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公益社団法人日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属 女流棋士 初段 中倉 彰子さん

2013年02月26日

プロフィール

公益社団法人日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属 女流棋士 初段 中倉 彰子さん

公益社団法人日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属 女流棋士 初段 中倉 彰子さん

1977年東京都生まれ。
1991・92年に女流アマ名人戦で連続優勝。1994年に高校3年生で棋士としてプロデビューを果たす。
2000年NHK杯将棋トーナメントの司会などメディアでも幅広く活躍。
2004年人間環境学部卒業。
2007年に日本女子プロ将棋協会に移籍し、「武蔵の国府中けやきカップ・女流棋士トーナメント」を立ち上げる。対局を本業に、将棋の普及活動に尽力。

女流棋士として活躍 日本の伝統文化である将棋の魅力を広めたい

プロ棋士としてさまざまな公式対局に出場する中倉彰子さん。その一方で将棋の普及活動にも力を入れ、将棋界の未来を担う子どもに将棋を教え、後輩を育成するなど、幅広い取り組みにチャレンジしています。

高校3年でプロの道へ

私が将棋と出会ったのは小学1年生のころで、将棋好きの父に勧められたのがきっかけでした。父は最初「娘と一緒に将棋を指せたら楽しいだろう」と軽い気持ちで教えたのだと思います。でも、父は思い込んだらまっしぐらなタイプでしたから、すぐに熱血指導が始まりました。私の妹もプロ棋士になりましたが、その妹と一緒に毎日将棋漬け。家に帰ると壁に将棋の問題が貼ってあり、それを解いてから外へ遊びに行くのが習慣でした。

そのうち将棋道場へ通うようになり、対局にも出場するようになりました。当時小学生の女の子は珍しかったので、私と妹の周りに多くのギャラリーが集まって来たのを覚えています。でも当時は将棋の魅力には気付かず、「親の勧めで始めた習い事」の域を出ませんでした。

私が将棋を面白いと感じるようになったのは中学生のころからです。アマチュア3段の父にも勝てるくらいの腕になり、相手から取った駒を使って引き分けのない勝負ができる将棋に魅了され、女流棋士という職業も意識するようになりました。ただ私の場合、「何か決定的なターニングポイントがあって女流棋士を目指した」というわけではありません。目の前のハードルを一つひとつ地道に乗り越えて行った結果、女流棋士にたどり着いたというのが実感です。

具体的には中学3年と高校1年のときに女流アマ名人戦で優勝して2連覇を達成し、まずは女流棋士の育成会に入ることができました。育成会では半年に1人、リーグ戦の成績上位者がプロになることができます。そのことを意識しながらも、まずは目の前の対局に集中して1年半ほど育成会で腕を磨き、高校3年のときにプロデビューを果たしました。

将棋の魅力を広めるために奔走

中倉さんが開発した女性向けの将棋盤駒「ショウギショコラ」と、子ども向けの「はじめてのしょうぎセット」

中倉さんが開発した女性向けの将棋盤駒「ショウギショコラ」と、子ども向けの「はじめてのしょうぎセット」

棋士の仕事は人によってさまざまですが、私は大きく分けて二つあると考えています。一つは公式戦に出場して結果を残すこと。もう一つは将棋の普及に力を注ぐことです。プロとして結果を残すことはもちろん大事ですが、将棋界全体のことを考えて行動する姿勢も求められます。私自身、普及活動には積極的に臨み、NHKの将棋講座に聞き手として出演したり、NHK杯将棋トーナメントの司会を務めたりしました。

そして2007年に転機が訪れます。当時、棋士を志す女性が年々減っており、私は後継者不足に強い危機感を覚えていました。"女流棋士を「職業」としてもっと確立したい。そのためには女流棋士だけの新たな団体が必要だ"。そう考えた私は、それまで所属していた日本将棋連盟という団体から新たに立ち上げられた「日本女子プロ将棋協会」に移籍しました。

しかし、発足間もない日本女子プロ将棋協会では、普及活動もスムーズには進みませんでした。状況を打開するには、今まで以上に自分から積極的に動いて仕事を決めたり、企画を進めたりする姿勢が求められます。私は「思いついたらまずやってみる!」ことを意識してトライしました。

まずはおもちゃ会社と協力して女の子でも手に取りやすい将棋セットを開発しました。最初はとにかく体当たり。自分でおもちゃ会社に依頼の電話をしたり、メールを送ったりするところからスタートしました。また、わが子をはじめ子どもたちに試行錯誤しながら将棋を教えることにも挑戦。その経験を生かして2011年には、親子向けに優しく解説した将棋の本を執筆しました。

このように棋士としての活動はどれもやりがいのあることばかりです。その中でも一番記憶に残っているのは妹と対局した「武蔵の国府中けやきカップ」です。この対局は府中市で、地元企業の協賛や商工会議所の方々などに応援していただいて実現することができ、勝負前から感無量でした。残念ながら対局では私が負けてしまいましたが、将棋ファンや地元の方々と交流することができ、良い経験になりました。

今後も日本の伝統文化である将棋の魅力を世界に広く伝えるとともに、女流棋士としてトーナメント優勝を目指して、さらに精進していきたいと思います。

行動することで道は開かれる

中倉さんが考案した親子で将棋を楽しく学べる本

中倉さんが考案した親子で将棋を楽しく学べる本

私はプロ棋士として仕事をする一方、幅広い分野を学べて自分の視野が広がりそうな法政大学人間環境学部に社会人入試で2000年に入学しました。

宗教論の授業に興味を持ち、専門の関口和男教授(2012年度人間環境学部学部長)に頼んで親鸞の仏教書『歎異鈔』の読書会を定期的に開いてもらうなど、積極的な姿勢で勉学に励みました。そのおかげで充実した時間を過ごすことができ、大学生活を通して学んだことは、仕事でも生かされています。特に〝何事も頭で考えすぎるよりも、まず行動に移してみることが大切だ?と気づけたことが大きいです。この考えは所属団体を移籍してからの私を支え、今日に至るまでの原動力になっています。

将棋には局面が行き詰まったり、自分が不利になった時に指す「勝負手」というものがあります。指し方次第では負けを早める恐れがありますが、チャレンジ精神に満ちた一手です。学生の皆さんには、この「勝負手」をどんどん指してほしいです。もし状況が好転しないことがあったとしても、その経験は将来きっと生かされると思います。