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市ケ谷キャンパス55・58年館建替工事 埋蔵文化財調査が終了しました

2014年08月21日

2014年3月中旬に着工した(市ヶ谷)55・58年館建替工事の最新の進捗状況を報告します。

調査風景

調査風景

55・58年館建替工事の本格着工に先駆けて、2014年5月中旬から7月下旬まで埋蔵文化財調査を実施しました。本調査は、同地の埋蔵文化財の記録保存を目的に、発掘調査を通じて遺構の検出と文化層の把握に努めました。
発掘調査により、江戸時代を中心に縄文時代から近代に亘る遺構約480基が検出され、遺物は収納箱にして約100箱分が出土しました。
江戸時代および近代では道路跡、建物等の礎石、溝、穴蔵、廃棄土坑(ゴミ穴)などの遺構群と陶磁器の茶碗や皿、徳利などの生活道具のほか、当時の食生活を窺わせる魚の骨や貝などの遺物が発見されました。

(左)江戸時代の生活面全景(55年館より撮影)、(右)穴蔵(底面に床板の痕跡や釘がありました)

(左)江戸時代の生活面全景(55年館より撮影)、(右)穴蔵(底面に床板の痕跡や釘がありました)

(左)江戸時代の廃棄土坑断面(ゴミ穴)、(右)廃棄土坑より出土した遺物

(左)江戸時代の廃棄土坑断面(ゴミ穴)、(右)廃棄土坑より出土した遺物

江戸時代の調査地一帯は「番町」に属しており、旗本屋敷が江戸初期から幕末まで継続していたことが知られています。調査で発見された遺構・遺物は、この「番町」に住んでいた旗本の生活の一端を示すものと思われます。
また、江戸時代の寛永13年(1636)には、江戸の一大事業とされる外堀普請が行われ、今回の調査でもその痕跡として、外堀普請によって掘り出された砂を調査地に盛土され、場所によっては4mも盛られていたところもありました。

縄文土器と石器(右端:打製石斧)

縄文土器と石器(右端:打製石斧)

縄文時代では、調査地は北東に向かって低くなる支谷の斜面地でした。このためか、住居跡などの遺構は認められず、生活の痕跡は希薄でした。縄文時代前期の土器を中心に縄文時代中期の土器や打製石斧などが出土しており、周辺地域に縄文時代の集落があった可能性が示唆されます。
これらの発掘調査の成果は、縄文時代に始まる当該地での生活の痕跡を示すものであり、市ケ谷キャンパス敷地内の歴史を知る上で貴重な資料となります。
8月上旬から2015年1月下旬までは、発見された遺構や遺物などを整理する作業が進められ、2015年7月下旬には報告書をまとめる予定です。
調査が終了し、ゲート棟(仮称)については、8月から本格的に着工し、工事を進めています。今後は、随時、工事に関する進捗状況をホームページなどで紹介します。
工事期間中、関係者の皆様にはご不便・ご迷惑をおかけしますが、ご協力のほどよろしくお願いいたします。