノートは、彼らの講義を学生の八下田(やげた)勝蔵が口述筆記したものです。
この頃の学生にとって、講義を筆記するのはごく一般的なことでした。教科書や講義録の印刷物を買うにはお金がかかる。せっかく学校で最新の講義が聞けるのだから、全部吸収するために筆記しようというわけです。明治20年代後半に和仏法律学校で学んだ校友・石井豊七郎が『法政大学報』昭和15年3月号に寄せた「真鍮の墨壺」と題した文中に、次のような記述が見られます。
「(講義を)自ら筆記することは、書物を読むよりは、数倍の記臆を遺すことにもなり、……(中略)……私立学校の法律学生と云へば、大體毛筆で半紙に筆記したものだ。……(中略)……此種の墨壺と風呂敷を持つて、毛筆を耳に挟み、麻裏草履でピタくと九段や中坂を昇つて行く代書人型の青年は、概ね我が和佛法律學校の學生であつた」(文中の「代書人」は現在の司法書士)。
八下田の講義ノートで特筆すべきは、それぞれの講義の日付が入っている点で、大学の歴史や教員を研究する者にとっては重要な資料となります。さらに、ノートにある富井政章の講義は、富井がフランス留学から帰国して間もない頃のもので、留学で得た新しい情報を盛り込んだ講義であること。富井研究には非常に貴重な資料となるものです。このこともあって富井の授業は人気が高かったといいます。
これらのノートをとった八下田勝蔵は、栃木県安蘇郡田沼町(現・佐野市)生まれ。早くから政治に関心を持ち、東京法学校卒業(明治21年)後、田沼町長、栃木県会議員などを務めています。この間、卒業生として本学の行事へ参加したり寄付をするなど、本学との関わりの深い人物でした。もともと政治家を目指していたこともあって、学生時代の勉強熱心さはノートにも表れています。

  • 八下田勝蔵の講義ノート。向かって右から、松室致の契約法、富井政章の契約法、吉原三郎の准契約法、寺尾亨の代理法の講義録。

  • 講義ノートには毛筆と鉛筆の筆記があり、一部は清書している。ノートによっては復習と思われる朱文字の書き込みが多く、かなり勉強したあとが見える。

  • 講義ごとに日付が入っていることで、貴重な資料となっている。

  • 明治43年の創立30周年記念絵葉書。式典で配られたもので、右上は、当時の講義風景(個人蔵)

  • 一時帰国送別の宴で、ボアソナード博士を囲む東京法学校の教員・学生・卒業生(明治22年)。2列目右から3人目の長身が、卒業生として参加した八下田勝蔵(多湖實之氏提供)。

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