HOME > 法政を知る・楽しむ > 法政ピックアップ > 教員紹介 > 2011年度 > デザイン工学部システムデザイン学科 教授 佐藤 康三


デザイン工学部システムデザイン学科 教授 佐藤 康三

2011年07月25日

プロフィール

デザイン工学部システムデザイン学科 教授 佐藤 康三(さとう こうぞう)

1973年 イタリアに渡る。
1976年 Scuola Politecnica di Design di Milano.Sez.Industrial Design
     (ミラノデザイン工科学校インダストリアルデザイン研究科)
      卒業後、ミラノのRodolfo Bonetto Studioにてプロダクトデザイナーとして活動を開始。
1983年 株式会社コーゾーデザインスタジオ設立。
1999年 国際インダストリアルデザイン団体協議会:ICSID)より国際的デザイン専門職能者
     (Design Experts worldwide)に認定される。
生活雑貨から都市再開発プランニングのデザインディレクターまで幅広いデザイン領域で活動。
Compasso d’ro賞、GoodDesign特別賞、SDA優秀賞など

自分の思想や考え方をデザインとして表現し、より豊かな世の中を創造する

なぜデザインに興味をもち、留学したのですか

デザイン工学部システムデザイン学科 教授 佐藤 康三

デザイン工学部システムデザイン学科 教授 佐藤 康三

東京オリンピックが開催された1964年、私は中学1年生でした。そのころから東京の街は、丹下健三さんの設計による建築物をはじめ、若さあふれるクリエイターによる作品が世に出てくるようになり、街が刻々と変化するさまをリアルタイムで体験するうちにデザインに興味をもちました。長じるにつれその思いは高まり、フェラーリや、アルファロメオの車をはじめ、オリヴェティなどさまざまなイタリアンデザインに夢中になり、中学3年のときにはプロダクトデザインをやりたいと思うようになっていました。そして70年代初頭に芝のホテルの広場で開催されたイタリア・オリヴェティ社の「コンセプト&フォルム」展で実物の作品群を前に衝撃を受け、その気持ちは徹底的なものとなりデザインの本場、イタリア・ミラノで勉強しようと決めたのです。

まず1年間はイタリア語を勉強せねばということで、ペルージャにある国立ペルージャ外国人大学イタリア語科の入学許可を取り付けました。その時点ではイタリア語はまるで話せませんでした。そもそも当時、日本の民間機関にイタリア語を学べるところがなく、和伊辞典すら売っていない時代です。とはいえ、入学願書などの書類はイタリア語で書かなければなりません。やむを得ず和英辞典と英伊辞典と伊和辞典を駆使し、やっとの思いでクリアしました。渡伊後もブルーノ・ムナーリ、アキーレ・カスティリオーニなど信じられない教授陣が率いるイタリアンデザイン教育の最高峰、Scuola Politecnicadi Design di Milano.Sez.Industrial Design(ミラノデザイン工科学校インダストリアルデザイン研究科)に入学するまで、毎日12時間イタリア語を猛勉強。「本場で最高のデザインを学びたい」の一心で、情熱のなせる技でした。

私が留学したのは40年近くも前ですが、情報社会といわれる現在においてもなお言えるのは、日本人は世界を知らないということ。情報で知っているのと現場は異なるし、現場でしか得られないものは時代を経てもたくさんあります。若い人は尻込みしないで、どんどん海外に出てほしいと思います。情熱さえあればなんでも乗り越えられる、それが若さの特権なのですから。

デザインを教えるとは先生にとってどのような行為ですか

R・ボネットスタジオ時代(1977年)

R・ボネットスタジオ時代(1977年)

デザイナーを育てるというよりは、デザインの背後にある物事のとらえ方や考え方を教えること、「デザイン」という思考手段を用いて全体的な視野でより豊かな世の中をつくる人材を育てることだと思っています。日本には、世界のトップレベルのデザイナーがいますが、日本社会の「デザイン」への理解力は三流です。なによりもデザイン教育は遅れています。小・中・高の教育カリキュラムにはデザインに相当する内容はありませんし、奈良時代から世界的天才を輩出してきている日本美術についての理解も浅薄なものにとどまっています。人間の創造行為の背景には必ず思想・哲学があり、ビジョンがあるということ、デザインをはじめ、表現行為が人間にとって何を意味する営みなのかということについては教えられてきていません。

システムデザイン学科では、ある思想や考え方を、デザインというひとつの表現として世の中に提示することを「デザイン・シンキング」と呼んでいます。その一例となる話があります。ゼミの卒業生が超大手電器メーカーに就職し、資材調達部に配属されました。大手となるとその資材は膨大な数と量です。資材番号がびっしり並ぶ何十枚ものエクセルシートを使って資材を発注するそうですが、彼はそのシートを調達する資材の容器と同じ配色にすれば見やすくなり、ヒューマンエラーも減るはずだと考えました。彼の意見は取り入れられ、さらに、新入社員であるにもかかわらず、新しい発注システムのインターフェイスをつくる担当者に任命されたそうです。デザイン工学部が設立されて今年で5年目ですが、彼のような人材がほかにも育ってきています。システムデザイン学科は文理融合で、物事を多面的に考える力が深くなるという意味でさまざまな分野で活躍できます。私としては、一見デザインとは関係のない職種に就いたとしても、デザイン・シンキングを用いて社会の在り方を変えていってほしい。「銀行に就職してATMの前で並ばなくて済む仕組みを作ってくれ」と学生には言っています(笑)。

学生に伝えたいことは

富山県高岡市と射水市を結ぶ万葉線。デザイン設計を担当した車両納車時の佐藤先生

富山県高岡市と射水市を結ぶ万葉線。デザイン設計を担当した車両納車時の佐藤先生

まず、情熱をもって取り組める夢を持つこと、そして、夢を夢で終わらせないためにはビジョンが必要だということ。さらに、自己を見つめ、自己アピール力を養うことです。私が初めて就職活動をした際は、当時のミラノで3大デザインスタジオといわれていたうちのいずれかで絶対に働く、と決めていました。将来は世界的に認められる仕事をしたいと考えていましたし、そもそもお金もなく、コネなど皆無の日本人留学生ですから、実のあるキャリアを築けるようなスタジオでなければ先がありません。面接には自分のアピールポイントがダイレクトに伝わるようなドキュメントを作って挑みました。自分のキャリアは自分だけのもの。きちんと自己アピールできないといけません。

また、自己アピールは、自分自身を知り、他者との差異は何かを自覚したうえで、それを他者に伝達するにはどのような方法が有効かを考え、形にする一連の作業です。これからは日本社会も多国籍化が進み、各分野の専門性が高まることでしょう。スキルを身に付けていることは当然として、さらに、自分の持ち味は何かを明示することが求められるようになるのはそう遠い未来ではないはずです。そこで必要とされるのは、「全体を見渡しながら」個々のスキルを組み合わせ、生かすための思想を打ち出せる人材です。そうした「ホリスティックデザイン」のできる人を育成し、社会に変革を起こす人材を多数輩出することで、より豊かな世の中を共につくりだしていきたいと思っています。